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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

キリストの家族(No.1)

                     神が人を創造した目的



神はご自分にかたどって人を創造された。・・・・男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」
                                                                                                          【創世記1章27〜28節】


 ご存知のように、ユダヤ人は父なる神の「選び」により、歴史的に聖書の御言葉に導かれている民族です。その結果彼らは、民族の繁栄にあずかっています。歴史的には幾度となく、「民族滅亡」の危機に遭遇することがありましたが、神の奇跡的な介入により、民族としての「救い」の恵みを受け取りました。特に彼らは、創世記1章の御言葉である、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」という、神の単純な「ご命令」を信じて、今日まで生きている次第です。


 私たちの住む日本、そして隣国の韓国において、社会的に問題視されている、「少子化」「高齢化」による介護危機などの、民族(国家)的な問題は起こり得ません。彼らは、如何に貧しい経済状態の中にあっても、「知恵」を共有し家族を支え合うという、家族的ライフスタイルを貫いています。彼らの歴史の殆どの時期において、他民族の支配により辱められ虐げられるなど、屈辱的なライフスタイルを強いられましたが、彼らは常に神を崇め、この御言葉を忠実に守り行ってきたため、今日の繁栄に至っているのです。


 父なる神は如何なる目的をもって、私たち「人」を創造し、「この世」に命あるものとして、産み出して下さったのでしょうか?私たちが、神のその「目的」を明確に知ることによって、神によって始められた「新しい契約」の御業が、今も尚「完成」へと進行中であることを、知ることになります。そのためには、私たちが「キリストの家族」という、霊的な構成要員として、神の「目的」の中にあずかる(組み込められる)必要があるのです!仮に、私たちが「この世」と同じレベルで、「家族」という言葉を把握していくのであれば、例えば血筋が絶えたら、〇〇家は終わりである!などの思想に囚われ、それは希望が全く無い、有限的な繁栄しか享受できません。


自分に似せて創造した!
 何故父なる神は、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」という偉大なる「ご命令」を、アダム(エバ)に対して発せられたのか?この点について私たちは、神の「ご計画」の中に秘められた、正しい創造の「目的(方向性)」を、聖霊様から示して戴きましょう。


 父なる神が、「人」の祖であるアダムを創造した目的は、「ご自分にかたどって(自分に似せて)」の御言葉に記述されています。「親」になられた方はご存知のように、産まれてくる自分の「赤子」が、自分に似て産まれるか否かを、非常に気にかけます。これは父なる神の「ご性質」が、私たち「人」の気質(本姓)の中に宿っていることの現れです。顔かたちが、少しでも(自分に)似ることを気にしますが、どちらかと言えば、自分の「体」の中に特徴付けられた遺伝的要素が、産まれる「我が子」の中にも、十分受け継がれているか、それを一番に気にかけるのではないでしょうか!


 それと同様に、父なる神が「人」を創造する際に、非常に気にかけられたことは、「是非とも、自分に似て(産まれてきて)欲しい!」と、強い意志(願い)を抱いたことです。しかも「ご自分に」の部分は、直訳しますと「自分たちに」という、複数形で表現していることを考慮に入れますと、実は父なる神の抱いておられる「家族的イメージ」が、豊かに浮かび上がって来るのではないでしょうか!勿論、父なる神に「伴侶(配偶者)」はいらっしゃらないのですが、「三位一体」なる神として、御子(イエス・キリスト)と助け主(聖霊)との関係が、いわゆる三変化的存在としてではなく、御子と聖霊に対しても、家族の重要なメンバーとして関わり合っています。


 それ故「人」を創造する際にも、父・御子・聖霊が一緒に相談し合い、そのプロセスを分担し合って創造している、家族的光景が目に浮かんできます。ご存知のように、父なる神は万物を創造する過程において、「命の言葉」をもって創造しています(ヨハネ福音書1章1節参照)。つまり、父なる神が発した「命の言葉」を、聖霊様が各「生命体」の中に丹念に肉付けし、そして御子イエス・キリストが、父なる神の創造の「ご意思」を、その生物の中に実現している訳です。


 このように父なる神は、産み出す(出産する)という母親が為す働きを、ご自分の「喜び」とします。つまり「命」を産み出し、「命」をはぐくみ、養い育てていくことを、父なる神は喜んで為されるのです!とりわけ「人」に関しては、わざわざ「土と塵」をこねて、「人」として形造り、ご自分の「命の息」を、その土の塊の中に吹き込むという、手間のかかる創作を為されていることから、「人」を産み出す(創造する)ということにおいて、ご自分に「似せて」創造する「喜び」は、如何ばかりのものだったでしょう!それ程「アダム」は、父なる神にとって最高の、「命」の出産だったと言っても、言い過ぎにはならない作品なのです。それ故父なる神は、「多く産みなさい!そして大いに増えなさい。そうすればあなた方に、この地を任せるゆえ、地を満たすほどに管理し守ってゆきなさい!」と、ご自分の「意思」と同様の「命令」を、アダムとエバに命じられたのです。


