バルナバ・ブログ村診療所

命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

生ける聖霊の働き(No.7)

                              虹の契約




神は言われた。「あなた達並びにあなた達と共にいる全ての生き物と、代々とこしえに私が立てる契約のしるしはこれである。即ち、私は雲の中に私の虹を置く。これは私と大地の間に立てた契約のしるしとなる。私が地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、私は、私とあなた達並びに全ての生き物、全ての肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものを全て滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、私はそれを見て、神と地上の全ての生き物、全ての肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」神はノアに言われた。「これが、私と地上の全ての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」
                                                                                                       【 創世記9章12〜17節】


「契約」とは?
 「契約」という概念は、ユダヤ人独特の神から賜った「法(ルール)」です。そして、この父なる神のルールに従って、私たちが如何に生きてゆくべきか、それを必ず示すものであり、その永遠に変わることの無い、神と人との間にある「約束」のことを指します。神の「永遠に変わらぬもの」とは、私たちの人間関係から生じるところの、一般的な「約束事」には絶対在り得ないものです。私たち人間ほど、簡単に「約束」を違える存在はありません。何故なら「人」は、様々なトラブルが生じた場合には、いとも簡単に約束を破る、つまり完全に「約束」を守り行うことの出来ない生き物だからです。


 父なる神が「人」に対して、最初に示された「契約のしるし」である「虹」は、永遠に変わらぬものである、つまり「約束」を決して違えることのない、真に麗しい「永遠性」のシンボルであることを、今一度私たちは覚えようではありませんか!何故父なる神は、「虹」を「契約のしるし」として、この地にもたらして下さったのか?この点について私たちは、聖霊様から教えられる必要があります。実は「虹」という存在は、単純な気象現象によって起こるもの、つまり実際「眼に見える」しるしではありますが、人類史上この「虹」を初めて見たノアが、物理的にも霊的にも感じ得たのと、同様の状態で私たちが「虹」を見る時に、父なる神が私たちを心から愛して下さり、私たちが如何に罪汚れた者であっても、子羊イエス・キリストという、貴い「贖い」の生贄により、私たちの全ての不義を赦して下さる、永遠の「和解のしるし」であることを、聖霊様から改めて教えられるべきです。


「虹」の起源と役割
 「虹」の起源は、「ノアの大洪水」後に初めて起こりました。それまでこのような「しるし」は、天上には決して現れませんでした。ということは、それまでの自然界の秩序には、単純な二極化(二分化)の「現れ」しか、起こらなかったことが分かります。つまり、「雨」が降る時には「雨」が降り、そして「雨」が止んだ後には天上が晴れ渡るなど、例えば地中海式気候の特徴である、「雨期」と「乾期」が明確に区別されるなど、全ての気象現象における、はっきりとした二つの区分があったのです。四季に恵まれた日本の気候風土に見られる、様々な気象バランスから生じる、例えば「曇り時々雨、その後晴れ」などの天気現象は、「ノアの大洪水」以前には存在しなかったことが分かります。しかし、「ノアの大洪水」以後の地球は、神の秩序が二極化から多極化に移行し、その中に父なる神の「新しい意志」が、麗しいものとして現れ出るようになりました。その最初の現れが、この「虹」のしるしだったのです。


 「虹」はある面で、中間的役割を担う存在です。例えば私たちが、ある人と「契約」を結ぶ際に、専門の「仲介業者」を立てる場合がありますが、このような働きを担うものが、「虹」であることを覚えて下さい!父なる神は確かに、ノアの家族八人を除く全ての人類を、大洪水によって滅ぼし尽くしましたが、この残された八人から始まる、「新しい人類」に対しては、たとえ彼らが依然として罪を犯す存在であっても、ご自身の「不変の契約」として、二度と「人」を滅ぼさないことを誓約されました。そのしるしが、まさしく「虹」だったのです。つまり「あなた方が虹を見る時に、契約違反者に対して再び、私が裁きを下す神ではないことを、あなた方は是非知って欲しい!」という、父の「意志」の現れが、「虹」となって現れ出るようになりました。父なる神の「意志」の現れは、私たちが「虹」を見る度に、神が大いなる「愛」をもって、人々を地に満ち溢れさせ、一度「水」に覆われ「死んだ大地」を、残された人々(キリスト者)を通して、更に「回復されたフィールド」へと、新しく造り変えるためであることを、私たちが理解するようになるためです。


