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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Faith(No.15)

「決断の時」その前哨戦




・・・・ダニエルは宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心し、自分を汚すことはさせないでほしいと侍従長に願い出た。・・・・侍従長はダニエルに言った。「私は王様が恐ろしい。・・・・お前たちの顔色が悪くなったら、お前たちの為に私の首が危うくなるではないか。」ダニエルは、侍従長が自分たち四人の世話係に定めた人に言った。「どうか私たちを十日間試して下さい。・・・・その後、私たちの顔色と・・・・宮廷の肉類を戴いた少年の顔色をよくお比べになり、その上でお考え通りにして下さい。」
【ダニエル書1章8~13節】



「聖さ」を守る戦いの始まり
 今回の「決断の時」は、ダニエル及び三人の友人たちが、バビロン王の勅令を拒否して、燃え盛る「火の炉」にて火刑に処せられる、「最終決戦」の直前の信仰的決断のことです。「最終決戦」の前哨戦となる出来事が、今回の記事に詳しく描かれています。


 彼らは当然の如く、自分たちの行動如何によっては、彼らに好意的な侍従長アシュペナズの「生命」が、逆に死の危険に晒されるなど、非常に危機的状況にあると悟っていました。しかし彼ら四人の決断には、微塵の「妥協点」が一切ありませんでした。


 今日の「欺きの時代」にあって、サタンは私たちが「世の次元」と、「神の次元」の両方に足を置く、つまり霊的に二股懸けた「生き方」を推奨します。しかし「その時」に聖霊様は、「決して世に妥協してはなりません!神ご自身が聖なる方である限り、あなた方も聖なる者となりなさい!」と、強く𠮟咤激励して下さいます。


 「聖い」とは、一切の「汚れ」を容認し(相容れ)ない、断固とした状態(姿勢)です。彼らも当初、侍従長が困るぐらいなら、何とか「妥協点(解決法)」は見出させないものか?と、様々に悩み苦しみ祈ったことでしょう。「侍従長のご厚意を超えて余りある、主なる神のご計画は、一体何処にあるのだろうか?」などと。


「命」を懸けた決断
 今回の記事の中において、私たちが真剣に考えるべき行動は、「決める(決断する)」ことです。この「決」という漢字の付く言葉には、例えば「決心」(8節)、そして「決意」と「決断」がありますが、それぞれ「意味合い」が異なります。先ず①「決心」は、頭(三次元的思考)で物事を決めることです。それに対して②「決意」は、「決心」よりも更に踏み込んだ、強い「意思」の表れです。最後の③「決断」は、決意したことを絶対に違えることが無きよう、あえて退路を絶つ!という、自らの「命」を懸けた、真剣な表明(態度、姿勢)です。


 仮に、今回の彼らが決めた摂取メニューの中に、上記の三つの言葉を入れてみますと、非常に「意味合い」の違いが見えてきます。先ず「酒と肉類を、一切食べないと決心した。」続いて「酒と肉類を、一切食べないと決意した。」最後に「酒と肉類を、一切食べないと決断した。」となり、「決心」や「決意」よりも、「決断」の方が、如何に「決める」重みが違うか分かります。


 彼らの「決断」が、決死の覚悟を決めた行動であることを、十分に承知していた侍従長は、それでもダニエルに要請しました。「お前たちよ、どうか私の立場も理解しておくれ!食べなかったら、お前たちはひ弱な体付きになり、私が責任を取って死罪になるではないか。だから少しでも食べて、栄養を付けておくれ!」と。


 すると彼らは、口を揃えて明言しました。「あなた様の立場は、私どもも存じております。しかし、私たちの信じる神は、私たちだけではなく、あなた様にも安らかなる解決方法を、必ず用意して下さいますから、今しばらく猶予を戴けますでしょうか?必ず私たちの祈りの答えとして、一番良い知恵を持参しますので。」と。


 今回の記事には、実は主なる神の「贖い(脱出)」の道(解決法)が、隠された奥義として記されています。そうです!私たちが「この世」の次元の中で、様々にもがき苦しんでいる状態を超えて、余りある程の麗しい「救いの道」を、主なる神は必ず用意して下さいます。私たちは確かに、信仰を通して神の「真理の道」を歩んでいますが、同時に「この世」という、三次元的な道も歩んでいます。それ故に聖霊様は、私たちに対して促して下さいます。「あなたの歩みには、決断すべき時が必ず来る!」と。


