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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神の時(No.22)

                      イナゴに蝕まれた人々
 



モーセとアロンはファラオのところに行き、彼に(主の言葉を)言った。「・・・・もし、あなたが私の民を去らせることを拒み続けるならば、明日、私はあなたの領土にイナゴを送り込む。・・・・」・・・・モーセがエジプトの地に杖を差し伸べると、主は まる一昼夜、東風を吹かせられた。朝になると、東風がイナゴの大群を運んで来た。イナゴは、エジプト全土を覆い、エジプトの領土全体に留まった。・・・・イナゴが地の面を全て覆ったので、地は暗くなった。イナゴは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実を全て食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。・・・・
                                                                                               【出エジプト記10章1~20節】
 
「悪しき時代」の中にあって
  今日の時代は霊的に見て、バベルの塔が完成した時代と、非常に似通っているのではないでしょうか。どちらの時代も霊的な高ぶりが、地上「全て」に渡って満ち溢れているからです。どのニュースを見ても分かりますが、人間が本来持っていた、他者を思いやり、共に生き合うという精神が、全く育たなくなる程のもの、喩えて言うならば、緑草が何一つ生えることの無き、荒涼とした霊的フィールドが蔓延している、そんな悪しき時代に突入しています。まさしく蝕まれた状態が、次第に拡がりつつあります。
 
 そのような時代にあって、私たちキリスト者は今後、如何なる生き方をもって、生きるべきかが問われています。ご存知のように私たちキリスト者は、信仰の創始者イエス・キリストに、「全て」の信仰の土台を置いていますから、イエス・キリストの十字架による、主なる神の「御翼の覆い(救い)」によって守られています。
 
 しかし、残念ながら私たちは、今日の時代に生きている以上、霊的イナゴを一匹たりとも、神の宮に入れない程、聖別された状態に至っていないことも事実です。主イエス・キリストの十字架の「血潮」を、いくら自分の「霊」の只中(鴨居)に、霊的に塗った(注いだ)ところで、自分の「霊」そのものが、イエス・キリストの貴い「血潮」によって、完全に覆われていない限り、「イナゴ」が隙間から必ず入り込んで来る、このことを是非覚えて下さい!
 
 実は主なる神ご自身は、いつの時代においても、全ての人々が霊的に頑なになることを、あえて良しとされています。即ち、人々の霊的高ぶりが、余りにも満ち溢れているが故に、主なる神は故意にサタンに対して、その悪しき働きを容認しているのです。例えば「リバイバル」が、日本に未だ起きていない原因を、「イエス・キリストの御心が、未だ日本に整っていない!」とか、「私たち日本人キリスト者が、共に一致していないのも、全てが各教派の驕り高ぶりにある!」などと解釈しがちですが、決してそうではありません!あくまで「憐れみの時」を、主なる神は常に(日本にも)用意しているのです。
 
 そういう意味で、今回のストーリーにおいても、主なる神の不思議な霊的配慮を、私たちは謙虚に心に留めながら、神の奥義について聖霊様から教え示して戴く必要があるのではないでしょうか!
 
「イナゴ」に蝕まれた人々
  先ず第一に知るべき奥義、それは人々の霊的高ぶりが頂点に達する時、如何なる事が起きるのか?という点です。ご存知のように「バベルの時代」は、全ての人々が「我こそは一番の・・・・である!」などと高ぶり合う、そんな愚かな時代でした。実は今日においても、目に見えない霊的世界の中で、バベルの塔の亡霊(イナゴ)が復活(繁殖)し始めています。その結果、彼らの「霊」と「心」は、悪しき力によって盛んに蝕まれつつあります。
 
 例えば、学校現場における「いじめ」という問題を、大人が軽く見過ごしていた、今日の日本社会において、霊的「イナゴ」が溢れ始めています。また古代バビロニアの悪しき力は、今日の時代において「インターネット」という、目に見えない世界から、大量に流出していると言えます。あらゆる最先端の頭脳集団が、世界最速のコンピューターを、真っ先に建て上げるべく凌ぎ合うなど、益々「情報」という名の偶像神が、世界の中心として据えられ、この「情報」という神々が、世界を霊的に支配しつつあります。
 
