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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

急患診療(No.21)

                 終末における聖霊様の働き



初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。
                                                                                                            【創世記1章1~4節】


神の最初の「創造の時」
 宇宙物理学者が唱える、「宇宙」の成り立ち(起源)によれば、「宇宙」が成立する以前において、「反物質」が存在していたのではないかと、彼らは推測しています。まさしくこれは、聖書が説明するところの、「虚無」ではないでしょうか!


 「虚無」とは、存在するべきものが全く無い、暗黒のフィールド(質量が無い見えざる空間)のことですが、父なる神はこの「虚無」の世界の中に、ただ一言「光あれ!」と命じられた瞬間に、存在すべき「物質」があらわにされ、まさしく「その時」から、宇宙の歴史がスタートしたのです。


 父なる神の、この最初の創造の時における聖霊様の働きを、私たちが霊的に正しく知ることによって、今日も尚、同じ御霊の法則をもって、私たちキリスト者の共同体(エクレシア)をも、聖霊様が豊かに導いて下さることを、私たちは確信することになります。


聖霊様の「動き」
 「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」(2節)の御言葉の中には、父なる神の天地創造における、聖霊様の第一の働きが、非常に分り易いイメージで描かれています。父なる神が「暗闇」のフィールド、即ち「深淵」と呼ばれる世界に、創造の御業を準備するに当たり、「定まり無き(形無き)フィールド」を用意されました。その上を「水」が覆っていたのです。そして、「水」が覆っている状態の中に、聖霊様の「支配(秩序)」がありました。即ち聖霊様が、宇宙の創造のプロセスの「全て」を、実際的に支配(管理)していたのです。


 今回のストーリーのキーワード、それは「覆う」という動詞です。聖霊様の動き(働き)は、常に「カバーする(覆う)」ことを第一とします。つまり、聖霊様が「全て」を覆うことで、父なる神の「創造のプロセス」が生じるのです。このような、聖霊様の麗しい「動き」と「支配」に対して、「暗闇」は立ち向かうことが出来ません。それ故聖霊様が、父なる神の「意志(御心)」を働かせた時から、「暗闇」の中に神の「意志」が動き始め、定まり無きフィールドを「水」が覆い尽くすことで、聖霊様の「支配」が確立されていたのです。


 しかし、これだけでは父なる神の「創造」は、未だ次の段階(プロセス)に至ることが出来ません。それ故父なる神は、聖霊様の第二の働きを促すべく、「光」という存在に対して、驚くべき「命令」を発することになります。「光よ、遂にあなたがこの暗闇にある、定まり無きフィールドに対して、私の意志を成就(完成)すべく、あなたの働きを為す時が来た!さー今、あなたは暗闇の中に出現しなさい!」と。つまり「光」とは、父なる神の「創造」を完成させるため、聖霊様と共に父なる神の「御心」を現す存在です。


 すると、この「光」の突然の出現により、「暗闇」は瞬時に身を引きます。その瞬間に聖霊様が「待ってましたー、光なる方よ。あなたをお迎えします!」と応じ、「光」を定まり無きフィールドの、一番奥深い中心部へと導くや否や、父なる神の創造の御業が、見えるフィールド(有形の物質)として存在し始めたのです。即ち、父なる神の「意志(命令)」による「光」の出現、そして聖霊様の「働き(覆い)」がミックスした時に、「天地(万物)」が創造されたのです。


 これが、聖霊様の最初の「動き(働き)」です。そして、聖霊様のこの「動き」は、今も尚、同じ働きを伴って継続しています。使徒行伝1~2章で描かれる、最初のエクレシアの「誕生の時」を思い起こして下さい!イエス・キリストが昇天した後の弟子たちの群れは、依然として定まり無き状態にありました。


 ところが、イエス・キリストの「預言」通りに、彼らは祈り続けた結果、一方的に「天の窓」が開かれ、父なる神の「新しい創造」の御業が、聖霊様の「降臨」という現象(約束の炎)を通して開かれたのです!彼らは、それまでの「古い皮袋」から解き放たれ結果、「新しい皮袋」を着せられた群れ、即ち新しい「神の民」としての群れ(エクレシア)が、遂にこの時から誕生したのです。


神の最後の「創造の時」
 今は父なる神による、最後の「創造の時」を迎えています。父なる神は、常に階段を昇るが如くに、ご自身が定めた「歴史」を進めておられます。そして私たちに対しては、「赤子」から「大人」へと成長させ、そしていよいよ「完成の時」を、この終末の時に用意しておられるのです。私たちは、この「終末の時」という言葉を聞くと、ドキ!とします。「あー、いよいよ大艱難の時代に突入し、様々な事に心配しなければならないのか!」などと。まるでそれは、学校の「実力テスト」を受ける際の気分のように。


 私たちは、父なる神の最後の「創造の時」が、如何なる時であるのかを、十分に知っています。それは、イエス・キリストの「再臨の時」のことです。そして父なる神の「創造」には、必ず「光」の出現が伴っています。イエス・キリストが、「真の救い主」として再臨される時、この古き地上は閉じられることになります。


 そして遂に、イエス・キリストを通して、「新しい天」と「新しい地」が回復されるのです。「その時」が、いよいよ目前に迫ってます。「この世」は、まさに「混沌」と「暗闇」によって、覆い尽くされようとしています。しかし「聖霊」が、再びあなた方に臨まれる時、あなた方は「天」からの力を、豊かに着せられていくのです!


 それ故私たちは、父なる神が「私(あなた)」を、この最後の「創造の時」に置いている、その大いなる神の「目的(ご計画)」を考えるのであれば、「明日のこと」や「一年先のこと」を思い煩うことは、ほんの些細な次元にあるのではないでしょうか!私たちが、今の時代に生きている(生かされている)理由、それは干からびて死んだ蛙のようにではなく、花婿(イエス・キリスト)をお迎えする、真の花嫁(賢い乙女)として、実は聖霊様が私たちを、直々に訓練し(整え)ているという、素晴らしい働きの中にあるからです。


 そうです!聖霊様の「動き(働き)」は、今も尚止まることなく継続しています。私たちは「夜」が来れば、必ず「眠り」に就きます。しかし、聖霊様は眠ること無く、まどろむことも無く、常に私たちの「動き」を見守り、キリストの花嫁として引き上げるべく、聖めの「油」と「炎」を降り注いで下さっています。「その時」来たらば、聖霊様は必ず、更なる「動き」をもって、私たちの「霊」を揺り動かして下さいます。そして私たちは、大胆に告白するのです。「花婿なるイエス・キリストよ、早く来て下さい!」と。


 あなたが今被っている、様々な「苦しみ」と「悲しみ」の時が、聖霊様の「動き」を通して、豊かな「喜び」の収穫の束となって完成される、即ちリバイバルの時を迎えられることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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