 その「決断」とは、如何なるものでしょうか?ところで「信仰の道」は、私たちの前にあるものです。それに対して「世の道」は、私たちの後ろにあります。聖霊様は、私たちに対して常に勧告します。「世の道に通じる、全ての退路を断ちなさい!」と。そうです!私たちが聖霊様のこの勧告に従い、あえて「世の道」を断つことで、天の領域から来る、神の偉大なる祝福が、私たちの「信仰の道」の先に、必ず用意されるのです。


 退路を絶つことは、確かに何かを失うなどの、「恐れ(心配)」が付きまといますが、それは「後ろ」のものを忘れ、ひたすら「先」にある望みを信じて、大胆に前に踏み出すことです。ですから、私たちは魂的な次元を気にするのではなく、先ずは主なる神の麗しい、「御国」から流れ出る御力が、自分の「霊」の只中からも、更に拡大して行くなど、神の「勝利」が先に用意されている!ことを、信仰をもって掴み進んで行きましょう。


「十日間」の後に来る勝利
 彼らの「決断」の表明の後、ダニエルは世話係に対して、ある「提案」を申し出ました。「お役人様、心配には及びません。私たちを十日間試して下さい!」と。さて、ここで「疑問」が生じます。「たったの十日間で、肉と酒を食する他のエリートと比べて、果たして大きな差(健康的違い)が生じるだろうか?」と。


 しかし聖霊様は、ダニエル及び三人の友人に対して、上よりの「知恵」を授けていました。「もともと野菜と水だけを食する、普段の食生活にあっても、健康を維持している以上、何ら今の麗しい体付きに変化(落ち度)は見られ無い!むしろ神の掟を守り通すことで、更に磨きのかかった品性が備わる。それに対して彼らは、肉と酒に溺れる生活の中で、霊的には更に醜い(汚れたバビロンの)品性が、不健全に拡大して行くだろう」と。


 そうです!偉大なる神の麗しい、聖い次元に生きることを決断した者は、益々イエス・キリストに似た者へと造り変えられるのです。その結果、イエス・キリストの聖なる「思い」が、常に自分の「霊」を満たす為に、一切の「恐れ」が無くなります。またイエス・キリストの「全き愛」が、更に「霊」の中から拡大して行きますので、「後ろ(退路)」が全く見えなくなる訳です。


 そういう意味で、聖霊様が「今!」と促される、「決断の時」があなたにも必ず訪れます。最後の「戦い」の火蓋が切られる、つまり前哨戦が始まった「その時」には、サタンも激しく攻撃して来ます。しかしイエス・キリストの側に、常に「勝利」の御旗が掲げられるのです。


 仮にこの時の、あえて退路を絶つ!という経験が、彼ら四人に無かったとしたら、この後に来る「最終決戦(燃え盛る炉による火刑)」に、彼らは耐えることが出来なかったでしょう。今の日本人が、霊的に置かれている状況を、サタンは十分に知っています。即ち「彼らは世界一騙し易い、愚かな民族である!」ことを。しかし、私たち日本人キリスト者の中にも、霊的に覚醒した「賢い乙女」が用意されています。


 「あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みる為に、あなた方の何人かを牢に投げ込もうとしている。あなた方は、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。」(ヨハネ黙示録2章10節)彼女たちは過去三年間に渡る、世界的感染病の災いを経て、更に磨きのかかった麗しい、「キリストの花嫁」としての品性が備わりました。これからの日本において、霊的に素晴らしい大収穫が、先に用意されています。それ故に、私たちが歩む「先(信仰の道)」において、あえて「退路」を絶たざるを得ない経験が、日々の出来事の中に来る!ことを、是非肝に銘じておいて下さい。


 「世の道」は、何となく大路の如くに見えますが、それを歩んで行く内に、次第に「不安」と「恐れ」が生じるなど、霊的には「狭い(縛られた)道」になります。しかしイエス・キリストに従う、つまり「真理」に至る道は、たとえ現状が狭く(苦しく)見えたとしても、霊的には「信仰の大路」を歩んでいるのです。そうです!私たちは恐れる必要がありません!私たちは「世の奴隷」ではなく、「神の子(王子、王女)」だからです!


 世に対する「恐れ」は、「世の道」が与える最大の「餌(バビロン料理)」です。それに対して、私たちが日々霊的に食する「命のパン」、即ち御子イエス・キリストは、天上(永遠の御国)に居ます、創造主なる神が用意する、最高の「天国料理」です。私たちを日々、栄光ある御子の似姿へと、練り聖めて下さる聖霊様の働き(取扱い)の中で、あなたが更に美しく整えられて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年4月23日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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