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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

信仰の完成(No.1)

                大きな不幸の中にある人々




ハカルヤの子、ネヘミヤの記録。第二十年のキネレウの月、私が首都スサに居た時のことである。兄弟の一人ハナニが・・・・ユダから来たので、私は捕囚を免れて残っているユダの人々について、またエルサレムについて彼らに尋ねた。彼らはこう答えた。「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです。」
                                                                                                       【ネヘミヤ記1章1~3節】



ハナニの「緊急レポート」
  ご存知のようにネヘミヤは、最初はペルシャ帝国のアルタルクセス王に仕える献酌官、そして後にはユダヤ州(帝国領)の総督に任じられる程の、非常にペルシャ王から信頼される人物でした。


  献酌官として仕えている時に、彼は兄であるハナニに対して、祖国(ユダヤ)の状況を調査するよう依頼しました。何年(数ヶ月)か後にハナニが帰国し、スサ(ペルシャの首都)に居たネヘミヤの元を訪れ、「調査報告書」を提出した時、その「報告書」の内容は、ネヘミヤの予想を上回る程の、驚愕の事実が書き連ねてありました。祖国ユダヤは、今までに無い程の荒廃が進み、ハイエナの如き盗賊集団により、ズタズタに蹂躙されている!と。


  ネヘミヤは、その「報告書」を聞き終えた時、愕然としなながらも、膝を屈め号泣しながら祈り始めます。実はネヘミヤが祈った、その「祈りの言葉」は、私たち日本人キリスト者が、今後如何なる方向で歩んで行くべきか?を、真摯に受け留める(考えさせられる)内容です。


国難の時
  そこで今回の記事から、私たちが先ず考えるべき第一の奥義、それは今置かれている日本国の現状が、歴史的に見て①「滅び(滅亡)」に進んでいるのか?それとも②神の「御救い」に立ち返り、霊的に再建されていくのか?という、二つの道に分岐する国難の時にある!という点です。


  しかし残念なことに、この世の「司たち(政治家)」は、「愚かな種」を蒔き始めています。彼らは再び、「天皇」を源流とする八百万の神々を奉り、日本神教とも言うべき偶像崇拝の教えを、日本各地に浸透させようと目論んでいます。今日若い世代の中で流行している、「神社巡り」や「パワースポット体験旅行」なども、彼らの戦略の一つかも知れません。


  安全保障(偽りの平和)を堅持していくために、聖なる「戦さ」(戦争には聖なるものは一つもありません)が美化されつつある、今日の日本にあって、私たちはノホホンとしている訳にはゆきません。はっきり申し上げて、私たち日本人キリスト者には、「霊的な危機感が余り感じられない!」の一言に尽きます。この時のネヘミヤの如くに、国家の霊的現実を正しく見据えて、私たちも「驚愕!」すべき時なのです!


  勿論、「聖霊様」に信頼する信仰は必要です。しかし「危機感」という、背後に断崖絶壁しか無い!日本の「今の有様」を見て、私たちは膝を屈めて主なる神の御前に、ひたすら祈り続ける「信仰」も必要ではないでしょうか!実はハナニの「報告書」の中には、私たちが今後、如何なる方向性をもって、私たちの「信仰」が完全に回復(全治)していくか、その処方箋が述べられています。


四つの「現実」
  ハナニの「報告書」には、四つの重要ポイントが挙げられています。第一のポイント、それは捕囚(バビロン捕囚の時)の生き残りが、祖国ユダにて未だ生存し、彼らは大いなる「不幸」の中で、物凄く困難な生活(生きていく上での肉体的・精神的苦痛)を強いられていることです。


  さて私たち「日本民族」は今、如何なる状況にあるのでしょうか?一見「苦しみ」の中にあるとは、とても言い難きものと写ります。しかし「霊の眼」で見るならば、日本人は悪魔サタンの霊的虜となり、益々隷属状態にあると言えます。つまり日本人は、見えるか見えない次元の中で、巧妙に騙されているのです!見えないもの(こと)は信じようとせず、見える次元のみに頼ろうとする生き方、これが今の日本人です。ですから霊的には、悪魔サタンに虐げられ、大いなる「苦難」を強いられる、それが私たち日本民族の「現実」です。


  第二の報告ポイント、それは現地に住む同胞の民が、不法に滞在する異邦人から見下され、虐げを受け続けていることです。確かに私たち日本人キリスト者は、聖霊様による大いなる恵みを受けて、今日まで前進して来ました。しかし更なる神の「御力」が、私たちにもたらされる為には、私たちが霊的には「虐げられていない次元」の中で、自分の「死」をも恐れない、つまり不動の信仰によって生きている!ことを、力強く証言していくべきです。


  イエス・キリストも「無」に等しき者、即ち卑しい身分の家系に生まれ、常に遜った生き様を示し、最終的には「死」をもって、神の「救い」を現して下さいました。何が「この世」を変えていくのでしょうか?それは見える(朽ちる)物質にではなく、見えざる(朽ちざる)神の「法(神の国と神の義)」を、身(命の代償)をもって証明することから始まるのです。


  私たち日本人の歴史には、多くのキリシタンの「命の代償(血)」が流れています。そのことを思いますと、今に生きる私たちが、彼ら同様に自分の「身(命)」を犠牲にしてまで、聖霊様の下に一致・団結して、共に祈り合って行くことの中に、霊的恥辱(宗教的な差別)からの解放が為されていくのではないでしょうか!


  第三及び第四の報告ポイント、それはエルサレムの城壁が殆ど崩壊し、各「門」が焼け落ちたままの酷い状況にある!ことです。しかし、それを修復するために、少しずつ瓦礫を取り除いたり、神殿の門の一部を再建する者は、誰一人いません。この時に必要とされる再建の手順、それが「神の宮」からのスタートでした。ご存知のようにエルサレム城の中心は、「エルサレム神殿」です。その「神の宮」を守る「城壁」が、瓦礫の如くに破壊されていること自体、イスラエル民族にとって、赦し難き非常事態なのです。


  今の日本のキリスト教界は、まさしくこの時の「エルサレム」と、霊的に見て何ら変わりなきものと言えます。私たちは聖霊に導かれ、全ての聖徒が一致し合って、「愛する私たちの日本国が、このまま行ったら、反キリストが台頭する時に、完全に破壊されることになります。主よ、私もネヘミヤの如くに、この事実を謙虚に受け留め、あなた様の御救いを求めて、真剣に身を捧げ尽くします!」と、共に祈り始める時に初めて、日本の「救い」が完成されて行くのです!


  さーこれからが、いよいよ霊的「戦い」の時です!「祈り」の備えを、賢い乙女の如くに為して行きましょう。例えばある「畑」が、荒れ果てた状況にあるのを見た時、私たちは如何なる「思い」を抱き、そして如何なる「行動」に移って行くかが問われるのと同様に、「神の畑」に関しても、私たちは神の「御心」通りに、それを収穫できる状態に「戻す(整える、開墾し直す)」務めがあるのです!


  与えられた(科せられた)「神の畑」を、主なる神の次元の中で、正しく見て(捉えて)いく者は、神の大いなる収穫(祝福)を受け継ぐことになります。ですから私たちは、その方向性を間違えることがあってはなりません。いよいよ信仰の「種」を、「神の畑」に蒔くなどの、重要な時期に私たちは生きているのです。


  主イエス・キリストによる、豊かな霊的取扱いが、あなたの「信仰」の歩みに更に増し加わり、あなたが喜んで「神の畑」に従事する、神のファーマー(働き人)として仕立てられることを、イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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