 「虹のかけ橋」という言葉がありますが、「虹」は天に現れ出る際に、完全な円形状ではなく、半円形もしくは緩やかなカーブ状の形で、つまり「橋」のようなイメージで現れ出ます。ですから「虹」の役割の中には、形状面からも「かけ橋」的存在、即ち「仲介的」な役目を担うものとして、霊的な働きがあることを覚えて下さい!


「虹」の霊的な働き
 「虹」が持つ霊的な働きに関して、私たちが「知る」べき第一のポイントは、「虹」はその存在理由として、「何」を持っているか?ということです。つまり、「虹」は何故この時から、父なる神の「意志」の現れとして、存在するようになったのでしょうか?「虹」そのものは、単なる「光の反射イメージ」に過ぎず、物質的に見るならば「水滴」の集合体です。しかし、父なる神の「虹」に対する創造のイメージの中には、確かに「存在する神の作品(生き物)」であり、この「虹」に対して「虹よ、あなたはこれから、私と人との契約のしるしとして、今から天上の雲の中に置きます。それ故、私の(あなたに対する)意志を現そうとする時に、あなたは直ちに現れ出なさい!」と、直接命じられました。父なる神の、「虹」に対する「意志」の現れは、先ず「私は雲の中に私の虹を置く。」(13節)の御言葉に記述されています。「置く」という言葉は、まるで「物(生き物)」を扱うような表現です。そして父なる神は、「虹」を確かに存在する物質として、雲の中に置いた(据えた)ことです。このことは、父なる神が考えておられる、ある「意志」が雲の中に、確立(出現)したことを意味しています。


「私が地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると」(14節)
 この時父なる神は、地球の管理主「聖霊様」に対して、先ず「虹を引導して、この雲の中に配置しなさい!」と命じられた後に、続けて「聖霊様、あなたはこの虹に対して命を与え、現れ出るように命じなさい!」と指示されました。「虹」に対する父なる神の「意志」は、必ず眼に見えるものとして、明確に現れ出るものであることを物語っています。又父なる神は、一度ご自分が発せられた「命の言葉」を、眼に見える形(形状、状態)で、必ず実現して下さる方です。ですから私たちは、父なる神のこの「創造の法則(原則)」を、いつも再確認しようではありませんか!私たちは、聖霊様が確かな「訓戒」と「霊的励まし」をもって、私たちに直接語りかけて下さる時に、「いやー聖霊様、それはちょっと不可能ですねー!現実を見て下さい。あなたが言われることが、絶対に成就(実現)するとは、とても思えませんが・・・・」などの、不信仰な言葉を口にしますが、一度発せられた神の「ご意志」は、「神の時」至りて必ず現れ出るのです!


 「虹」の霊的な働きの第二のポイントは、「私は、私とあなた達並びに全ての生き物、全ての肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものを全て滅ぼすことは決してない。」(15節)の御言葉に記述されています。父なる神の、第一の命令が発せられた結果、神の「御心」の現れの時を、聖霊によって教えられた「虹」は、遂に天上の雲の中に出現しました。ノアは、初めてこの「虹」を見た時、如何なる驚き(興奮)をもって見つめたのでしょうか?私たちは、この時のノアの心境を探ることは出来ません。何故ならば、私たちは今まで「虹」を見たことがあり、その美しさを知っているからです。


