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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

急患診療(No.7)

                                第一の罠



さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、「霊(聖霊)」に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
                                                                                                   【マタイ福音書4章1~4節】


まさか聖霊様が・・・・?
 イエス・キリストは、「神の子」としての使命を実行するに当たり、四十日間に渡る「試みの時」を、父なる神から命じられました。私たちは、この記事を三次元的に読み間違えますと、イエス・キリストは「神の子」であったから、四十日間の「試練」をパスできたものと解釈しますが、この「試みの時」は、実は私たちキリスト者にも、同じプロセス(霊的な導き)をもって、父なる神が用意されるものである!こと、これを先ず覚えて下さい!


 1節の御言葉を詳訳しますと、「聖霊自らが、イエス・キリストを荒野に導いた」ことが記述されています。つまり聖霊様が、「人の子」であるイエス・キリストを、わざわざサタンの「試みの領域」へと導いているのです。え! まさか聖霊様が、私たちをサタンの働く領域へと、導くことがあるのですか?然り!実はあるのです。しかしそれは決して、私たちを「悪の世界」に引きずり落として、霊的な失敗者とするためではありません。その理由は、ある程度私たちを霊的に自由にすることで、私たちが学ばなければならない、正しい「真理の道」を、サタンの「試みの領域」の中において教えるためです。ご存知のようにイエス・キリストは、決して「罪」を犯したことの無い、汚れ無き「子羊」です。しかし、そのような「子羊」でさえも、聖霊様はわざわざ、「悪しき勢力」の手に委ねたのです。


「世の君」ではなく、「真の王」に膝を屈める
 私たちは霊的に気付いていませんが、実は迫り来る「大きな問題(現実)」を、様々なメディアを通して知らされています。例えば、それはガソリン価格や「とうもろこし」等の高騰に見られるように、供給不足から生じる世界的規模での「食糧」、或いは「エネルギー」危機という問題です。私たちキリスト者にとっても、今日起きている巨大な「現実」だけを見ていますと、「一体これから、どうなるのだろう?」と、「明日の糧」を心配するなど、サタンの「試みの領域」へ引きずり落とされることでしょう。恐らく世界的に、「食糧及びエネルギー政策」を中心として、「ある者」の外交・政治的手腕により、一元化(統一)されることになると、聖書は預言しています。「ある者」とは、ご存知のように「反キリスト」のことです。


 毎日流される「ニュース」を見る限り、かつては富める国であった「日本」は、「日々の糧」を心配しなければならない程の、「飢饉の時代」に突入しています。そのような「日本」に暮らす、私たちキリスト者ですが、だからと言って私たちが、「日本」において干からびる訳ではりません。それは霊的には、エジプトの「食糧」を頼みに、「エジプト(試みの領域)」まで下って来た、ヨセフの兄弟たちに働かれた、聖霊様の「導き」を、私たちが正しく学ぶために、今の「試みの時」があるのです。彼らは確かに、エジプト王の「寛大さ」を求めこそしましたが、決してエジプト王に膝を屈めた(命乞いをした)訳ではありません。ですから主なる神は、そのような「飢饉」の中にあっても、必ず私たちキリスト者が、「エジプト王(反キリスト)」にではなく、真の「王の王(イエス・キリスト)」の御前に膝を屈めるという、霊的な「真の礼拝者」の生き方を貫くことによって、「天の糧(マナ)」を与えて下さることを、私たちは信仰をもって祈る必要があります。


 私たちは四十日間に渡る、イエス・キリストの「試みの時」と同様に、日々迫り来る「大きな現象」だけに目を留めると、サタンは「甘い囁き」の声をもって、私たちに近づいて来ることでしょう。「あなたはさぞかし、大変な苦労を為されていますね。現実は厳しいですからねー・・・・。でもね、あなたが信仰をもって、その現実に対して一言命じたら、きっと好転するはずですよ。『主よ、この現実から救い出して下さい!』と。」確かに「現実」からの救いを求める余りに、イエス・キリストの「奇跡」を信じて祈り、イエス・キリストの「御名」を宣言することは、決して間違いではありません。父なる神にとって、「現実(石ころ)」を「奇跡(パン)」に変えることは、いとも簡単なことです。仮に「奇跡」が起きたとしても、私たちは「奇跡」を受け取り、その時大いに喜ぶことはあっても、本来立ち返るべきイエス・キリストの「御元」に行く者は、恐らく十人中一人だけでしょう。


