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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

急患診療(No.22)

                     私たちが知るべきこと



兄弟たち、私もそちらに行った時、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。何故なら、私はあなた方の間で、イエス・キリスト、それも十字架に付けられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。・・・・私の言葉も私の宣教も、知恵に溢れた言葉によらず、霊と力の証明によるものでした。それは、あなた方が人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。
                                                                                                   【Ⅰコリント書2章1~5節】


「十字架」に付けられたキリスト
 パウロの今回の御言葉は、私たちが常に生きる「目標」として掲げながら、一人のキリスト者として生きるための、「正しき道」を示しています。ところが如何せん、私たちは「この世」の道をも手本として生きる、そんな愚かな人間の一人でもあります。これはひとえに、アダム(エバ)が食した「善悪を知る木」の実の、霊的災いによるものです。


 パウロはキリストを知ること、特に「十字架に付けられたキリスト」を、自分の生きる目標として掲げることのみを求め、これ以外のものは「塵あくた」と見なし(排除し)ました。ご存知のように「十字架上のキリスト」は、この世的に見るならば死刑囚ですから、単なる敗北者にしか映りません。しかしパウロの場合は、この十字架にかかられたイエス・キリスト以外に、自分が知りたい!と欲するものは、この世に一切存在しない!と断言できる程、自分の「人生」の全てを、イエス・キリストに捧げ尽くしたのです。


 私たちは、父なる神の一方的な「選び」により、「この世」から召し出されたキリストの民です。そして、主イエス・キリストの「贖い」の恵みによって、私たちの「存在」が常に、父なる神に覚えられている!という事実、これを私たちは先ず覚えておくべきです。そうです!私たちの側がイエス・キリストのことを、余り知らなかったとしても、イエス・キリストの側は、私たちのことを「全てご存知である!」こと、それと同時にイエス・キリストは、この世の「罪」に満ちた(染まった)、そして「しみ」も「傷」が多く付いた、「私(あなた)」のことを、尚も知ろうと欲しておられるのです。


 今回はパウロが何故、あえて「十字架に付けられたキリスト」という言葉をもって、この手紙(書簡)を書いたのか?この点に留意しながら、聖霊様から教え示して戴く、神の奥義(知恵)について学んで参りましょう。


「何」を携えて歩むのか?
 パウロは先ず、「神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。」と断言しています。この御言葉の中にある「優れた言葉や知恵」とは、直訳するならば「大言(大きく見せる言い回し)」と「高度の知識」となります。つまり彼は、「この世」的に優れたものとして映る、こつ二つのものをもって、宣教に出かけたのではない!ことを、先ず書き記したのです。


では彼は、「何」を携えて宣教に出かけたのか!それが4節に記されています。「私の言葉も私の宣教も、知恵に溢れた言葉によらず、霊と力の証明によるものでした。」パウロの様々な書簡を読む限り、彼は偉大な力強い信仰をもった、(見るからに凛々しい)伝道者のように映ります。しかし、ご存知のように現実(実際)の彼は、(自分が記述しているように)見るからに弱々しく、頼りない「小心者」の如き風貌でした。


 私たちの現実生活の中にも、霊的な「理想」と「現実」というギャップは多くあります。口では大胆に信仰的な言葉を、皆の前で語るのですが、一人になって自分の「現実」を、心の鏡でふと見た時に、「皆には格好の良い表現で語っているが、何だ!今のお前の姿は・・・・。とても見られる状態には無い!」と、鏡の中の「自分」に語るなど。


 しかしパウロは、恐らく次のことだけは大切な「神の時」として、常日頃から覚えていました。「私は西暦○○○年□月△日の●●時刻頃、キリストと共に十字架に付けられた!イエス様は私の罪の全てのために、十字架上で処刑されただけではなく、三日後には死と滅びの穴より、私を完全に贖い出して下さり、栄光ある父なる神の御元へと、共に復活させて下さった!」、即ち自分が「救い主」を知り、かつ信じた「その時」が、永遠の命の誕生記念日である!ことを。


 アルファでありオメガなる神は、いつ如何なる時にも、私たちを「死と滅びの穴」より救出し、最終的には「永遠の命」という、素晴らしい賜物を与えて下さるのです!それ故にパウロは、イエス・キリストを知る以前に多く詰め込んでいた、この世の優れた「言葉の巧みさ」や、高度の「学歴」と「知識」の数々が、イエス・キリストを知ることに比べたら何の魅力も無い、取るに足らない捨てるべきものとして映ったのです。


