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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神の時(No.31)

                              赤色のサイン
 



二人は彼女に答えた。「あなたたちのために、我々の命をかけよう。もし、我々のことを誰にも漏らさないなら、主がこの土地を我々に与えられる時、あなたに誠意と真実を示そう。」ラハブは二人を窓から綱でつり降ろした。・・・・二人は彼女に言った。「・・・・我々がここに攻め込む時、我々をつり降ろした窓に、この真っ赤な紐を結び付けておきなさい。・・・・」ラハブは、「お言葉通りにいたしましょう。」と答えて、二人を送り出し、彼らが立ち去ると、真っ赤な紐を窓に結び付けた。
                                                                                                   【ヨシュア記2章14~21節】
 
赤色のサインの「意味」
 私たちキリスト者にとって、「救い」のシンボルである十字架のカラーは、当然「血潮」の色である、赤色でなければなりません。そして私たちは、天上の「救い」というカラーを帯びた者、即ちイエス・キリストの「光」を放つ者であることも、決して忘れてはなりません。
 
 また世の人々に対しては、イエス・キリストこそが、あらゆる苦難の時の「避け処(避難所)」としての、霊的カラー(サイン)も示さなければなりません。そういう意味で「赤十字社」は、その目的を果たしていると言えるのではないでしょうか!
 
 私たちが「赤色」として、真っ先に思い浮かべるイメージ、それは「血潮」の鮮色です。如何なる哺乳類の「血液」も、殆どが鮮やかな赤色であり、何らかの傷害等で、血を流している様を見た時、私たちは思わず「ドキッ!」とします。何故ならその「赤色」に、どういう状態であるのかを、瞬時に示す「サイン」としての役割があるからです。
 
 ところで「サイン(しるし)」は、第一に目立つことに意味があります。それが「何」を意味するのか、そして遠くから見ても、すぐにキャッチできる程の、カラー(デザイン)でなければなりません。例えば、今回のストーリーにも見られるように、互いに「命」をかけて、約束事を果たす時の「サイン(しるし)」も、血液色と同じ「赤(朱)色」のサインなのです(例えば血判状がこれに当たる)。
 
 「命」と「命」の取引が赤色であること、これはイエス・キリストの「贖い」の契約のしるしが、ご自分を「子羊の生贄」として喩えられた如くに、十字架上に犠牲として屠られ流した、その「血潮」のサインを意味します。このことを私たちが明確に受け留め、自分の「霊」の只中に降り注ぐことで初めて、私たちは贖われ続けるのです!
 
 サインの持つ第二の働き、それは「緊急性」を、素早く知らせることです。ご存知のように、緊急車両(ガス、電気、警察、消防、救急車等)には、必ず赤色のパトランプが装備されています。これがいわゆる「緊急コール」と呼ばれるサインです。
 
 サインの持つ第三の働き、それは信号機(赤・黄・青の三現示)に見られる、「停止(禁止)」・「注意(徐行)」・「進行(許可)」を表示することです。例えば、「停止」を意味する赤色が現示された際には、絶対通過(進入)してはならないことを伝えているので、これを犯した場合には、その「先」にトラブル(事故、或いは違反による逮捕)が待っていることも、同時に伝えているのです。
 
 実は霊的なシグナル(サイン)が、聖霊様によって啓示される時があります。「今はストップしなさい。これ以上、肉の力を頼みとして進んではなりません!」などと。この時に必ず、主イエス・キリストの十字架のサインである、赤色(血潮)が不思議と示されることがあります。
 
 主なる神は何故、「御子(イエス・キリスト)」を子羊の代わりとして、十字架上で屠ったのでしょうか?それは「贖い」の御業が今も尚、有効的に働いていることを示すためには、「黄色(注意を意味する)」では効果がないからです。「サイン(しるし)」が、効力を発揮するためには、やはり「血(赤)の色」が必要となります。
 
 前述したように、私たちは「血の色」を見たら、「ドキッ!」と反応する生物です。何故なら、「血」を流すことには痛みが伴い、場合によっては「命」の危険性が存在するからです。このように「血」を流している様には、殆どの者が耐えられない心境に陥ります。同様に、主イエス・キリストの「血潮」のサインには、必ず「全て」の命の救い(贖い)が、継続して保証されるからこそ、私たちは常に「赤色」のサインを、多くの人々に示していくのです。
 
「赤色のサイン」を常に掲げなさい!
 ラハブに起きた、今回の奇跡のストーリーは、実は終末の時代にも、同様のプロセスをもって、今に生きる私たちに、必ず起きることを物語っています。ご存知のように、私たちは霊的に「この世(エジプト)」から、脱出したキリストの民です。そして、これから霊的な意味で、「国々」を征服していくことでしょう。
 
 しかし、いずれサタンを首領とする暗闇の勢力が、必ず反キリストを台頭させ、イエス・キリストの「花嫁(エクレシア)」を、様々な方法をもって迫害していきます。そのような終末の時に当たり、私たちキリスト者は、どのような方向性と生き方をもって、進んで行くべきでしょうか?
 
 中国の地下教会で活動を続けるキリスト者の如くに、多くのキリスト者が「この世」から隠れて生きる、そんな大患難の時が迫り来る中にあって、十字架のシンボルだけは、ギリギリの瞬間まで示していくのです。「イエス・キリストの聖なる血潮の恵みが、あなたを罪の汚れから完全に洗い聖め、そして あなたを滅びから贖い出すのです!」と。
 
 エリコ全体が、へブライ民族の進来に対して、非常事態体制を取っている最中に、ラハブ家のみが「赤色のサイン」を明示すること、これはとても勇気のある行為でした。やはり味方(エリコの住民)に密告されるかも知れないからです。「彼らだけが妙な事をしている!」などと。
 
 しかし私たちは、次のことを確信している故に、ラハブの如く何者をも恐れません。「イエス・キリストに優る方は、この世にはいない!イエス・キリストは今も尚、復活された真の救い主として、また私たちの聖なる花婿として、ご自分の流された貴い血潮(赤色)のサインをもって、常に守り続けて下さる!」と。そうです!私たちを、常に正しい道へと導くサイン、それがイエス・キリストによる「赤色」のシンボルです。それ故に私たちも、大胆にイエス・キリストの「赤色の紐(十字架)」を、外側(この世)に対して、堂々と明示していく必要があるのです。
 
 二人の斥候は、ラハブ一族(エクレシアの雛形)に対して、二つの指示を与えました。第一の指示は「窓には必ずこの赤い紐を、(私たちが来る直前に)付けたままにしておくこと!そして(これは私の推測ですが・・・・)正門にも、子羊の血潮の塗っておくように!」。第二の指示は「その時には一族の全員を、あなたの家(エクレシア)に集結せておくこと!」。
 
 何が起きるか分からない時代にあって、何一つ動じることが無く、信仰をもって常に礼拝し続ける様を、実は世の人々は見ているのです。ですから「その時」が、たとえ今ではなくとも、常に訴え続けるのです。「ここ(エクレシア)に集まりなさい!間もなく神の裁きが始まり、主イエス・キリストが来臨されます。ここに来さえすれば、全てが救われるのです!」と。
 
 私たちキリスト者は「その時」に向けて、緊急コール(SОS)を発信し続けましょう!私たちが、イエス・キリストの「血潮(赤色のサイン)」を有効的に用いる時、主なる神の「救い」が始まり、それは必ず成就します!あなたの信仰の飢え渇きに対して、豊かなる主イエス・キリストの「血潮」が注がれることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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