 「虹」が現れ出る以前の、彼ら八人の心境は恐らく、次のようなものではなかったかと推測します。「洪水」が次第に引いて行く中で、確かに彼らは「箱舟」から出られる、「救い」の恵みにあずかったとは言え、天を見上げると「太陽」の光が、少しずつ明るさを取り戻しつつあっても、灰色の「雲」が依然として現れ出る度に、「あー父なる神は、再び天を雲で覆い始められたぞ。いったい何を考えていらっしゃるのだろう?」などと、疑った者もいたことでしょう!私たちの信仰生活にも、同様のことが言えます。主なる神を求めて前進し始めた途端に、急に暗雲が立ち込めるような、霊的試練に遭遇する時に、出エジプトしたイスラエルの民が呟いたように、私たちは「え!また艱難ですか?飢饉ですか?」などと、つい愚痴をこぼしたり、落ち込んで塞ぎ込むことがあります。あのパウロの「信仰の告白」に辿り着くことは、中々難しいことです。彼は明確に宣言しています。「迫害か試練か!どんどん来なさい!私を更に前進させるだけだよ!」と。しかし私たちは、大抵の場合「え、またですかー!いつになったら、晴れ間が見えるのですか?」などと、否定的な告白をするだけです。ですから、ノアとその家族が「虹」を見た瞬間、「まさしく、これこそが父の愛のしるしである!」と認識できた訳です。


 同様に聖霊様の「現れ(presence)」も、霊的にはっきりと認識できるものです。聖霊様が現れて下さる時、私たちは圧倒的な聖なる臨在に打たれ、立ち続けることができない状態に導かれます。このように、ノアも聖霊様によって示された、父なる神の臨在を見た(感じた)瞬間に、「あー父よ、これがあなたの、贖いのしるしですね!」と認識でき、只ひたすら(その場に)ひれ伏すだけだったのです。父なる神が、彼らに現れて下さった理由は、15節に記述されている通りです。この記述は、実に不思議な表現で書き記されています。父なる神は、「虹」の存在意義について、あらかじめ知っているにも関わらず、一つ一つの「虹」を人々に示される際に、聖霊様の働きに心配られ、又「心を留め」られます。


 つまり、聖霊様が神と人との間に立って、とりなしの働きをされながら「虹」を現した時に、父なる神も「あ、そうだ!思い出したよ。人々を愛するために、御子を遣わしたんだった!聖霊様、もっと働いても構わない!彼らが更に私を求めて、イエス・キリストに近づいてくれるよう、あなたは働いておくれ!」と、「契約」のサインを受け留める(心に留める)時に、聖霊様は続いて「御子の十字架」のサインも、父なる神にお示しになっているのです。これが、「虹」が現れ出る最大の理由、つまりとりなすためです。ですから、ノアも次のように悟ることができました。「父なる神は決して、人類を裁いて滅ぼし尽くすために、大洪水を起こしたのではなく、生き残った私たちを通して、更に新しい救いのご計画を、この地にもたらすためなんだ!」と。それ故、聖霊に促されるまま「箱舟」から下船した後に、彼らが最初に為したことは、祭壇を築いて「子羊」の生贄を捧げ、父なる神に「真実の礼拝」を捧げたことです。


 私たちがこの記事から、受け留めるべき最重要ポイントは、父なる神が留められたその「御心」を、聖霊様から教えていただき、私たちが「虹」を見る時に、父なる神が私たちに対しても、永遠に代わらぬ「愛の契約」を、今も尚履行中であることを「知る」ことです。父なる神の「愛の契約」は、途中で解約する時限的なものではなく、最後の瞬間ぎりぎりまで、忍耐の限りを尽くして待っておられるものです。私たちの信仰生活の中で、特に自分の霊的フィールドに、「暗雲」が立ち込めて来るような苦しみに遭う時、父なる神の「愛の契約」のしるしとして、聖霊様が「虹」の光を差し込んで下さることを、私たちは信じようではありませんか!ですから私たちは、父なる神の「契約」が、今も尚履行中であることを、「虹」を見る度に覚えて下さい!