 そうです!神の「永遠性」に優るものは、「この世」には一切存在しません。パウロの言葉を直訳するならば、「十字架に付けられたイエス・キリスト以外のことは、全て忘れる!と決意している。」となります。つまり彼は、「この世」のことは全く無意味なものであるから、私の心の記憶や霊の記憶から一掃する!と決断して生きたのです。


 ではパウロは、私たちが「何」を携えて宣教に出かけるべきか?と、問い質しているのでしょうか。それは「私は常に、イエス・キリストと共に十字架につけられ、十字架上でイエス・キリストと共に死に、そして最終的にイエス・キリストと共に、復活の姿に造り変えられながら、神の御元に帰って行く!」という信仰です。実はこれこそが、パウロの一番大きな「福音(神の宝)」でした。


霊と力の証明
 パウロは結論として、私たちキリスト者が携えるべきもの、それは「私の言葉も私の宣教も、知恵に溢れた言葉によらず、霊と力の証明によるものでした。それは、あなた方が人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるため」(4~5節)と述べています。これは、聖霊ご自身が与えて下さる明確な賜物、即ち父なる神の「ご計画」の実現のために、私たち一人一人に用意されるもので、聖なる「務め」を為して行く上での、「上」よりの力のことです。


 たとえ私たちが、三次元的な「この世」の知恵・知識をベース(頼みの綱)にして、人間的な「肉の力」と「確信(信念)」で突き進んだとしても、それは結局のところ徒労に終わります。しかし私たちが、今まで大事にしていた「この世」のものを捨て、「聖霊様!私は空っぽです。また私は、小さい器に過ぎません。口では大きいことを語りますが、現実の私は無理です。十字架に付けられたイエス様のことを、すぐに忘れる愚か者です。しかし聖霊様!どうかこの弱き器の中に、あなたの命の水を、少しでも良いですから満たして下さい!そして注いで下さい!この無力な私は、あなたの生ける水を求めて止みません。無代価で与えて下さると、イエス・キリストが約束しておられることを、私は信じます!」と、へり下って祈り求める時に、私たちはようやく贖われるのです。そして十字架に付けられた、イエス・キリストに「全て」を委ね、更に「上」よりの力を与えて下さる聖霊ご自身に、私たちが従順して行く時に初めて、私たちも「十字架」上に行くことになります。


 聖霊様はことわる度に、私たちに次のように命じます。「あなたが確立するのではありません。あなたの力で歩むのでもありません。そして、あなたが語るのでもありません。あなたが思い巡らしたり、思い煩ったりする必要もありません。そのような、あなたの現実に対する肉の力の全てを、滅びと死の淵に捨て去りなさい!あなたが行き着くべきゴール(目標)、それは十字架に付けられたイエス・キリストの御元である!」と。


 それに対する私たちの応答は、次のように告白しましょう!「イエス様!もっと更にあなたの十字架を、私に教え示して下さい。あなたの十字架に、私の全てを委ねたいのです。私の恐れや不安、また語るべき言葉の全てを、あなたの貴い血潮によって、今聖めます。そして焼き尽くして下さい!」と。


 私たちが十字架のイエス・キリストに、自分の全てを明け渡す時に初めて、イエス・キリストの「十字架」が、豊かに働き始めるのです。確かに私たちの歩む「先々」は、一見「不安」と「恐れ」に、満ち溢れているように思えます。しかしイエス・キリストご自身が、私たちの歩む「先」を行かれ、既にご自身の「十字架」の道を完成し、私たちに「正しき道」を用意して下さる、このことを是非信じて下さい!私たちが「十字架」より先に、自分の力で行こうとするから、結果的に失敗して躓き倒れるのです。


 イエス・キリストは、昨日も今日も、明日も永遠に変わること無く、あなたを愛し守り導き、あなたに用意する「人生」の祝福を、必ず実りあるものとして実現して下さいます!あなたがパウロの如くに、十字架に付けられたイエス・キリストに、「全て」を明け渡し、かつ捧げ尽くすことによって、「上」よりの力が豊かに増し加えられますように。また聖霊の油注ぎを日々受けつつ、信仰が豊かに成長して行くことを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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