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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

復活の福音(No.8)

                              確かな証拠




(ラハブは)言った。「主がこの土地をあなたたちに与えたこと・・・・この辺りの住民は皆、おじけづいていることを、私は知っています。あなたたちがエジプトを出た時、あなたたちのために、主が葦の海の水を干上がらせたことや・・・・シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、私たちは聞いています。それを聞いた時、私たちの心は挫け、もはやあなたたちに立ち向かう者は一人もいません。・・・・私はあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、私の一族に誠意を示す、と今、主の前で私に誓って下さい。そして確かな証拠を下さい。父も母も、兄弟姉妹も、更に彼らに連なる全ての者たちをも生かし、私たちの命を死から救って下さい。」・・・・二人は彼女に言った。「・・・・我々がここに攻め込む時、我々を吊り降ろした窓にこの真っ赤なひもを結び付けておきなさい。またあなたの父母、兄弟、一族を一人残らず家に集めておきなさい。・・・・」
                                                                                                    【ヨシュア記2章9~18節】


「正しい情報(確かな証拠)」を知る
 今回のストーリーに登場する二人の斥候は、「敵国(エリコ)」の情勢を隠密に調査する、いわゆる「スパイ」として、ヨシュアの命令を受けて派遣されました。当然エリコの「城主(王)」も、イスラエルの民がエジプト軍を駆逐し、自国の領土に向けて進軍していることを、様々な「噂」から知っていましたので、彼らの如何なる侵入をも防ぐべく、鉄壁の守りである城塞都市の各門にて、昼夜「歩哨(監視兵)」を立てながら警戒しました。それ故、彼ら二人の「胸中」には、もし万が一エリコ城内の住民に、自分たちの侵入が気付かれた場合には、即連行され処刑されるかも知れない等の、危機(不安)感もあったことでしょう。


 覚えて戴きたいことは、私たちが何気なく読んでいる「聖書」の中に、父なる神の「確かな証拠」がある!ということです。信仰の試練や破船に遭遇する時、自分の肉の「力」では、とても太刀打ち出来ない「大問題(壁)」を前にしても、私たちは「城壁」の大きさ(高さ)に目を向けるのではなく、「聖書」に記述されている「命の言葉」、即ち父なる神が各自に示される(託している)「神の事実」に、信仰の眼をもって見る時に、私たちが被る全ての「物事(問題)」が、既に贖われている(解決されている)ことを、「確かな証拠」として確認できるのです!


 ところで、私たちの普段の生活においても、よく経験することですが、誤った情報が如何に私たち人間を左右しているか、このことに気付いていらっしゃいますか?私たちの今生きる、この時代に伝聞される「情報」の大半が、不確実な情報であると言えます。そしてニュース、新聞から流される情報等、これらは一面的なものを流しているに過ぎません。恐らく、誰かが意図的に情報操作すると、それは偏った「情報」のみが流れることから、「受け手(聞く側)」は誤った情報を基にした判断(解釈)を下し、そして更に不確実性を倍加しながら、流布されることになります。このような誤った情報が多くある時代にあって、私たちキリスト者は、どう行動すべきでしょうか?今の時代に必要なもの、それは「神の事実」にのみ、私たちは常に「信仰の眼」を向け、また「信仰の耳」を傾けるべきであります!


 ラハブも、そのような信仰者の一人でした。「敵(イスラエルの民)」がエジプト軍を駆逐したニュースを、彼女はいち早く知っていました。そして隣国(アモリ人)をも撃破し、いよいよ「エリコ(自国)」へと、彼らが近付きつつある最中にあって、エリコの住民の中から「自分たちは遂に、彼らによって殺戮(滅亡)される!」という、誤った情報(噂)が流布し、大パニックが起こります。そのような混乱した状況の中に、二人の斥候が神の導きによって遣わされるのです。


 ところで父なる神は、実に不思議なこと(神の事実)を、常に為される方です。私たちが思いにも付かない「方法」と「人」、そして「時」と「場所」を用いて、主なる神は「事(神のご計画)」を実現されるのです。そのことを知っていた彼ら二人は、「父なる神が働かれる時には、必ず神の事実があり、自分たちが神のご計画に従う時、それが自分にとって不利な状況下であっても、必ず神の糸口(答え)があるから、ただ前進するだけで道は開かれる!」ことを信じ、敵国の中に紛れ込むことが出来たのです。そうです!今の時代に必要な、私たちが知るべき「神の事実」とは、まさしく彼ら二人が、常に大事に携えていたものです。


「神の事実」
 ご存知のようにラハブという人物は、「エリコ」の住民からも軽蔑される、「身分」と「職業」に就く一女性です。イスラエル民族進軍の「噂」を、十分に知っていた彼女も、当然「明日の命」と「家族(一族)」の将来を心配して、不安な毎日を過ごしていたことでしょう。そこに彼ら二人が遣わされ、聖霊様の大いなる働き(介入)が為されたのです。


