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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

急患診療(No.28)

                            堅固な足場
 
・・・・愛する人たち、・・・・傷や汚れが何一つ無く、平和に過ごしていると神に認めて戴けるように励みなさい。また、私たちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい。・・・・あなた方はこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。私たちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。
                                                                                                 【Ⅱペテロ書3章14~18節】


二つの重要な「職分」
 私たち「人」は他の生物と違って、「安全」に対する意識を、常に考えながら生きていますが、時々「油断」したり、「過信」したりしますと、その「安全」に対する意識と行動も、一気に崩れ落ちることを、あなたはご存知でしょうか?


 さて、主イエス・キリスト(花婿)の「来臨の時」が、いよいよ間近に迫っている今日の時に、霊的花嫁である私たちキリスト者は、如何なる「失敗(ミス)」も許されません。そのためには、常に「危機意識」をもって、聖霊様に導かれて行く必要があることを、ペテロは今回の手紙の中で述べています。


 先ず第一にペテロは、私たちが自分の置かれた「職分」を、正しく知ることが大切であることを、この手紙の末尾として述べています。「職分」とは、各自に与えられた「務め」や、任された「立場」のことです。ペテロは、私たちの最重要な「職分」には、明確に二つあると14節の中で説明しています。その第一の「職分」とは、新婦(花嫁)というポジションです。


 ご存知のように、花嫁にとって「婚礼の日」は、待ちに待った素晴らしい時です。ですから彼女にとって「その時」は、彼女の人生における、一番重要なイベントということで、様々な「準備」に明け暮れることでしょう。その「準備」の中で最も重要な務めは、愛する花婿と相まみえる時に、自分が一番最高の状態になるべく、一生懸命に身も心も聖めることです。即ち、「しみ」や「傷」などの、汚れが一切無い花嫁として、忍耐深く「平安」な状態の中で過ごすこと、そして何よりも「婚礼」を喜んで下さる、父なる神に認めて戴くなど、私たちキリスト者にとって、「聖なる花嫁」としての職分があるのです!


 ところが私たちは、この大事な「職分」を忘れることが多々あります。この第一の「職分」を、常に果たしていなければ、私たちは愚かな乙女の如くに、ただ「業」にのみ走り、自分の「業」にのみ自己満足を得て、遂には霊的に怠惰な方向へと、傾く危険性があるのです。


 続いてペテロは15節で、「私たちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい。」と、私たちキリスト者に命じています。アブラハムが、ロトの住むソドムとゴモラのために、父なる神に「とりなしの祈り」を捧げた時の如くに、主なる神は「忍耐深さ」をもって、ご自身の「救い」を、最後の迷いし一頭の子羊のために現そうとしておられます。


 即ち、花婿(イエス・キリスト)の永遠の愛(救い)に、誰一人として漏れることが無いようにと、最後のギリギリまで「婚礼の扉」を、開けて待っていて下さいます。ところが如何せん、花婿の「救い」に至る人々は少ないのです!このように賢い乙女は、花婿を忍耐深く待ち望む聖なる花嫁として、第二の「職分(務め)」があるのです。


「堅固な足場」に留まる
 私たちが、いよいよ最後のフィナーレ、つまり花婿(イエス・キリスト)との婚礼の時に、花嫁として招待されるか否かは、ある堅固な足場に立つか否かに懸かっている!と、ペテロは強く説きます。ご存知のように「足場」とは、高所においても「安全」に作業するために、事前に設置された仮設の作業床のことですが、この足場から少しでも踏み外しますと、それは即落下(墜落)死に至る訳です。


 覚えて戴きたいことは、イエス・キリストが「喩え話」で言われた賢い乙女は、決して一人ではない!という点です。つまり複数の乙女による、共同作業のストーリーであることです。彼女たちは、ある面で主人(イエス・キリスト)から命じられた、大切なポジション(堅固な足場)に留まるべく、聖霊様からの「指示」に聞き従いました。


 聖霊様が常に、私たちに対して命じられること、それは「堅固な足場」に留まることです。この聖霊様の「指示(ご命令)」は、花婿(イエス・キリスト)の来臨の時まで、決して止まることはありません。堅固な足場に留まる者は、必ず花婿の来られる「足音」を、瞬時にキャッチしたり、花婿の息使いまで捉えることが可能になります。仮に私たちが、自分勝手な判断をしたり、或いは共同作業から離れて、単独で行動したりしますと、それこそがペテロの言わんとする、聖書の御言葉を自分流に曲解して、遂には堅固な足場から離れたポジションに立つ、愚かな乙女の群れに加わることになります。


 では私たちが、愚かな乙女にならないために、どうしたらよいのでしょうか?それは「私たちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。」(17~18節)の御言葉に記された、聖霊様による二つの「指示」通りに、私たちが従順して歩むことです。第一の「指示」は、必要な「知識」と「技術」を、賢い乙女の共同作業の一環として、互いに分かち合うことです。特に自らが犯した、霊的な「失敗(ミス)」の数々を、互いに披露し合うことで、共同体全体が謙遜な群れへと、聖められて行くのではないでしょうか!
 
 第二の「指示」は、勝手に自分の「職分(ポジション)」を離れないことです。もし私たちが、この第二の「指示」を無視しますと、自分の「判断」が、私神(偶像)になる可能性があります。ですから私たちが、踏み外してはならないポジション、それが堅固な足場、即ちイエス・キリストという信仰の土台(礎)です。私たちは、この方(イエス・キリスト)に依りすがり、この方の霊的「枠」を越えてはなりません!つまり、この方の「判断」に留まるべきです。そして、聖霊様が具体的に指示して下さる、その聖なる範囲(フィールド)から逸脱しないことが肝心です。
 
 私たちは霊的に「弱い者」です。そして、常に失敗する存在です。それ故に、聖霊様が「助け主」として、私たちに霊的シグナルを発信して、正しい安全なポジションへと導いて下さるのです。そうです!私たちが、聖霊様の発する数々の「指示」に対して、素直に聞き従うだけで、最後のフィナーレの時に、賢い乙女の一員として、花婿(イエス・キリスト)との婚礼に招待されるのです。
 
 聖霊様の霊的シグナルは、「常に己の判断に頼ってはなりません!いつも神の御心の中に留まり続けなさい!自分のシミや傷などの汚れが、何一つ無いように努めなさい!神の救いから外れることが無きよう、互いに見張り続けなさい!」という、言わば花嫁修業の如きものです。
 
 あなたが賢い乙女の群れの中で、互いに聖められるべく啓発し合い、叱咤激励し合いながら、共に失敗を未然に防ぐべく、堅固な足場に留まり続けることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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