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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

クリスマス・メツセージ

            「神の愛」を知る時




愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。・・・・神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちの内に示されました。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償う生贄として、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのように私たちを愛されたのですから、私たちが互いに愛し合うべきです。・・・・私たちが互いに愛し合うならば、神は私たちの内に留まって下さり、神の愛が私たちの内で全うされているのです。神は私たちに、ご自分の霊を分けて下さいました。このことから、私たちが神の内に留まり、神も私たちの内に留まって下さることが分かります。
                                                 【Ⅰヨハネ書4章7~13節】


「何」を信じ「何」を知るのか?
 今回の書簡の中には、「神の愛」が豊かに散りばめられています。そしてこの「神の愛」を知ること、これが今日のメッセージのキーワードです。覚えて戴きたいことは、「知ること」と「戴くこと」は、別の次元の言葉です。また「知ること」と「信じること」も同様です。分かり易く言えば、私たちが①信じて、②受け取る(戴く)ことで、相手(与える側)を③知ることになります。


 仮にあなたの前に、ホンモノを装った神が現れたとします。「その時」あなたは、何(どの神)を信じますか?実は、今まで信じていた伝統的宗教ではない、新しいグローバル宗教が、地上の国々の全てを平和裏に治め、今まで不可能であった宗教対立を解消する程の、平和メッセージを謳うなど、待ちに待ったホンモノ(実は偽りの神)の「救い」が実現する・・・・、そういう時代が到来しつつあるからですが、これは危険な時代ともなります。


 余りにも世界中の「現実」において、不孝な出来事(災いや危機的状況)が増加しますと、私たちの「霊」そのものが歪んで、「もう駄目かも知れない。しかし、もしかしたらホンモノが来るかも知れない!」などと、かすかな期待感(信仰)を抱く人々が、実は増加しつつあります。イエス・キリストが誕生した時代も、今の時と何ら変わりません。全てが悪しき強大なローマ帝国の力により、イスラエルの民が抑圧されている時代です。彼らは何世代に渡って、かすかな希望と期待感をもって、ホンモノの「救い」をもたらす、メシアの到来の時を待ち望んでいました。


 今回の書簡の筆者であるヨハネは、「神は真実の愛をもって、イエス・キリストをお遣わしなり、十字架上で御子を身代わりの生贄として、屠ることで神の愛を示して下さった。ここに神の真実の愛がある!その最大の理由は私たちが神の愛、即ちイエス・キリストを知ることによって、始めて真実に生きるようになるためである!」という、最上の福音(メッセージ)を著しました。この場合の「生きる」とは、単なる「生きる(生活する、年齢を重ねる)」という意味ではなく、「永遠の命」を戴いている次元の言葉です。


最上のギフト(イエス・キリスト)を知る
 ご存じのように私たち「人」は、「罪」が故に死ぬ(終わりが定まっている)ようになりました。ここに「不幸」の根源があります。しかし私たちキリスト者には、確かな「希望」があります。「死んだ後も・・・・」という信仰が、主イエス・キリストの「復活」を通して、信じる者に与えられているからです。間もなくしたら、主イエス・キリストは私たちを、「永遠の命」を戴いた真の花嫁として、御国に迎える為に来臨されます。


 父なる神は一方的に、「神の愛」という名のギフトを、私たちに与えて下さいました。もし私たちの側が、「神の愛」という貴いギフトを受け取り、何処かに適当に飾る(置いておく)だけでしたら、それは信仰ではありません!しかし受け取って、神の「ご意向(御心)」に従う者は必ず、次はそのギフトの源(イエス・キリスト)を、より深く「知る」ことに努めようとします。


 例えば「私の霊の只中に、イエス・キリストが留まって下さるのであれば、この素晴らしいお方の御力が、私の人生を大きく変え、私の周囲にも豊かな祝福として流れるはず!それ故に私は、イエス・キリストという最上のギフトを、もっと知りたいのです!」と飢え渇くなど、これが真実の信仰であり、クリスマスの奥義です。


 余談になりますが、私たちの主イエス・キリストは、今日の「終わりの時」に当たり、悪魔サタンが、如何なる計画(悪しき謀り事)をもって、全世界を支配下に置こうとしているか、全てご存じです。今から一ヶ月ほど前の11月中旬頃、エジプトの観光地シャルムエル・シェイクにおいて、「COP27(国連気候変動枠組条約締約国会議)」が開催されました。


 実はシャルムエル・シェイクの近くに、あの有名なシナイ山が位置しているのですが、登山口の手前において、COP27のオフィシャル・イベントとして、風変わりな儀式(セレモニー)が執り行われました。イスラエルのNGO『国際宗教間交流センター』の司祭(ラビ)が壇上に立ち、旧約聖書の「十戒」のレプリカを、大げさに地面に打ち叩いて割り、その後に新しい「十のルール」を宣言しました。


