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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

生ける聖霊の働き(No.5)

                天の「水域」が裂ける時



ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。雨が四十日四十夜地上に降り続いたが、まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。
                                                                                                      【創世記7章11〜13節】


巨大な水風船
 父なる神がもたらした、この人類史上最大のイベントは、実は今日に生きる私たちキリスト者に対して、如何なる霊的奥義を教えているのでしょうか?又今後将来において起こり得る、父なる神の「新しい創造」が完成する時、即ちイエス・キリストの再臨の時に、如何なるプロセスをもって、父なる神は推し進められるのか、それを預言的に物語っている出来事であることを、私たちは聖霊を通して「知る」必要があります。


 先ず「天の水」という、地球を覆う巨大なフィールド体ですが、この物質は如何なる目的をもって、存在しているのでしょうか?第一部で学びましたように、天の領域には「空気」という物質ばかりでなく、「水」という巨大な覆い(ドーム)が存在しています。このドーム状の「水のフィールド」は、あたかも「水」を張り詰めた、巨大な水風船のような存在です。この巨大な水風船のある一点に、針を突き刺したらどうなるでしょうか?空気だけ入った風船の場合、それは単にパーン!と破裂するだけですが、水風船の場合は破れた一点から、「水」がちょろちょろと流れ落ちるだけです。しかし針ではなく、カッターナイフや剣などの鋭敏な刀で突き刺す時、それは一気に破裂し、大量の「水」を外に押し出します。ところが針一本であっても、集中的にあるポイントを、何回も何回も突き刺して行きますと、いつかは一気に破裂します。


 臨月を迎えた妊婦は、大量の羊水を蓄えた子宮の中に、今にも産まれ出る赤子を宿していますが、、赤子が出産する「その時」、この「水のフィールド」である子宮は、どのような現象を伴うのでしょうか?実は子宮は、「破水」という出来事が起こらなければ、絶対「赤子」を外に押し出すことが出来ません!ごく普通の自然分娩では、胎内に宿した「赤子」を、子宮から外に押し出そうとする際に、必ず陣痛を引き起こすエネルギー(力)によって、子宮の出口である子宮口が開くよう、その直前に子宮が「破水」するという、父なる神の創造のプロセスが、「赤子」の出産の時に現れています。


 しかし、どうしても陣痛の力が弱い、つまり母体の産み出す力(エネルギー)が弱い時には、産婦人科の医師は故意に、子宮口に人工の針を挿入し、子宮を人為的に破膜します。この破膜という医療処置は、子宮を覆っている膜を、人為的に破り裂く行為のことです。そしてこれは、破膜処置を受けざるを得ない妊婦、或いはそれを立ち合った夫にとって、文字通り「恐怖」と「痛み」の点において、ゾッ!とする体験です。私の場合、愛する妻が初子(第一子)を出産する時に、この「破膜」処置を受けなければならず、実際に私は「その時」、処置する場に居た訳ではありませんでしたが、破膜する直前の妻の「悲鳴」と、実際に破膜した時の激痛の「叫び」を、隣接する待合室で実際に自分の耳にした時、私自身も体中から冷や汗が出る程、ゾッ!とする体験でした。しかし妻は、破膜した瞬間に破水し、今まで弱かった陣痛が急に激しくなり、数時間の内に無事「赤子」を出産できたのです。


「天の水門」を管理される方
 実は、この天の「水フィールド」、つまり巨大な「水」を貯えた、液体状の風船が破り裂ける時に、私たちが知らなければならない、幾つかの霊的法則が示されます。先ず第一の法則は、父なる神は「天の水域」の出口(破れ口)を、たった一つしか設けなかった訳ではないことです。つまり多くの出口(破れ口)を、神は必ず用意して下さっています。このことは、地球の気象の動きを支配(管理)される全能の神が、多量の雨を地上に降り注ぐ場合、決して熱帯という特殊な地域に限定するのではなく、「その時」に応じて神の用意する天上の「破水」が、様々に場所を移動しながら、降り注がれることからも伺えます。ですから、父なる神が用意する「恵みの雨」の出口(破れ口)は、神の「ご計画」に応じて、どの地域にも等しく、多様に現されることを覚えて下さい!


 第二の法則は、この「破れ口」となる部分が、父なる神だけが「天の水門」を開くという、言わば霊的権限を握っておられることです。つまり、父の御心通りに第一の命令、つまり「天の水門よ、開かれよ!」と命じられない限り、「恵みの雨」は降り注がれません。この「天の水門」を、全面的に管理される方は聖霊様です。聖霊様は父なる神の御心通りに、「水門」の一つ一つを管理(運営)しておられます。


 このことは、非常に重要な奥義を教えています。え!?天気(天候)などの、様々な気象現象を管理しておられる方も聖霊様ですか?然り!天の領域の気象を、全て管理される方は聖霊様だけです!決して、空中の支配者サタンではありません。サタンは確かに、空中の支配権を行使していますが、父なる神はサタンに対して、ご自分の創造された地球の「天の領域」において、「気流」や「水流」などの、いわゆる気象全般の管理(秩序)を、サタンに任せている訳ではありません。常に覚えて戴きたいことは、父なる神だけが聖霊様に対して、「水をこの地に、今注ぎなさい!」などと命じられる方であることです。