 彼女は二人を見た時、瞬時に悟りました。「この者たちは、いつもの外国人の客とは、ちょっと違う。きっとイスラエルからの、隠密の使者である!」と。それ故、すかさず自国の「情勢」を、有りのまま明かし(報告し)、自分の「信仰」を表明したのです。「あなた方の信じる神こそ、唯一真の神であります!私たちの信じてきた神々は、眼に見えても何の力も救いも無き、只の物質に過ぎません。それ故私たちの全てを、あなた方にお委ねしますから、一族の命の保証を約束して下さい!」と。


 そして彼女の告白の中で、一番大胆な信仰表明が「私はあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、私の一族に誠意を示す、と今、主の前で私に誓って下さい。」(12節)の言葉です。この彼女の告白には、彼女が既にエリコの神々ではなく、主なる神の御名の権威を信じて、その「御力」に完全に従順することを宣誓している言葉です。何と驚くことに彼女は、二人に対してだけではなく、主なる神に対して堂々と、「確かな証拠(救いの証明書)」を要求しているのです。


 不確実な情報が氾濫する今の時代にあって、私たちが携えている最も正確な事実で、如何なる者も曲げることの出来ない、イエス・キリストの「復活の福音」が、まさに私たちキリスト者に対して、委ねられているのではないでしょうか!この「福音」を持っていること自体が、実は大いなる特権なのです。まやかしの霊と邪悪な者が、「暗闇」の中から最後の闘いを挑んで来る時、それはあたかも「真の神(救い主)」の如くに出現するため、多くの者がだまされます。しかし私たちキリスト者は、たとえ如何なる時代にあっても、「神の事実」にのみ信仰の眼を向け、神の偽らざる「確かな証拠」を求めましょう。


 ラハブの「信仰告白」に対して、彼ら二人は聖霊の「啓示」を伝えました。「あなたたちのために、我々は命をかけよう。・・・・主がこの土地を我々に与えられる時、あなたに誠意と真実を示そう。」(14節)と。つまり二人は、自分たちの「誠意」と「真実」を示すべく、自分たちの「命」をラハブに託す(差し出す)ことを、神の前で誓約した訳です。覚えて戴きたいことは、これから滅ぼそうと計画している、「敵国」の一国民(家族)のために、自分の「命」を懸ける者は一人もいません。むしろ「お前たちの命を要求する!我々に従いさえすれば、命だけは助けてあげよう」と、威張り散らすことでしょう。


復活の福音
 この「自らの命をもって支払う」こと、これが今回の「復活の福音」です。「命」をもって支払った、贖いの代価の「確かな証拠」として、彼ら二人はラハブに対して「信仰」を要求しました。これが霊的な領収書である、「赤い紐」につながります。私たちキリスト者には、イエス・キリストの「十字架の死」により、贖いの代価が既に支払われています。そしてこの霊的領収書を、私たちが高らかに示す時に、如何なる宗教も太刀打ち出来ない、大いなる「確かな証拠」となるのです。如何なる時代にあっても、「敵(サタン)」からの攻撃にも守られ、「邪悪な者(偽りの救い主)」が出現したとしても、その者に決して膝を屈めることの無い、強い信仰が「上」より注がれているのです。


罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
                                                                                                              【ローマ書6章23節】


 ラハブはこの時、神が示される「確かな証拠」を、信仰をもって受け取りました。私たちの信じる、主イエス・キリストの「贖い」の御業は、「全て」主なる神が与えて下さる、一方的な「事実」です!しかもイエス・キリストの「十字架」は、「死」で終わったのではなく、信じる私たちキリスト者を、御国において神と共に過ごす、即ち「永遠の命」が保証されるのです。イエス・キリストが、三日目に「復活」という、「救い」のしるしをもって、証明(実現)して下さったのと同様に、ラハブは二人に対して「山に入って行き、そこに三日間留ま」(22節)ることを助言することで、一族の「救い」の保証を約束として受け取り、そしてエリコ城塞都市の完全なる「滅び」より贖い出されたのです。


 「罪」の支払う報酬は死(滅びの証明書)だけです。しかし、私たちが受け取った霊的領収書には、ある「サイン」が記されています。その「サイン」とは神の御子、「あなた」を贖う真の救い主イエス・キリスト!です。イエス・キリストは昨日も、今日も、いつまでも変わることなく、私たちの真の神「贖い主」として、あなたの人生を常に見守り、全ての事から贖い出し、「完成」へと至らせる!という、この大いなる「神の事実」を、「あなた」に約束の保証(賜物)として、与えて下さっているのです。


 私たちに与えられている、この霊的領収書の「効力」は、一方的なものではありません。「永遠」から「永遠」へと、如何なる時にも父なる神が、「あなた」の人生に介入して、「神の事実」を見せて(実現して)下さいます。それ故私たちが信仰をもって、高く掲げるべき「御旗」は、イエス・キリストの「十字架」です!あなたが常にラハブ同様、「確かな証拠」を確実に受け取り、その約束の保証として、イエス・キリストによる十字架の「救い」の御業が、あなたの「人生」に更に増し加えられることを、主イエス・キリストの御名で祝福しお祈りします。アーメン!


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