「契約」の調印式
 最後に、私自身が示されている、聖霊様からの「啓示(ビジョン)」を紹介します。私たちは、残されたノアの家族と同様に、ある「契約」の調印式に召し出された、霊的先駆者であることを知って下さい!え!どんな調印式ですか?私たちが忘れてならない、ある「契約」の調印式の時を、あなたは覚えていらっしゃいますか?それは、聖霊による「割礼」を刻印して戴いたこと、つまり「聖霊のバプテスマ」の恵みを授かった時です。これは、「いや、それは一度既に、(調印式を)終了しているはずですが・・・・。私は、もう大丈夫です。その調印書をもって出かけていますから・・・・。」などという、浅い体験ではありません。毎日聖霊様がとりなし手として、「待ちなさい!これを忘れてはなりませんよ。」と、様々に霊的指示を与えてくれるものです。そして聖霊様は、私たちが「虹」を見る度に、霊と真による「至聖所(祭壇)の交わり」を、日々築いてゆくよう、様々に働きかけています。このことを、私たちは忘れてはなりません!


 ノアは常々、三人の息子たちに対して、「罪を犯し続け、主のご命令に従わなかった人々は、最終的にどうなったか!彼らは、神の契約を信じようとしない不信仰の故に、救いの恵みにあずかることができなかっただろう!私たちは、この恵み(イエス・キリストの十字架の贖い)を、絶対忘れてはならない!」と教え諭しました。これが聖霊様が言われる、「聖霊のバプテスマ」の恵みです。私たちが霊的に、自分の中にある「自我」を打ち砕かれて行く時に初めて、「聖霊のバプテスマ」の恵みにあずかり、この経験はもっと更に奥深い、霊的レベルにまで導かれます。そうです!私たちの「自我」が、イエス・キリストと共に十字架上で「死す」時に、日々為される「契約」の調印式の、豊かな恵みにもあずかっていくのです。


 それと同時に私たちは、この聖霊の「割礼」を受けた理由を、改めて「知る」必要があります。つまり、残されたノアの家族八人と同様に、私たちも永遠に変わることのない、この「神の契約」を携えて、この世の人々に神の「救い」の恵みを、橋渡しする「虹」の如くに、霊的にとりなす役目があるのです!今日の日本は、霊的に見て「暗雲」が立ち込め、全ての成長を阻むように覆い尽くし、いつになったら晴れ間が見えてくるのか、先行き(将来)が分からない状況にあります。そのような中にあって、私たちが聖霊様によって「天上の光」を帯びた、つまり「神の国」の栄光に満ち溢れた、新しいキリスト者として、変革されるべきではないでしょうか!新しく創られるキリストの民は、「虹色」と言われる七色の光が、調和されて天上で光耀くが如くに、聖霊によって麗しく調和された(一致した)、イエス・キリストの花嫁として、この地に回復をもたらすべく、「この世」に出かけて行く時に、父なる神は聖霊様を通して、私たちの「霊」の只中から、「天上の光」を解き放って下さいます。「その時」にこの世の人々は、私たちの中から耀き出る、霊的な「虹」の七色の光を見て「心に留める」、つまり神の「契約(救い)」の恵みにあずかっていくのです。


 私たちは自分の「肉の力」で、「祭壇」を築き上げることは不可能です。私たちに必要なことは、父なる神の御前に出て、イエス・キリストの麗しい、「栄光」の中にあずかることです。又、聖霊様の豊かな「生ける水」を飲み、そして溢れ出る時に、この世の人々から見て弱い、つまらない私たちを、父なる神は特別に選び召し出し、「この世」にあっても、豊かな収穫にあずからせる、「神の農夫」として取扱って下さることを、常に心に留めようではありませんか!聖霊様は必ず、神の「栄光」を豊かに現す先駆的「器」として、私たちを造り変えて下さることを、主イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン!


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する