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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

急患診療(No.10)

                         主の家に帰ろう!



                  主は羊飼い、私には何も欠けることがない。
                  主は私を青草の原に休ませ、
                  憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせて下さる。
                  主は御名にふさわしく、私を正しい道に導かれる。
                  死の影の谷を行く時も、私は災いを恐れない。
                  あなたが私と共にいて下さる。
                  あなたの鞭、あなたの杖、それが私を力づける。
                  私を苦しめる者を前にしても、あなた私に食卓を整えて下さる。
                  私の頭に香油を注ぎ、私の杯を溢れさせて下さる。
                  命のある限り、恵みと慈しみはいつも私を追う。
                  主の家に私は帰り、生涯、そこにとどまるであろう。
                                                                                         【詩篇23篇1~6節】


「真の牧者」がおられる限り・・・・
 百年に一度と言われる、経済的「大恐慌」と豚インフルエンザという、世界規模の二つの大嵐(2008年のリ-マン・ショック)が過ぎ去って、かれこれ10年になる時代の中にあって、①私たちキリスト者は「何」をもって生き抜き、「後の雨」の大収穫の時が、いよいよ間近に迫っている時に、②私たちが生きていく上で、必要とする全ての糧が何処にあるのか?この点について霊的に問い質しながら、父なる神が示して下さる、「正しい道」を歩んでいく必要があります。


 「主が私の牧者であるならば、私が必要とする全てを、主なる神はご存知であるばかりでなく、それを常に用意し与えて下さる。そしてその時は、必ず主の御心通りに約束されている!」こと、この点を私たちは時折忘れます。一匹の子羊(私たち)は、弱き存在です。しかしこの「子羊」を、如何なる「敵」や、危険な「状況」からも常に守り抜かれる方、それが「真の羊飼い(イエス・キリスト)」です。


 イエス・キリストは、一匹の「子羊」を守り導き、優しく養い育てるが如くに、私たちのことを常に見守り、実際にある時は直接、「御手」をもって懐に抱いて下さり、私たちに必要なものを与えて下さる方です!この信仰の原点(イメージ)を、私たちは常に覚えておきましょう。


「主の家」に用意されている祝福
 「大嵐」や、真っ暗な「闇の谷間」を歩く時にも、主なる神は私たちのことを見捨てた訳でもなく、何処か遠い所へと旅立たれた方でもありません。主なる神はいつも、私たちの歩みの先を行かれ、聖霊を「助け主」として遣わして下さり、私たちが何処に向かって歩いて行くべきかを、丁寧に教えて下さっています。イエス・キリストには、常に私たちと共に居まし、「真の牧者」として、私たちのために必要なものを、いつも用意して下さり、最終的には「大牧者なる方(父なる神)」の住まう「主の家」に、私たちを連れ帰るという使命があるのです。それ故私たちは、「主なる神、我が牧者なれば、乏しきこと決してあらず。そればかりか、如何なる災い・恐れの中にあっても、御霊なる神が正しき道を歩ませて下さる!」ことを信じましょう。そして私たちは、天の「お父様」の御元に返るのです。


 恐らく「この世」の人々は、私たちに質問して来るでしょう。「何故あなた方は、この不景気の嵐の中にあっても、そのように笑顔でいられるのですか?カミサマ(キリストさん)の祝福が、やはりあるのですか?」と。私たちが「キリストの子羊」として生きる使命、それは「真の牧者」がおられる、即ち「主の家」には、「親しい交わり」が常に用意され、私たちが必要とする「全て」を、必ず時に応じて与えて下さる父なる神に、私たちが聞き従っていくことです。そうすれば私たちは、「正しい道」を歩んでいくことが出来るのです!このことを、私たちが「キリスト者」として、自分の「生き様(証言)」として、人々に語り示していく時に、「真の神」に飢え渇く人々が、「主の家」に帰って来るのです。


 これから益々、「世の中」は愛が冷え切っていくことでしょう。しかし私たちは、神の大いなる「キリストの家族」として、「何一つ欠けることの無い、世の人々からも霊的に嫉妬される程の、天の産物に満ち足りた生活」、つまりイエス・キリストの「愛」に包まれた、素晴らしい人生が約束されています。私たちが「神に全てを捧げます!」と表明する時、父なる神は必ず確かな「応え」をもって、与え示して下さいます。ならば私たちは、何も持てるものが無くても、「神の宮」に来て、父なる神ご自身を呼び求めさえすれば、私たちの真の牧者なるイエス・キリストは、私たちに必要なものを与えて下さる!また「その時」は近くまで来ている!と信じて前進しましょう!



イエスが起き上がられる時


そこで、弟子たちは群集を後に残し、イエスを船に乗せたまま漕ぎ出した。・・・・激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫(とも)の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、私たちが溺れても構わないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「何故怖がるのか。まだ信じないのか。」
                                                                                               【マルコ福音書4章36~40節】


 ところが私たちには、常に次のような誘惑が付きまといます。最初は純粋に、父なる神が「真の牧者(イエス・キリスト)」を通して、祝福に至る「正しき道」へと導いて下さる!このことを信じて、イエス・キリストに付き従って行きます。しかし、実際に祝福され出しますと、神の見えざる「御手」から離れて、自分の「肉の手」で掴み得たかのように錯覚するなど。


 私たちの「真の牧者」は、「この世」の宗教が説くような、「困った時の神頼み」などのご利益的な神ではありません!私たちの「主なる神」は、常に私たちを「主の家」に招き寄せ、あらゆる不測の事態の時にも、霊的な「シェルター(隠れ家)」を用意されるのです。


 私たちは、「先(将来)」を心配する必要はありません!世界的な経済の「大嵐」が始まったということは、私たちの「エクレシア(霊的な箱舟)」の、中心に居ますイエス・キリストが、ついに立ち上がって(起き上がって)、「全身しようじゃないか諸君!この大嵐の中で溺れそうになり、漂流している人々を贖い出すべく、我々は最後の救い舟として、この大嵐の中を漕ぎ出そうではないか!諸君は、この舟に乗っている限り大丈夫だ。私が居るではないか。心配することはない!」と、今の私たちキリスト者に、大いなる号令(最終指令)が発せられているからです。


 皆さん覚えて下さい!これからの時代は、多くの人々が慌てふためきながら、「滅亡の潮流」の中で漂流して行くでしょう。しかし私たちは、「否!私たちは大丈夫です。この大嵐の中にあっても、私たちキリスト者は大いなる船出となりました。神の宮(主の家)として前進しているから、どんな時でも大丈夫です。皆さんの中に、困ったことがあるのでしたら、一度いらっしゃって下さい!主の家には、豊かな祝福が満ち溢れていますよ。是非、来て見て下さい。多くの人々が実際に来て、豊かに祝福されています。皆さんが実際に来て見て、その事実を確認しない限り、いつまで経っても分かりませんよ。ここで議論している時間はありません。私たちの信じる神は、いつも生きて働かれる、真の神(牧者)です!」と、大胆に宣言(証言)する時代に突入しています。


 あなたが、父なる神によって「全て」の面で恵まれ、真の牧者イエス・キリストとの「親しい交わり」と、折に適った「助け主(聖霊様)」の、「上」よりの力をもって、今後吹き荒れる大嵐の中にあっても、更に前進できることを、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン!


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