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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

正しい生き方(No.1)

                     何が正しいのですか?




自分の体を神に喜ばれる聖なる生贄として献げなさい。これこそ、あなた方の為すべき礼拝です。あなた方はこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えて戴き、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
                                                                          【ロ-マ書12章1~2節】


正しく「知る」機能を失った結果
 ご存知のように、私たちの住む世界は混沌とした状況、つまり掴みどころが無い、激しい「流れ」の中で進み、また捉えることの出来ない様相を示しています。その中で、不思議な現象(事象)が次々と起こり、まさしく「偽り事」が正しく見えてしまう、そんな時代に私たちは生きています。


 ここで、思い起こして戴きたい「事実」があります。それはアダムとエバが、何故「善悪の木」の実を食べたのか?という点です。それは単純な理由、つまり「あたかも美味しそうに見える」からです。しかし主なる神にとって、「善悪の木」の実が美味しいか、まずいかの観点ではなく、「興味を持っても、近づいても、触れても、匂いを嗅いでも、口に入れてもならない!」と、厳しく命じられました。


 と言うことは、主なる神の「ご命令」の正しい方向性が、「善悪の木の実を知って(欲して)はならない!」ことにあり、逆の面で言えば、彼ら(私たちも含む)が求めるべき、正しい方向性が「命の木の実と、善悪の木を除いた、園にある木の実を無代価で求める」ことにあります。


 しかし彼らは、主なる神の「ご命令」の本質を忘れ、サタンの欲する「肉の次元」へと舵を切り変えた結果、その正しく「知る」機能を失い、見事に唆されたのです。本来のアダム(エバ)は、赤子の如き飢え渇き、つまり母親の「乳」を純粋に慕い求める存在でした。


真実を知るために
 では何が真実であり、それを知るためには、どうすればいいのでしょうか?また今回の御言葉で、パウロが示している「(生きた)聖なる生贄」とは、具体的には何を指しているのでしょうか?先ず第一に、彼が述べる「真実(真)の」とは、私たちが即断する「完璧な」もの、また「最高の」ものを意味していません。それは単純な意味で、「偽り無き」もの(状態)のことです。


 と言うことは、私たちの捧げる礼拝の中には、自分が「正しい!」と思って捧げていても、実は主なる神の御目から見て、正しい方向性に無いものが沢山あります。聖霊様が私たちに対して求める、正しい(真実の)礼拝というものは、私たちが考える「複雑なもの」ではなく、シンプルかつストレ-トなものです。


 そういう意味で、聖霊様が私たちに対して、常に要求される事項があります。パウロの言葉を借りるなら、先ず第一に「あなた方はこの世に倣ってはならない!」点です。この世の法則は、あたかも「偽り事」が、正しいものの如くに見せます。と言うことは、私たちの捧げる礼拝(個人的な祈祷や親しい交わり)においても、「それで良いのです。あなたは良く捧げています。それが正しい礼拝です。」なとど、サタンの巧妙な「惑わし」により、霊的に錯覚している部分が、実は多くあるのではないでしょうか。


 確かに、私たちは「偽りのもの」を、故意に捧げている訳ではありませんが、「これで良いのだ!」と、自己満足的に捧げてしまう時に、聖霊様が悲しまれるのです。何故でしょうか?私たちが自己満足する、つまり正しい方向に向かって、前進する(歩み続ける)ことを停止した時に、大切な「真理」を忘れてしまうからです。


 その「真理」とは、私たちは主なる神の「導き」が無ければ、何一つ「正しいこと」が出来ない、罪人(常に間違った方向に歩む者)である!という点です。それ故に主なる神は、「エデンの園」を立ち去るアダム(エバ)に、直々に朽ちざる「聖なる衣」を着せて下さったのです。その目的は、「私主こそが、あなた方の罪を贖う唯一の神であり、また常にあなた方と共にいて、正しい方向に導く真理である。このことを決して忘れてはならない!」ためです。


 続いてパウロは、「心を新たにして自分を変えて戴き」と述べていますが、ここに大事なことを「忘れない」秘訣があります。「変えて戴き」と述べている通りに、自分の力で変える必要が無く、むしろ「謙虚な姿勢で、ある方に頼って生きる」ことです。そうです!変えて下さる方が、常にあなたの傍に居て下さいます。


 その方とは、私たちの「監督」として霊的に導き、常に教え励まし、豊かに取り扱って下さる「聖霊様」です。私たちは聖霊様に、「全て」をお任せするのです!その目的は、「真実」への回帰です!そうすれば、私たちは「ありのまま」、即ち生きた聖なる生贄を、主なる神の御前に、真心から捧げ切ることが出来るのです。


 どうか、あなたが聖霊様を通して、「心新たに」して戴き、主なる神の「御心」を正しく知るように取扱われ、「何」が本当に正しいことであるのか?を、常に教えて戴きますように。また真実の神に、絶えず感謝と賛美を捧げ、真実のガイダンスなる方、聖霊様に依り頼む毎日でありますように。


 私たちには、「何」が正しい(善い)ことで、「何」が偽り事であるのか?を、聖霊様から賜る正しい「洞察力」をもって、偽り事に苦しむ人々を解放する務めがあります。それ故に、あなたもペテロ同様に、「イエス・キリストの御名によりて、今!立ち上がり歩きなさい。」と、大胆に語ることの出来る者でありますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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