キリストを中心とする「神の家族」


神は、私たちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たして下さいました。天地創造の前に、神は私たちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えて下さった輝かしい恵みを、私たちが称えるためです。・・・・こうして時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられるのです。キリストにおいて私たちは、御心のままに全てのことを行われる方のご計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。
                                                                                                      【エペソ書1章3〜11節】


 私たちが「神の家族」の一員として、実は「前もって定められ」ていたことを、あなたはご存知でしょうか?父なる神は私たちのために、御子(イエス・キリスト)を「この世」に産み出して下さいました。それは御子を通して、「こうして時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられる」(10節)ためです。私たちはこの御言葉読む時、非常に「喜び」と「高揚感」に満ち溢れることでしょう。何故なら父なる神の創造の目的が、この御言葉の中に明確に示されているからです。


 この御言葉の如くに、私たちという霊的な「器」を通して、神の豊かな「救い」の御業が進められ、多く産み出すという「ご計画」が、イエス・キリストによって完成されます。え!私たちのような者が、一体「何」を産み出すというのでしょうか?ある者は聖霊の「賜物」をもって、神に栄光を現すことでしょう。またある者は、イエス・キリストの「愛」をもって、人々の「救い」のために、身を投じていくことでしょう。そして多くのキリスト者は、父なる神の偉大な「恩寵(恵み)」をもって、神の国の建設に携わっていく、これらが最終的に一箇所(御国)に集められ、その結果(報い)を確認し合った時に、「あー、あなたも私と同様に、神の国の家族の一員として、迎え入れられているんですね!何と父なる神は、私たちに素晴らしいご計画を為されたのでしょう!」と、互いに抱擁し合って、「救い」の喜びを涙ながらに分かち合う、これが「人」を創造された、神の偉大なる「目的」です。


 私たちは現実を見る限り、父なる神が最初に「人」に命じられた、この偉大なる「命令」に対して、何となく忠実に守っていない者、そのように錯覚しがちです。しかし覚えて戴きたいことは、「人」が創造された「目的」自体は、決して「人」の側の「意思」から発したものではなく、あくまで父なる神の主権の中にあるのです。それ故その「目的」は、霊的な側面で把握するのであれば、①産み出し、そして②増え拡がり、最終的には③イエス・キリストの元に一体化する、つまり融合するという、三つの神の働きのためにあるのです。それは目に見えるレベルでの、質量(数単位)的な増加も、意味合いとして含んでいますが、父なる神が私たち一人ひとりを、決して孤児(霊的な一単位)として扱うのではなく、「神の家族」という大いなる次元の中で、まるで大事な(貴い)一人息子(娘)として招き寄せ、神の国の大家族を形成していくという、霊的奥義を示しているのです。


 ですから、例えばあなたの誕生日が、「この世」に産み出された時として、〇年▢月△日と定まっている如くに、あなたがイエス・キリストを、自分の「救い主」として告白した、つまり霊的に新生した時から、神の国の「家族」の重要なメンバーとして、「神の国」の拡大(成長)の中に、あなたは組み込まれているのです!これは、御子イエス・キリストによって完成される、父なる神の大いなる「ご計画(プロジェクト)」であって、私たちの「計画」によるものではありません!ということは、イエス・キリストは確実に「あなた」を、「神の家族」の一人として、「あなた」にしか託すことの出来ない、家族的な「召し(方向性)」を用意しているのです!


 その最終的な方向性とは、「神の国」の共同相続人として、御国の財産を受け継ぐことです。「この世」のレベルに於ける遺産相続には、必ず家族或いは親族において、醜い「争い」や「分捕り」などが生じますが、私たちキリスト者の場合、それは贖い主イエス・キリストの、十字架の「救い」の御業にあずかることで、「あー、あなたの偉大なる、十字架の贖い(犠牲)により、私たちがこのように一つに集められたことは、何と驚くべき素晴らしいことでしょう!そして、あなたの偉大なる働きにより、私の人生に新しい創造の御業が、推し進められていることを感謝します.。私は今、御国の門に帰って参りました。私が思いも寄らなかった、神の家族のメンバーに遭うことが出来ました。主よ、あなたの御名を崇めます!」と、エペソ書を著したパウロの如くに、「神の国」の共同相続人として、聖霊様から認定されるのです。


 あなたの日々の信仰生活の中に、神の国の「家族」という霊的キーワードが、助け主 聖霊様の働きを通して、「今の時」に差し迫る問題として定まることを、主イエス・キリストの御名で確信します。またそれが、あなたの人生に正しい方向性を指し示し、そして最終的には、自分が「計画」を立てても、ままならない程の豊かな御国の「成長(増加)」が、父なる神によって位置付けられることで、初めて自分が神の国の「家族」の一員として、更にイエス・キリストに迎え入れられることを、主イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン!


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