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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

全き信仰(No.5)

                    聖霊による新しいナビ
 



主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族は全て、あなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。
                                                                                                            【創世記12章1~4節】
 
 「新しい地」を求めたアブラハム
 ご存知のように、私たちは初めて行く「新しい所(土地)」に関しては、何らかの「不安」や「戸惑い」が、誰しも付きまといます。この時アブラムに命じられた神の「御言葉」が、まさしく新しい地に向けて出立することでした。
 
 ところが、実際に父なる神が命じた「目的地」は、未だ明らかにされない状況に当たり、彼は当然の如く不服を神に申し立てたことでしょう。「主よ、一体何処に行けばよいのですか?何故行くべき所を、明確におっしやって下さらないのですか?」と。それに対して主なる神は、「とにかく父の家を出なさい!私が示す約束の地へと、必ず導いて行くから、ただ従って付いて来なさい!」の二点の命令を言われただけです。
 
 私たちの歩む「信仰の道」においても、父なる神は実に素晴らしい「取扱い」と「導き」を、聖霊様を通して為して下さること、これを先ず覚えて下さい。今日の私たちは、地図情報に自分の位置(現在地)を、GPSで明示することにより、最終目的地に至るルートを検索するという、非常に便利なナビゲーション・システム(モバイル)を利用できます。
 
 しかし、昔の人々は如何なる方法で、目的地へと出立したのでしょうか?それは天上の地図、つまり星々の位置や、太陽及び月の動きにより、東西南北の方向を決めていました。同様にアブラムは、常に天上を仰ぎながら、自分の行くべき正しい方向(目的地)を、霊的に探し求めて生きていました。つまり彼は、自分の人生において正しい方向性が、如何なるルートによって定められているのかを、天上の星空を眺めながら、真の神の存在を探求していたと言えます。
 
 するとある時、遂に彼を「この世」に生み出した創造主、生ける真の神が、彼の霊的探求に応えて下さいました。「私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。」と。これこそが、彼の探し求めていた、人生最大の「目的地」でした。そして父なる神は、「私の言葉を、忠実に守り行いさえすれば、あなたと妻との間に約束の子が授けられ、あなたの行く所、何処においても、祝福が満ち溢れるであろう!」との、神のお墨付きを戴きました。


聖霊による「新しいナビ」
 それに対するアブラムの反応は、神の「命の言葉」を決して疑わず、例えば「最終目的地は何処ですか?」などの、しつこい質問や意見を、一切口にしませんでした。彼は純粋に神の「ご命令」を受け留め、その言葉一つ一つに従順したのです。
 
 私たちの信じる真の神が、どれ程偉大な力を持つ神であり、測り知れない程の豊かな次元に存在し、私たちのために、どれ程の「熱情の思い」をもって、常に導いて下さっているかを、私たちが知らないが故に、つまりパウロの言葉を借りるならば、私たちが神の「奥深さ」、「豊かさ」、「素晴らしさ」、「栄光」などを知ろうとしないから、私たちは目に見える現実に心奪われ、「この世」という三次元の方向に、霊的に傾倒する可能性があるのです。
 
 しかし、私たちが「天(上)」にある、聖霊様の「導き(ガイダンス)」に従うという、単純な「信仰」という名のナビを戴くだけで、聖霊様が折に適った「恵み」をもって、私たちの人生という、旅路の「全て」に渡って、正しい「導き」と「取扱い」を与えて下さいます。そして聖霊様が直接、ダイレクト(指示、監督)することで初めて、私たちの信仰の「旅路」が、安心して祝福されて行くのではないでしょうか!
 
 私たちが自分の人生において、最優先に学ぶべき神の奥義、それは単純(シンプル)な「ガイダンス」をもって、ナビゲートして下さる聖霊様に依り頼み、父なる神を正しく知ることです。私たちは自分の進むべき最終目的地が、天の「御国」であることを、当然の如くに知っています。ところが私たちは、アブラム同様に「この世」に生きている以上、回り道しようとするところがあります。そのような「弱さ」がある、私たちのことを承知の上で、聖霊様は私たちの突き進む先々において、前もって「道しるべ」となる地点に、霊的道程を据えて下さいます。
 
 その地点においてアブラムは、必ず「石」を積み上げ、祭壇を築きました。すると主なる神は、「アブラムよ、今日はここまでで良い!」と命じます。それに対して彼は、「主よ、未だ力が残っているので、もう少し先まで行かせて下さい!」と願い出ますが、主なる神は「アブラムよ、誰があなたに目的地が〇〇だと教えたのか?私がここでストップと言ったら、ここがあなたの休むべき、安息の地である。」と教え諭したことでしょう。
 
 覚えて戴きたい、主なる神が示す「地点」とは、決して最終地点である、ゴールのことを指しているのではありません。それは、私たちの日々の歩みにおいて臨在される、神の居ます聖なる場(至聖所)のことです。私たちは、この大いなる「道しるべ」となるポイント(至聖所)を、決して忘れてはなりません!
 
信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。
                                                                                                              【ヘブル書11章8節】

 
 ご存知のように、彼はウルの地(この世)で、莫大な財産を相続するという、跡取りとしての立場にあったにも関わらず、彼は「無一文」の道、即ち放浪者(ホームレス)としての人生を選択しました。何故なら彼は、「今」は何も無くとも、必ず「将来」に来る、目に見えざる神の大いなる祝福を受け継ぐことを、まさしく「もう既に受け継いだ!」と、純粋に信じたからです。
 
 見えざる「神の事実」は、タナボタ(棚からぼた餅)式に与えられるものではありません。それはアブラム同様に、言い難き「うめき」を伴う霊的取扱いを受けることで初めて、聖霊様が示して下さる、霊の次元にある「至聖所」から、豊かに降り注がれるものです!
 
 このように、「天(上)」より戴いた「聖霊様」という、新しいナビゲーション・システムは、間違いなく私たちの信仰の歩みを、正しい方向へと修正して下さいます。ですから私たちは、日々聖霊様の「導き」と「案内」を感謝して、「朝」に「夕」に、霊と真による礼拝を捧げましょう!
 
 聖霊様が、私たちの行くべき「道のり」と「目標(目的)」などを、正しく教え示して下さる限り、私たちは安心して、父なる神の「取扱い」の中に、自分の全てを委ね尽くすことが出来るのです!ですから、この新しいナビは、信仰をもって「天(上)」を見上げる、あなたの信仰に応える形で、既に与えられています。
 
 そうです!天上の窓は、聖霊様の働きにより、いつもあなたの直ぐなる信仰の歩みにおいて、豊かに開かれていることを信じて下さい!あなたが日々、聖霊様に依り頼みながら、あなたの信仰の「全て」に渡って、豊かに取扱われ聖められることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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