 サタンは実に、人間の霊的「弱点」を知っています。人の「霊(心)」を奪うものが、アダム(エバ)の時と同様に、所詮人は「言葉(知識、情報)」に弱い存在である!と。「現実」と「仮想」が区別できなくなった時代、それが「今」なのです。インターネット世界に繰り広げられる「言葉」が、他者を精神的にも霊的にも思いやったり、また「平和」を産み出す言葉であるなら、それは素晴らしいものと言えますが、残念ながらその殆どは、他者を「誹謗」「中傷」したりするなど、エゴイズムに満ちた言葉と言えます。
 
 本来人の使う「言葉」は、相手の顔が見える位置で、互いに意志疎通し合うもの、つまりある程度は「事実(言葉の真意)」を、相互に確認できるものでした。しかしご存知のように、インターネット世界で流通する「言葉」、それは目に見えない「仮の言葉」ですから、それが「事実」かどうか確認できないまま、「現実」社会に流布することで、益々他者を霊的に蝕むことになります。そのため他者に対する「無関心」という罪が蔓延し、「自分たちだけが・・・・である!」というセクト主義(縄張り意識)、つまり霊的イナゴの大群が、たちまちの内に発生しているのです!
 
神の「救い」を投げかける
  では第二の奥義について、この霊的イナゴの大群が発生した時に、主なる神は「何」も為されないのか?という点です。答えは「否」、主なる神は御子イエス・キリストを通して、霊的高ぶりを取り除くべく、想像を絶する程の「御力」をもって、必ず対処して下さいます。今回のストーリーにおいて、ある「事実」が記されていませんが、今までの奇跡と同様に、イスラエルの人々の住む、「ゴシェン」の地域だけは、この「イナゴ」の大群は襲来していない、つまり神の「御力」によって、守らていることが伺えます。
 
 それに対してエジプトの民は、この「イナゴ」の大群の襲来によって、如何なる事態に陥ったのでしょうか?「イナゴ」そのものによって、人間が物理的に蝕まれる(食べられる)ことはありませんが、「全て」の食糧(農作物)が、イナゴによって食い尽くされた結果、「明日(将来)」への希望が蝕まれた(絶たれた)のです。
 
 覚えて戴きたいことは、「この時」は実際のイナゴによる、物理的な蝕みによって、人々の生きる望みが失せていくという事態でした。では、今日の霊的イナゴによる蝕み、それは見えざる精神世界に入り込んで来るものです。そして人間が、人間らしくなくなる、そのような事態に陥っていることです。人が霊的に野獣化して、他者の「命」を尊ぶのではなく、逆に食い荒らす程、心の砂漠化が進行していると言えます。そうです!「人」が、「人」を食い物にすることを喜びとする、それが「今日」の時代なのです。
 
 では、そのような彼らに神の「救い」は、全く訪れないのでしょうか?私たちキリスト者は、まさに「今」灰をかぶって祈る、それが緊急に問われています。「今」こそ、私たちは霊的に正しい眼をもって、日本の霊的状態を見定め、キリストの「証人」として「今は未だ救いの時、恵みの時にあります!それ故、イエス・キリストを信じ、神の御救いを仰ぎ求めましょう!そうすれば、必ず贖われます。」と、大胆にメッセージを投げかけるべきです。
 
 もう「その時」が来たら、神の「救い」と「恵み」の門が、完全に閉じられるからです。私たちキリスト者は、霊的に正しく生きる道しるべとして、「この世」に遣わされている!このことを常に覚えて祈りましょう。私たちが霊的な「模範」を示す時が、「今」まさに、この時代なのです!イエス・キリストを信じる、日本人キリスト者の若き世代を通して、この日本全土を駆け巡る、リバイバルの行軍が興されますように。
 
 そして、今の大人世代のキリスト者も、彼ら若き世代を正しく導く霊的教師として、聖霊様による油注ぎを益々受け、正しい言葉をもって導くことの出来る、エテロ(熟練した使徒)に仕立てられることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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