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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

キリストの家族(No.5)

                  天に挙げられたお父さん



エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。
                                                                                                                【創世記5章24節】


 この僅か一節の御言葉の中に、実は聖霊様が私たちに対して、父なる神の「キリストの家族」に対する、大いなる「ご計画」に至った、ある人物の信仰の「モデル(予型)」を示しておられます。その人物とは、エノクのことです。彼はアダムから数えて、七代目の子孫に当たりますが、旧約聖書全般を調べてみても、彼が如何なるプロフィールを持った人物であったのか、何も記述されていません。


エノクとは如何なる人物か?
 「エノクは神と共に歩み」という部分は、更に詳しく表現するならば、「エノクは父なる神と、まるで家族と一緒に過ごす(暮らす)かの如くに、豊かな交わりを優先的に為し、日々の人生を過ごした。」となります。つまり彼は、眠る時も仕事をする時にも、また家族と共に過ごす中においても、あらゆる彼の時間の中心に、父なる神との「交わり」を優先しているのです。まるで父なる神が、自分の妻のような「パートナー(同伴者)」として、位置付けられているかのような「関わり方」です。それ故に父なる神は、エノクを「天」に挙げて下さいました。


 とにかくエノクの人生(生い立ち、歩みなど)に関して、殆ど何の記述も残ってないのですが、唯一つ記述されている事実としては、「突然ある時、神から直接天に引き挙げられ、地上に存在しなくなったお父さん!」ということです。肉体的に「体力」がみなぎり、家族を全面的に支える「力」を持った、人生の一番絶頂期に、家長(大黒柱)であるエノクは、ある時自分の家族から離され、「天」に帰ったのです。


 残された側の「家族」は如何なる「思い」をもって、この「事件」の経過を過ごし、その後どのように生活していったのでしょうか?この点についても、聖書は何も記述していません!ただ私が確信していることは、残された家族全員は、自分たちの「お父さん」が、神によって「天」に挙げられた、その正しい「理由」を明確に知っていたことです!それ故、彼らはこの突然の「事件」を、否定的に「不幸」と把握するのではなく、むしろ「栄誉」として分かち合い、次世代の息子(メトシェラ)を中心に、再び「家族」を建て直したことでしょう。つまり「お父さん」が、何故「天」に挙げられたのか?その「理由」そのものが、父なる神のエノクに対する、偉大なる「ご計画」であり、残された新しいメトシェラ家は、この偉大なる「理由」を、父エノクからの信仰の継承(教訓)として、代々子孫に語り継いだのです。


神との「親しい交わり」
 「神と共に歩む(親しく交わる)」ことは、日本語では簡素な表現ですが、具体的な行動としては「曖昧」なイメージです。しかし、それと同時に「子」を授かった「母親」にとって、この「親しい交わり」という概念が、具体的には「赤子」との関わり方において、何の「曖昧さ」も感じることのない、分かり易い行動として把握できます。実は、「母親」が自分の胎の中に、「新しい命」を宿した時から、この「親しい交わり」が始まっているのです。そして遂に、時満ちて待望の「赤子」を出産し、適切な医療処置を受けた後で、ようやく母の胸横に「赤ちゃん」がそっと置かれ、その可愛らしい我が子の、寝「顔」を見たまさに「その時」、母親は赤子との「親しい交わり」が更に深められ、大いなる至福(充足)を得るのです。


 それと同様に、父なる神が「最初の人(アダム)」を創造した時、創造された側のアダムが為した行動は、まさしく「顔」と「顔」の対面でした。つまり、アダムが最初に為した行動とは、父なる神(創造主)の「御顔」を直接見たことです。実は、この「顔」を見る行為は、「交わり」の概念において、非常に重要な行為です。「顔」と「顔」を付き合わせるという、この単純な動作を 、赤子を出産した母親は本能的に為します。そして「赤子」が為す、「顔」のしぐさや表情を見て、母親は一生懸命に「我が子」が何を訴えているのかを、汲み取ろうと努力します。何故なら産まれたばかりの「赤子」が、未だ言葉によるコミュニケーションが出来ないことを、母親は本能的に知っているからです。一方「赤子」の場合、最初は視力がないのですが、暫くすると次第に母の「顔」が、いつも自分の目に映ってきますので、母の「顔」から愛情を盛んに吸収します。