 彼らの説く新しい「十のルール(原則)」とは・・・・
1.私たちはこの世界の管理者である。(万物は創造主の下に管理されている!)
2.被造物(人)は神の性質を表している。(神に似せて私たちは創造されている!)
3.命ある全ての存在は互いにつながっている。(神にあって人のみが一つとなる!)
4.害を与えてはならない。(人は自然界を治めるように造られている!)
5.明日のことを考えよう。(明日は明日を守られる神が心配して下さる!)
6.私たちの世界の為に、エゴを超えよう。(エゴは罪の源で肉の力では超えられない!)
7.私たちの内なる気候を変えよう。(私たちの全てを新しくする方は神のみである!)
8.悔い改め、立ち返ろう。(神に自らの罪を悔い改めて始めて神に立ち返ることが出来る!)
9.全ての行動に意味がある。(全ての事に神の御心が優先する!)
10.知性を使い、心を開こう。(心・知性・力を尽くして神を愛すれば道は開かれる!)
※(  )内のコメントは著者の信仰告白


 この「10の原則」は一見、今後の地球環境の未来を、人類全体で解決して行くなど、素晴らしい宣言のように映りますが、霊的には「地球イコール全人類共通の神(地球様)!」となる、その「始まり」が垣間見えます。恐らくサタンは、全ての人々に対して「私たちの愛する地球を尊びましょう!そして愛しましょう。尚大地に伏して拝みつつ、人類の過ちを悔い改め、癒しの祈りを唱えましょう!」などと、魅力ある「地球愛キャンペーン」を展開して行くでしょう。私たちが真実の神、主イエス・キリストを求めれば求める程、サタンは相反して「偽りもの」を「ホンモノ」の如くに見せる、そのような邪悪な時代に突入しています。


 では私たちキリスト者は、何をすればよいのでしょうか?更にイエス・キリストを「知る」ことです!ところでルカ福音書23章39~43節には、イエス・キリストを中央に挟んで、両隣に十字架刑に晒された、二人の極悪人(死刑囚)が描かれています。二人共々に、最初からイエスを罵っていましたが、ある時点から片方の者だけが、何度も何度も祈る、イエスの苦渋に満ちた祈りの「言葉」に、ふと耳をすまします。「父よ、彼らは何をしているのか分かりませんから、どうぞ彼らの罪をお赦し下さい!」と。


 その「言葉」に衝撃を受けた彼は、罵り続ける一方の死刑囚に、「もう止めないか!我々は当然の報いを受けている。この方は無罪にも関わらず、十字架に懸けられているのだ。」と言い放ち、同時にイエス・キリストに対して一言、「イエス様、あなたが御国に行かれる時には、どうぞこの私を覚えておいて下さい!」と懇願しました。するとイエス・キリストは、彼に対して優しく語ります。「見よ、あなたは今日、私と共に御国に居る!」と。


 彼はこの言葉を聞いた瞬間、号泣し始めました。彼に全き信仰(永遠の命という希望)が注がれたからです。「ここ(死刑場)で、私の命は終わりではない!」と。イエス・キリストの「覚えている」とは、彼の「霊」がイエス・キリストの「死」と同時に復活し、新たな「永遠の命」を戴くことによって生きるようになる!という、「神の国」にある次元の言葉です。


いつも共に居て下さる聖霊の働き
 イエス・キリストと共にある!とは、イエス・キリストが私たちの内に①宿り(生活を共にし)、②共に居る(暮らす)こと、③永遠のパートナーとして歩むことです。私たちはアダム(エバ)が犯した「罪」が故に、有限的な(限りある命の)存在になりました。しかし「罪」さえ無ければ、本来の人アダム(エバ)は、「永遠の命」を持つ存在でした。そうです!彼らは、創造主の「命の息」が吹き込まれた瞬間に、「永遠の命」によって生きる者となったからです。


 この創造のプロセスは、今の時代も同様に進行しています。私たちがイエス・キリストという、史上最大のギフトを戴き、更に聖霊なる神が「命の息」の如くに、私たちの「霊」の中に働かれることで、私たちは更に奥深く永遠のギフト、即ち御子イエス・キリストを「知る」ことが可能になります。私たちが「助け主」聖霊様に、心から拠り頼んで前進して行く時に、如何なるものにも組せず、如何なるものをも恐れず、如何なる偽物(偶像神)にも仕えることの無い、力強い信仰が与えられるのです。


 私たちが霊と真をもって礼拝すべき方は、真実の小羊なるイエス・キリストだけです!イエス・キリストは今も尚、復活という「新しい命」によって、私たちが生きるようにする為、聖霊様を通して私たちを励まし、かつ助け導いて下さいます。この福音を更に知って、素直に戴いて(受け取って)下さい。


 どうか来たる2023年において、あなたの信仰の歩みに、神の「真実の愛」が降り注ぎ、更に奥深くイエス・キリストを知ることの出来る、豊かな「祝福の一年」でありますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年12月11日のメッセ-ジ)


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