 イエス・キリストも四十日に渡る断食の中で、聖霊を通して「試みの領域」へと導かれ、「人の子」として試されました。サタンはイエス・キリスト近づき、優しく語りかけました。「あなたには、負い切れない程の重荷が、本当に多くありますね。この国を見て御覧なさい!現実的に民は、ローマ帝国の圧制に苦しめられ虐げられています。しかし真の王を求めて、彼らは必死に祈っていますよ。あなたこそ、真の王であるはずだ!だから今のこの時は、もうそろそろ、終わりにしたらどう?目の前にある石ころ、何となくパンのように見えないかしら?あなたがたった一言、神の権威の言葉をもって、この石ころにパンになるよう命じるだけで、あなたは奇跡を手に入れることが出来るのです!」と。私たちの信仰生活の中にも、このような「試みの時」は数多くあります。「現実」が苦しいからと言って、父なる神の「御心」を見る(祈り求める)のではなく、「現実(石ころ)」に対して、「己の声」を頼みに「世」と妥協する命令(判断)を、自分の信仰生活に下すのであれば、そのような人は必ず、「反キリスト」が台頭した時に、何のためらいもなく、彼の下にひざまずくことになります。


「第一の罠」-聖なる導き-
 しかし覚えて下さい!たとえ「現実」が、明日がどうなるか分からない程の、「飢え」と「苦しみ」の中にあったとしても、主なる神は私たちを「孤児」とはなさいません。必ず折に適った「助け」と「天の糧」を、エリヤ同様に運んで下さいます。聖霊様は何故、イエス・キリスト同様に私たちキリスト者にも、「第一の罠」を用意されるのでしょうか?「罠」という言葉の持つイメージに対して、私たちは何となく抵抗感を覚えますが、この「第一の罠」は言い換えれば、第一段階の「聖なる導き」と把握して下さい!聖霊様の「聖なる導き」を、私たちがはっきりと見出すためには、「現実(石ころ)」だけを見ていては、いつまで経っても見えてきません。


 聖霊様はイエス・キリストに対して、サタンの「誘惑の声」の後に、間を入れずにすぐ語られました。「確かに父なる神の御言葉は、現実(大きな問題)に対して、有益な結果(奇跡)をもたらすことでしょう。しかしそれは、あくまで一時的なものに過ぎません。あなたは何故、ここに導かれているのですか?それは私自らが、あなたを選び召し出し、あなたを聖なる『贖いの子羊』として、先ずここに導いたからです。あなたが為すべきことは只一つ。現実がどうであっても、父の御前にひざまずき、父の御心を求めて、静かに父の取扱いを待つだけでよいのです。あなたから、何も求める必要はありません。あなたは、何によって生きていますか?あなた自身から生まれる、人の言葉によって生きているのでもなく、この世の人々が食する、パンによって生きているのでもありません。即ち、人はパンによって生きているのではなく、神の口から出る命の息(命の言葉)によって、生かされているのです。そしてあなたは、神の霊によって導かれているのです!」と。


 私たちにが「現実」を見る時に、二つの「選択肢」が用意されます。第一の選択は、三次元的な「眼」をもって「現実(石ころ)」を見てしまい、「主よ、どうぞこの石ころを、パンに造り変えて下さい!」と、悲観しながら祈り求める・・・・。第二の選択は、目の前の「現実(石ころ)」がどうであれ、その先にある見えざる領域の中で、自分のために「貴い命」を捧げ尽くされた、「贖いの子羊(イエス・キリスト)」が、常に「堅固な岩」として、必ず私を支え導いて下さる!と信じ切ること。つまり、如何なる時にも主なる神は、私のことを片時も見放すこと無く、また孤児とすることも無く、最終的には「悲しみの涙」の代わりに、「喜びの束」を携えて戻って来られる、真の「花婿(イエス・キリスト)」の元に、私たち(花嫁)を導いて下さるのです。あなたは、どちらの選択肢を受け取りますか?つまり「石ころ」のみを見て、サタンの「試みの領域」へと騙されて行くのか、それとも神の見えざる領域にある、「堅固な岩(イエス・キリスト)」に信仰の土台を据え、神の語られる「命の言葉」に期待して行くのか?主なる神の「聖なる導き」が、明確な「道筋(真理の道)」として、あなたの信仰生活に現れ出ることを、主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン!


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