 この霊的法則から、二つの重要な奥義が示されます。第一に、父なる神は求める者に対して、ご自分の「意志(御心)」に従って、「天(上)」から祝福の源である、「命の水」を流す「天の水門」を、常に用意しておられることです。ですから霊と真をもって、常に神を追い(慕い)求める者に対して、主なる神は「天の水門」を開く際に、聖霊様に「Open!」というサインで指示されます。主なる神が用意して下さる「命の水」は、スカルの女性に与えたものと同様に、「永遠の命」に至るものであり、それは霊と真をもって飢え渇いて止まない、尽きることの無いイエス・キリストへの、真実の「愛」を産み出すものです。このように、父なる神は求める者に対して、「天の水門」を至る所において用意され、そして開いて下さいます。それは、神を追い求める者に「命の水」が、公平にかつ惜しみなく降り注がれるためです。


 ところで、私たちは「聖霊のバプテスマ」を授かった時、如何なる「現れ(しるし)」が伴ったでしょうか?「聖霊のバプテスマ」に伴う「しるし」は、人によって千差万別ではありますが、経験された方の殆どの「しるし」が、「異言」を伴っていることも事実です。そして、この時に見られる「異言」は、まるで突然「地下」から湧き上がり出るもの、例えばアメリカ(イエローストーン州立公園)にある間欠泉の如くに、自分の定めた時にではなく、神の定めた時に溢れ出る、激しい「命の水」の流れのように現れ出ます。


 これは聖霊様に触れられ、聖霊様が「上」から臨まれる時、「この世」という三次元に覆われた、私たちの頑なな「霊」の殻(壁)を、聖霊様が打ち破られる現象に他なりません。私はこの現象を、「霊的破水」と呼んでいます。その瞬間に私たちは、霊的に「三次元の支配(束縛)」から解放され、天にある霊的次元を求めて止まなくなります。そして私たちは、イエス・キリストに対する「愛」の涙、「愛」の泉を溢れ流すことのできる器へと、聖霊様が造り変えて下さるのです。これが、第二の重要な奥義です。つまり父なる神が、聖霊を通して「天の水門」を開かれる際に、聖霊に対して「この者は、遂に私の定めた時に至った。それ故私の霊(聖霊)によって、ただちに破れ出よ!」と、第二の命令を発せられるのです。


「破れ口」に立ちなさい!
 実は父なる神は、「大洪水」を起こされた時のプロセスにおいて、天の「水フィールド」の各水門を、順番に開かれた訳ではなく、ある時点で全ての水門を一気に開かれました。「大洪水」を起こす以前において、父なる神はご自分の定めた時に、各水門をポイント毎に開いていましたが、この時だけは「地上の全ての汚れを洗い流す」ため、水門を一気に全開されました。


 私たちキリスト者は、霊的な洪水が押し寄せた際に、「何」を土台として「家」を立てれば、押し流されることなく霊的に堅く立ち得るか?ということを、イエス・キリストが喩え話し(ルカ福音書6章)の中で語られたように、「世の終わり」に至った時に、ある霊的備えが為されていなければ、それこそ「砂」の上に家を建てた愚か者になることを、私たちは「知る」べきです。父なる神が地上に向けて、天から最後の「霊的破水」を起こされる時、つまりイエス・キリストの「再臨の時」に、私たちが聖霊を通して準備すべき、はっきりとした「霊的備え」が出来ていなければ、ノアの箱舟に乗ることのできた八人と同様の、神の「救い」と「祝福」にあずかることが出来ないことを、私たちは知る必要があるのです。


 さて、これから起こる終末の「霊的破水」の兆候として、どのようなことが地上に起こるのでしょうか?イエス・キリストが語られたように、今は「恵みの時」です。「天の水門」、つまり破れ口から「命の水」が、神の御心に従って至る所から流れている時です。そして私たちは、このことを霊的に敏感に受け留めながら、聖霊の権威に従いつつ、「破れ口」に立つ者であるべきです。何故、「破れ口」に立たなければならないのでしょうか?それは神の「御心の時」を、私たちは霊的に見張る役目を負っているからです。私たちが「破れ口」に立っていなければ、「天の水門」が開かれる「音」も聞こえませんし、「命の水」が流れ出る様子も、明確に見ることが出来ないからです。


 確かに父なる神は、二十世紀末から二十一世紀の初頭において、例えばトロント、ペンサコーラ、スミストン、そしてグアテマラなど、至る所に天の「破れ口」を設けて下さいました。だからと言って、私たちが「では早速、その地に参りましょう!」などと決断し、即当地のリバイバル聖会に赴くことが、「破れ口」に立つことではありません!世界各地で興されているリバイバルにおいて、父なる神が如何なる方向性をもって「命の水」を流しているのか、その正しい方向性を霊的に見定めることが、「破れ口」に立つ見張人の役目なのです。


