バルナバ・ブログ村診療所

命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

急患診療(No.11)

                                第三の罠



更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世の全ての国々とその繁栄ぶりを見せて「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。
                                                                                                 【マタイ福音書4章8~11節】


サタンの仕掛ける「罠」
 イエス・キリストの人の子として「歩み」は、私たちの人生という「歩み」においても、大小を問わず様々な形態をもって起きてくること、これを先ず覚えて下さい。そしてイエス・キリストが、今回のストーリーの中で、サタンによって誘惑される、「第三の罠」に対して、聖霊の働き(助け)を通して、見事に勝利した訳ですが、このストーリーから示される、一番重要な奥義について、私たちは改めて学ぶべきです。


 この出来事の後イエス・キリストは、様々な「敵」からの迫害にも耐え、多くのイスラエルの民の、リーダー(英雄)的存在になった!と、このように私たちが把握しますと、私たちも「この世」を選択するのか?それとも「神の次元」を選択するのか?などの「二次元の論理」で、勝利に至る方策(最後のテスト)を見出しがちですが、はっきり申し上げて、これこそサタンの「誘惑」に陥る危険性があるのです。


 サタンは確かに荒野において、自ら直接三つの「罠」を用意し、イエス・キリストに対して、甘い攻撃を仕掛けました。そして今回の敗北の後、サタンはイエスの元を去りました。だからと言ってサタンは、イエス・キリストに対して、攻撃することを完全に諦めた訳ではなく、この後今度は「人」を使って、様々に誘惑の手を差し伸べ尽くしました。「人」の中でもイエス・キリストにとって、一番信頼していた「家族」や「友」、そしてある時は自ら選んだ「弟子たち」、そのような「人」の中にも、サタンは「罠」を用意したことが、福音書の中に記述されています。


 しかし覚えて下さい!私たちが、イエス・キリストと同じように、サタンの「人」を通して仕掛けてくる、巧妙な「罠」の誘惑に出くわしたとしても、その「罠」をも同時に支配し、その「罠」を通して、逆に私たちを更に練り聖められる方、即ち聖霊様が私たちと共に居て下さる!こと、これが非常に重要な事実です。


「第三のフィールド」に潜む罠(危険性)
 サタンが選んだ「第三のフィールド」というものを、私たちが改めて霊的に学ぶ時に、私たちは「あ!私も必ず、イエス・キリストと同じように、この第三のフィールドへと導かれる」こと、これを知らされる(体験する)ことでしょう。「第三のフィールド」とは、「非常に高い山」の頂を指します。


 「第二のフィールド」、それは「聖なる高き所」でした。ところが今回は、聖なる神殿ではなく、ただの「山頂」です。そこは世界一高い山(エベレスト山)でもなく、恐らくエルサレム市街を見渡せる程度の、イスラエルでは高いクラスの、ある「山頂」だったのではないでしょうか。サタンはイエス・キリストを、「第三のフィールド」に導いた直後に、次のように話しかけ誘いました。「おい、イエスよ!これらのものを見渡してごらん。」と。サタンの誘惑の言葉の特徴は、必ず「見てごらん!」の言葉に始まります。つまり「目」という視覚領域に、誘惑の働きかけを行います。


 続けてサタンは、「これらのものを全て、お前に差し上げようではないか!ただし・・・・」とうまい話を持ちかけますが、「ただし」という取引き(商い)も付け加えました。「ただしお前が、今の生き方(神のみに仕えること)から180度転換して、たった一度でいいから、この私を拝むこと!そうすれば、全てがお前のものになる。」と。この時、イエス・キリストは知っていました。サタンが提示した「全て」の所有権は、サタンに属するものではなく、万物の主(父なる神)の創造の産物であり、いずれは「御心の時」に、自分が父なる神から譲り受けるものであることを。


 覚えて戴きたいことは、サタンがイエス・キリストに対して、うまい話をもって問いかけたことは、父の財産の相続権に対して、取引きを持ちかけたものではなく、イエス・キリストが最終的に、御父から何の「目的」をもって、人の子として遣わされたのか?という、父なる神が御子(イエス・キリスト)に託した、「救い(贖い)」のご計画を破壊することでした。イエス・キリストにとって「この世」のものは、確かに自分に委ねられたものであっても、イエス・キリストが「人の子」として「この世」に遣わされた、真の「目的(ゴール)」というものは、この世の「君主」の如くに、先代の王から「新王」として任命され、戴冠式を経て「王国」を受け継ぐ(統治する)などの、世的な次元にはありませんでした。


