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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神の大庭(No.23)

                        火力を高めるもの




祭司アロンの子らは祭壇に薪を整えて並べ、火を点けてから、分割した各部を、頭と脂肪と共に祭壇の燃えている薪の上に置く。
                                                                                                              【レビ記1章7~8節】


燃やし方の「第一手順」
 今回捧げられる一番重要となるパーツは、「頭」と「肉片」と「脂肪の塊」です。はっきり申し上げて、「頭」は一番燃えにくいパーツです。最大の「火力」が出ている祭壇の中央部に、ある時(タイミング)を見計らって供えれば、何とか燃えてくれるとは思いますが、今回の手順として父なる神は、先ず①薪を祭壇上に燃焼し易いように整えてから、火を下部から点けます。そして煙がくすぶり出し、点火の状態が安定してから、「頭」を中央部に据えます。続いて②「頭」を円形状に囲むようにして、肉片を満遍なく散らします。そして最後に③脂肪の塊を、整えられた薪の外周部に、万遍なく並べます。(※この①から③の手順イメージは、あくまで筆者の憶測の領域で、実際にはどのようにされているのか分かりません)


 余談になりますが、新約に生きる私たちキリスト者にとって、自分の「頭」が燃やされること、これは一体如何なる意味を持つのでしょうか?男性の方々にとっては、笑い話の如くに「あ!髪の毛が真っ先に燃えてしまい、黒焦げのツルツル状態になってしまう・・・・」などと考えてしまいます。また(自分も気にしていることですが・・・・)、「体重」の増加に最大要因となる、「脂肪」を燃やす場合では、「主よ、そうです!脂肪でしたら、どんどん燃やして下さい!どんどん捧げますから」と、簡単に口走るのではないでしょうか。


 皆様にとっても「脂肪」は、メタボリック・シンドロームの基準値に影響をもたらし、非常に私たちの健康を害するものという、悪いイメージで描いています。しかし、栄養学的にも医学的にも、私たちの健康増進を図る上で、適度な「脂肪」を摂取することは、絶対に必要なエネルギー(栄養)源の一つであります。


 恐らく「脂肪」が、私たちの「人体」から無くなってしまったとしたら、私たちの「肉体」は、すぐにバテてしまい、生きるのに大変な結果を生むのではないでしょうか!それ程「脂肪」は、私たちの生きる「力(体力)」に、大いなる活性化をもたらすもの、即ち多大なるエネルギーをもたらしているかを、私たちは改めて知るべきです。つまり「脂肪」イコール、燃やすためのエネルギー源なのです!


「頭」と「油」の関係
 この二つのパーツ、「頭」と「脂肪」は、如何なる奥義として連結関係にあるのでしょうか?ご存知のように「脂肪」は、動物性の「油」でもあります。そして、この「油」は聖書的には、神の「力」を現す聖なるものとして描かれ、私たちは神の聖なる「油」を注がれなければ、何も為しえない(霊的に正しく生きられない)生き方に、変化させられていることに気付きます。


 特に神の聖なる「油」は、私たちの「体」のどの部分に注ぐべきか?それを聖書は簡単に説明しています。それは「こうべ(頭の一部分)」です。ダビデにしてもソロモンにしても、代々のイスラエルの王は預言者を通して、「頭」に任職の油を注がれました。何故「頭」にのみ、油を注ぐのでしょうか?それは、一番燃えにくい部分が「頭」であり、最後まで「火」を長時間に渡って、通さなければならないからです。そして、サタンは知っています。この「頭」さえ支配すれば、「人」は愚かな道を選択し、益々神の「御心」から離れ、傲慢になることを。例えば私たちが神の御前で、この「頭」を垂れるのか、それとも自分の「角」を高々と挙げ、己を誇示するのかなど、非常に「頭」が重要となります。


 「薪」の並べ方(整え方)ですが、「火」を満遍なく燃焼させるために、必ず「空気」の通り抜けを十分に確保すべく、祭壇の中央に「頭」を据えます。そして「頭」の周囲に「肉片」を並べるという、手の込んだプロセスを為します。その後に「薪」の径の太さに十分注意しながら、小さなものから先ず並べ、続いて中間のもの、そして大きなものへと順次並べ、頭部を山状にして重ねてゆく訳です。


 そして最後に「頭」を覆った薪の周囲を、「脂肪」を円形状に囲むように並べます。何故なら、祭壇の周囲(外側)から中央に向けて、「火」を燃焼させた方が、燃焼効率が上がるからです。実はこの時に、「脂肪」が重要な役割を果たしているのです。最初の内は、「脂肪」は中々燃えませんが、一旦「火」が点きますと、「油」の成分が溶け出して、薪に油分が染み込むことで、一気に「火力」を高めることになるのです。


 ですから、神が教え示したこの「全焼祭」の手順は、如何に「知恵」に富んだ方法であるかが分かります。ご存知のように「全焼の生贄」は、その言葉通りに「全て」を焼き尽くす、即ち燃え残りがあっては意味を成しません。そのために「脂肪」が、「火力」を高める大いなる燃焼エネルギーとして、必要不可欠なパーツとなります。つまり「火」の勢いを力付け、燃焼率を高めるものが「脂肪」であり、この時に最初は燃えにくい、中央部にある「頭」のパーツが、全体が効率よく燃焼する上で、重要な空気の通り抜け効果となる等、最適な位置に据えられ用いられているのです。


更なる「油」の注ぎを求める
 このように「全焼祭」においても、「頭」と「脂肪」という二つのパーツが、共に相働きながら重要な役割を果たしているように、霊的なパーツである「こうべ」と「油」も、共に相働きながら関わっていることを、私たちは聖霊様を通して、十分に知らされる必要があります。私たちが「真の礼拝者」として、父なる神の御前に出る時に、例えば「頭」一つ分もたげながら、「私は十分に捧げていますよ!」と誇示するのか、それとも「頭」を完全に垂れて、「私ほど愚かな者はいません!このような私の全てを捧げますから、主よ、あなたの聖めの炎をもって、焼き尽くして下さい!」とへり下るのか等、やはり「頭」が重要となってくるのではないでしょうか!


 しかし主なる神にとっては、私たちの一番愚かな「頭」も、大事なパーツとして、一番多く「油」を注いで下さるものです!私たちが「頭」を垂れながら、「主よ、どうぞ私のこの頭でっかちな性分、そしてあなたの御心よりも、自分の判断に頼ろうとするこの傲慢な頭を、あなたの祭壇上に置きます。どうぞ焼き尽くして下さい!」と告白する時、聖霊様は私たちの中に本来備わっている、霊的な「油」を活性化させ、「天(上)」より注ぐ聖なる「油」と合体させることで、「全焼」の最後のプロセスに至ります。


 自分自身の中にある、「頭でっかち」なパーツが、聖霊様によって更に焼かれるべく、聖なる「油」が豊かに天から注がれ、聖霊様の取扱いによって、完全に焼き尽くされるという霊的プロセスが、あなたの信仰生活に日々増し加えられますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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