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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

全き信仰(No.4)

                 信仰によって何を戴くのか?




見よ、私は地上に洪水をもたらし、命の霊を持つ、全ての肉なるものを天の下から滅ぼす。地上の全てのものは息絶える。私はあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。・・・・乾いた地の全てのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。・・・・ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。神は、ノアと彼と共に箱舟にいた全ての獣と全ての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。
                                                                             【創世記6章17~18節,7章22節~8章1節】


一番大事な「ギフト」
 仮に父なる神が、私たち一人一人に対して「あなたは信仰によって、何を神から戴きますか?」と問われた時、私たちは一体「何」を願い求めるでしょうか?「え!突然言われても困りますよ。私は何も考えていませんでしたから・・・・」と答えるのか、それとも「分かりました!しかし願い事が多すぎて、ちょっと待って下さい。(頭の中を)整理しますから・・・・」などと、様々に反応する人々が殆どでしょう。


 そうです!私たちが、目の前にある「現実」を見ている限り、私的な「願い」があり過ぎて、一番大事なものが実は見えていないのです。ところが、私たちが肉の眼を閉じる時、本来私たちにとって一番大事なものを、「霊」の只中に座しておられる、イエス・キリストから提供されるのです。それが「信仰」という、「天(上)」より戴くギフトです。


 「この世」に生きる人々は、目に見えるものを先ず求めようとします。何故なら、それらのものは彼らの「肉の欲するもの」、即ち「下」から生じる願いによって、引き起こされるからです。


 ノアの生きていた時代は、今の日本の霊的情勢と何ら変わり無き、自己中心主義が蔓延する時代でした。その中にあって、何故ノアだけが父なる神に、好意を持たれたのでしょうか?実は、私たちの生きるこの時代も、ノアの時代と霊的には変わらない!と、聖霊様が警告を発していることを、あなたはご存知でしょうか?


 ところで、今の地球が宇宙の中で、未だ安定(平安)の中に保たれ続けているのは、創造主なる神の御手による「守り」があるからです!しかし世の終わりには、その御手の力が地球から去り、遂には新しい「天地」の創造の時が始まるのです。


 「その時」には、霊的にも物理的にも、大津波の如き現象が、地球規模で各地に起こり始める故、私たちはノアの如くに、いよいよ「神の時」を待ち望み、目に見える現象にではなく、神の見えざる霊的領域へと、直ちに逃げ込むことを考えましょう!そして、神の「救い」の砦が何処にあるのかを、必死に探り求めていくことが大事です。


 「その時」に一番必要となるもの、それが「信仰」という名のギフトです!これは前述した如くに、「天(上)」より賜るものです。求める者には、必ずイエス・キリストの御名を信じ、口で告白することで戴くことが出来ます。しかしその使い途は、私たちに託されているのです。


ノアの「信仰」
 さてヘブル書の著者は、ノアの信仰について、明確に次のように説明しています。「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けた時に、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。」(ヘブル書11章7節)


 この世の人々は、目に見える神々(偶像)に望みを置き、自分の「信心」から来る、「慰め」を得て生きています。しかしこれは、単なる現実的な「思い込み」に過ぎません!それに対して、私たちが信じる真の神は、確かに目に見えざる神でありますが、常に私たちと共に居まし、私たちを如何なる状況、如何なる場面(時)からも、片時も離れずに守って下さる方です。


 私たちの「救い主」イエス・キリストが、私たちの「罪」の贖いの生贄として屠られ、その貴い血潮をもって、その裂かれた御体をもって、私たちを朽ちるものではなく、朽ちざる永遠の住居へと導いて下さるなど、素晴らしい「恵み」を与えて下さいました。又それによって、復活の新しい体を用意し与えて下さっている!この大いなる事実に、私たちは信仰の望みを置きながら生きています。


 そうです!私たちはノアと同様に、目に見えざる事実によって生きているのです!それ故に、この世の人々から見たら、私たちは気違い(変人)に映るのかも知れません。ノアは父なる神から、「箱舟」を造るように命じられた時、そのことに対して、何ら「疑問」や「言い訳」などの答弁をしませんでした。彼は、純粋に神の「御言葉(ご命令)」を受諾し、神の「設計図」通りに、「神の事実」を完成させることに邁進しました。


 ヘブル書の著者は、ノアの「信仰」の特徴として第一に、彼は常に神の御前に出て、神の「命の言葉」を求めたと説明しています。第二に、父なる神の言われる「言葉」全てに、彼は心底から畏れかしこみ、素直に聞き従ったことです。そうです!彼は疑うこと無き言葉として、父なる神の「お言葉」を、全幅の信頼をもって受け留めたのです。


 そして遂に「箱舟」が完成した時、父なる神はノアとその家族に、「箱舟」に入るように命じます。彼らが「箱舟」に入り終えるや否や、地球を覆う天上の覆いが張り裂け、ナイアガラの滝の如くに、突然大雨が降ってきたのです。


神の「義」として認められる
 その結果、彼の「信仰」の行動(従順)が、父なる神によって「義」とされました。「この世代の中で、あなただけは私に従う人だと、私は認めている。」(創世記7章1節)の「認めている」とは、あたかも「認定証」を、ノアに授けているような表現です。覚えて戴きたい点は、残りの家族(妻と息子夫婦たちの7人)の「信仰」ではなく、ノアの「信仰」だけが認められたことです。


 私たちが求めて止まないものは、神の義という名の認証ではないでしょうか?未だ見ていない事実を、ノアは純粋に信じ、神の「言葉」に従って、「箱舟」を建て上げました。それと同時に彼は、「完成の時」が分からなくとも、天の「御心」を仰ぎ求め続けました。そして神の「救い(箱舟)」の中に、家族を導き入れました。


 私たちは今日、非常に重要な時代の中に生きています。その中にあって、私たちが建て上げるべき「箱舟」とは、一体如何なるものでしょうか?それは、私たちの「霊」の只中に、既に用意(準備)されており、「礎(いしずえ)」もあります。イエス・キリストという名の、大いなる「救いの巌」です。


 そうです!「イエス・キリスト」という基礎の上に、私たちは「神の宮(エクレシア)」を建て上げ、その中で豊かなる、神との「親しき交わり」に入るのです!私たちは日々、霊と真による礼拝を通して、エクレシアを建て上げる使命があります。これは見えざる霊の領域の霊的務めです。しかし、私たちが「朝」に「夕」に為す、「祈り」と「礼拝」が、着実に「神の宮」を、目に見える「神の事実」として確立していくのです。


 「天」の大雨は、間もなく地上にもたらされることでしょう。さー、私たちもノアの如くに、「信仰」という名のギフトを、父なる神から戴いている以上、これを大胆に用いようではありませんか!そして、更に願い求めて下さい!「イエス・キリスト」という名の、麗しい「神の義」を携えて、私たちは出かけて行くのです!私たちに必要な「言葉」は、聖霊様が「その時」に与えて下さいます。


 主イエス・キリストの豊かな臨在が、あなたの「信仰」の歩み、その一つ一つの中に現されますように。聖霊様の「助け」を戴きながら、必要な「歩み」が確かなものとされ、御子イエス・キリストの血潮によって、あなたの「歩み」全てが贖われることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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