 むしろイエス・キリストは、その逆の歩みをするために召された!と言ってもよいでしょう。イエス・キリストは、「この世」のものを全て失い、「この世」の富、名声、権力などではなく、たった一人(一頭の羊)の命を救う(贖う)ために、ご自分の「命」を「死のフィールド(十字架上)」に捧げ、人々の前で恥をさらけ出すこと、これが父なる神から見せられた、聖なる「シーン(ゴール)」だったのです。


 サタンが、私たちに対して見せる「シーン」は、華々しく栄光に包まれたあなたという、「この世」に属するビジョンです。それに対して聖霊様が見せるシーンは、もしかしたら「あなたの恥」、「そしりを受けるあなた」、キリスト者であるが故に被る、「理由無き憎悪を受けるあなた」かも知れません。あなたは今、どちらの「シーン」が目に浮かびますか?「聖なるフィールド」と「汚れたフィールド」の違い、これを私たちが霊的に見誤りますと、神が求める栄光ある「シーン(ゴール)」というものを、例えば「栄光あるリバイバルを勝ち取る!」などの、人間的ビジョンを描きながら、肉的に邁進しようと試みることになります。そして「あなたの教会」がリバイバルし、教会員が増加していく中で、今までの「苦労」が「慰め」へと変わる、これが神が自分に与えた「ゴール」と思う(確信する)など(実際は霊的に勘違いしているだけですが・・・・)。


「第三の罠」に勝利する秘訣
 しかしイエス・キリストはこの時、サタンの甘い「誘いかけ」の言葉を聞き流して、逆に聖霊様の厳しい「勧告」の言葉に、「霊」が動かされたのです。「あなたが目指す聖なるフィールドの、一番高き場所は十字架上であり、そこにあなたは全てを捧げるのです!」と。第三の「罠(フィールド)」は、神の御子イエス・キリストばかりでなく、私たちの霊的戦いの中に、サタンが頻繁に仕掛けてくるものです。キリスト者にとって、サタンのもたらす「世のフィールド」と、聖霊様が導く「聖なるフィールド」は、決して混じり合うことも、妥協するところも無い、つまり常に反目(敵対)し合う関係にあります。


 ですから、私たちキリスト者にとって、「この世」において生きるということは、はっきり申し上げて、我慢ならない(耐えられない)次元にあり、「主よ、どうぞ私を世的な事柄から、贖い出して下さい!ここに居ますと汚れてしまいます!」と懇願する程、それは忌まわしき領域です。例えば、「この世」の悪しき霊に縛られた人々は、あたかも「世的な事柄」が、安心(保障)を与えるものと霊的に錯覚します。しかし聖霊様が私たちに、いつも見せて下さるシーンは、「この世」における恥、そしり(ののしり)、唾を吐きかけられ、精神的にもボロボロにされるなど、霊的な面で十字架上と同じ場所、つまり「死のフィールド」に導かれること、このシーンを決して忘れないで下さい!


 真のキリスト者にとって「この世」は、霊的に生きる場所ではありません!私たちが求めるべき、正しいポジション(聖所)、それは神が住まわれる私たちの「霊」の中心、即ちイエス・キリストの御前です!このイエス・キリストと、いつも共に貼り付けにされた、「十字架上のあなた」という聖なるシーンを、聖霊様の啓示によって描いて下さい!「私が、世的に生きることを求めるのではなく、いつも主なる神のみを崇めます。イエス・キリストの十字架の死と共に、この私も死にます!それ故、この世の次元をもちかける、悪しき霊とサタンよ、私の霊から直ちに退却せよ!」と信仰告白をもって表明すること、これが「第三の罠」に打ち勝つ秘訣です。


 私の「霊」が生きる場所は、イエス・キリストの御前だけです。聖霊様は、失敗だらけの私たちを、必ずイエス・キリストの御元へと導く方です。霊的な「死のフィールド」において、聖霊様を通して為される数々の取扱いが、必ず「あなた」を聖なる器に造り変え、最後の「魂の大収穫」の時に、有用なキリストの花嫁として霊的に祝福されることが、既に「ご計画」の中で約束されていることを、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン!


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する