 「最初の人」であるアダムは、父なる神の「御顔」を常に慕い求め、見上げる(仰ぐ)ように創造されました。それ故、霊的子孫である私たちキリスト者も、父なる神がご自分の「御顔」を、私たちに向けて下さる時に、私たちは初めて霊的充足を得、天から降り注がれる豊かなる「平安」と、神との「親しい交わり」の中に入ることが出来るのです。2006年から2007年にかけて、日本及び隣国の韓国において、児童間の「いじめ」などによる、「自殺」という社会問題がクローズアップされました。その後教育委員会や、PTA及び教師の持ち場(現場)で、「自殺」の原因を巡って「責任」のなすり付けが繰り返されました。


 アダムとエバが「罪」を犯し、「エデンの園」から追放された後も、彼らは再び父なる神の「御顔」を追い求めるべく、「子羊」の生贄を常に捧げました。すると父なる神は、再び「御顔」を彼らに向けて下さり、彼らの捧げる「全焼の生贄」を喜ばれたのです。彼らはこの時の教訓を、自分たちの子孫に代々語り継ぎました。ところが「人」というものは、依然として「罪」に深く染まり、「肉の力」を頼みとして生きていく中で、この大事な「教訓」を忘れ去ったのです。


 「親しい交わり」とは、私たちキリスト者(子)と、父なる神(父親)との「関わり方」という、父子間のイメージで把握し直すことが必要です。つまり優しい、慈愛に満ち溢れた「御顔」をもって、あなたのことを暖かく迎え入れて下さる!そのような「お父さん」が存在する、この信仰のイメージだけは常に抱き続けて下さい。そしてイエス・キリスト(神の独り子)が、いつも私たちに望まれることは、「父」が「子(あなた)」の顔を、片時も見放すことなく見守り続け、そして更に「言葉」をもって語り続けて下さっていることに、あなたが気付いてほしいことです。


 前述した「自殺」問題の根本原因は、まさしく「言葉」の投げかけ合い(コミュニケーション)という、基本的な「交わり(関わり方)」が、各現場で為されていないからではないでしょうか!ある時は、「言葉」による本当の意味で、本音(心)と本音の「ぶつかり合い」も必要です。その結果、互いの「意思」が確認でき、心から理解し合える現場(フィールド)になるのです!その最先端の現場こそ、「家族」という基本フィールドです。そういう意味で、「親」の立場にある者は、我が子を「学校や塾に任せれば、どうにかなる!」などの発想を改めて、「親」としての責任を常に果たすべく、①いつも子の顔を真剣に見て、②必ず言葉を投げかけることで、③子からの言葉(応答)に対して素直に聞くという、この単純な「交わり」を為すことです。


神と共に歩む「家族」
 私たち「人」ですら、言葉による「交わり」を重要視するのであれば、父なる神はなおさら、私たちとの「親しい交わり」を求めておられます。エノクが為したことは、とても単純なことです。彼は何をするにも、父なる神に相談し、父なる神の「御言葉」に聞き従いました。ある時は父なる神の「応答」が、中々返って来ないこともありました。しかし、彼は先ず「全焼の生贄」を捧げた時に、必ず父なる神が「御顔」を向けて下さることを、十分に知っていましたから、何も心配することがありませんでした。それ程の「信頼関係(親しい交わり)」が、神との間に確立されていたのです。それ故に父なる神は、エノクを「天」に召し出されたのです。


信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。
                                                                                                              【ヘブル書11章5節】


 神と共に歩む「家族」に、父なる神が与えて下さる「祝福」が、如何に素晴らしいものであるか、また私たちキリスト者もエノクの如くに、将来父なる神の御元である「天」に召し出される時、「あなたは私にとって、何と喜ばしい歩みをしてくれたね!」などと、微笑みと優しき「御顔」をもって、神があなたに語りかけて下さるか、この二点をヘブル書の筆者は、重要な真理として私たちに教えています。


 父なる神は必ず、愛する「あなた」に対して、素晴らしい神との「親しい交わり」を用意して下さいます。私たちの「思い」も寄らない方法を通して、神との「親しい交わり」が、あなたの「家族」の中にも現され、あなたの語る「言葉」の中に、イエス・キリストを愛する「信仰の言葉」として、豊かに増し加えられますよう、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン!


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