霊的大洪水に対する備え
 最終的に父なる神が、「破れ口」の全てを一気に開かれる時に、流されるその現象(方向性)は如何なるものでしょうか?「その時」には、ノアの洪水の時と同様に、「命の水」の激流が必ず押し寄せて来ます!そして、その「霊的大洪水」が押し寄せて来た時に、私たちは霊的に如何なる姿勢(備え)で、「その時」を迎えるべきでしょうか?イエス・キリストは言われます。「あなた方は、私という強固な岩の上に霊的祭壇を築くのか?それとも、安易に砂の上に家を建てるような、宗教的そして律法主義的キリスト者になるのか?」と。そうです!私たちは、たとえ如何なることがあっても、「我と我が家は、主のみに仕える!私は霊と真をもって、主のみを崇める!」という、強固な救いの岩(イエス・キリスト)を土台とした信仰に、堅く立つことを先ず願い求めるべきです。そのような者には、ノアの八人の家族と同様に父なる神が用意される、イエス・キリストの花嫁(エクレシア)の「救い」に、あずかることが出来るのです!


 「この世」の宗教的な流れの中で、「あー、この流れの中にも素晴らしいリバイバルの方法がある!これに沿って行きましょう。」などと、安易に「この世」の方向を選択しがちな、教会(教団)は数多くあります。日本のリバイバルを求める「今の流れ」の中にも、「聖霊の名の下に、皆で一致し協力しましょう!」などと素晴らしい標語を掲げながら、多くの教会が協力し合って、大グループ(宣教団体)として組織化することに、必死になる現象が見られます。大組織を造り上げることが目的ではないにしろ、その中には「人間中心主義」的なものが蔓延して行く時に、「この世」と同じ流れに傾倒して行く危険性はあります。人間中心主義という、「バベルの塔」を再び建て上げることを目標とするのか、それとも多くの同朋から嘲笑され、馬鹿扱いにされたノアの如くに、ひたすら神の「御心」のみを信じて待ち望む、「上(天)」からの信仰に立つことを願うのか?それが私たちが霊的に選択すべき、最後の分岐点となります!


 ノアは恐らく人々から、次のようにからかわれたでしょう。「見てごらん!今までこの地域には、全然天から雨が降り注がれなかっただろう。お前たちがどんなに神に向かって、天の恵みを祈ってみたところで、雨は降るはずがないね!ノアよ、何だその箱舟は・・・・。何の意味も無い大きなものを、造ろうとしたって無駄だぞ!僅か八人だけの家族ではないか!何故、そのような馬鹿げた大きなことを考えるのか?」と。しかしノアには、明確に聖霊を通して大きな「啓示(ビジョン)」が示されていました。それは、父なる神が用意しておられる「大雨」が、この地に降り注がれるに至った時に、沢山満たすことの出来る「エクレシア(箱舟)」を建て上げることでした。


 父なる神は、今日に生きる私たちに対しても、「聖霊の大収穫に備えよ!」と大号令を発しておられることを、あなたは「霊の耳」で聞いていらっしゃいますか?それは聖霊様の「大収穫」の後に、大洪水(イエス・キリストの再臨)の時が、必ず来ることが定まっているからです。「その時」が来れば、全ては終了(the end)です!神の「救い」に属する(あずかる)者は、聖霊が用意される箱舟に乗って、イエス・キリストの御元に引き上げられますが、「この世」に属する者は「大波」に呑み込まれ、そして地獄へと流されるだけです。


 私たちは、聖霊様が用意して下さる大いなる「命の水」に、常に流されることを求めましょう!聖霊様だけに従う者には、父なる神が為される最後の「大洪水」の時にも、裁きの流れに呑み込まれることはなく、むしろ聖霊様の大いなる聖めの流れに乗って、主イエス・キリストの御元へと招き寄せられて行くのです。あなたは、どちらの「大いなる流れ」を求めますか?主なる神は、間もなく「天の水門」を、ことごとく開かれます!そして聖霊様は、その「破れ口」に立つ者を捜しておられます。何故なら、聖霊は「天の水門」から流れ出る、「命の水」の音を敏感にキャッチできる者、つまり霊的至聖所を明確に確立できる者に対して、天の「祝福の泉」を満ち飽きるほど用意されるからです。更に主イエス・キリストは、ノアが箱舟を完成した如くに、明確に麗しい「キリストの花嫁(真のエクレシア)」へと完成すべく、真の礼拝者を直接捜し求めておられます。


 あなたは、ノアの信仰に見習いますか?それとも、ノアを嘲笑した「この世」の人々に見習いますか?私たちは、「天の水門」が全開される時に、如何なることが起きるのかを、明確に見定めることの出来る「霊的見張人」として、「破れ口」に立つ者に造り変えられましょう。又キリストの花嫁(真のエクレシア)として、最後の「大洪水」が来る「その時」まで、強固な「救いの岩(イエス・キリスト)」を土台として、聖霊様の用意した「設計図」通りに、正確に建て上げられ、「完成された箱舟」に仕上げられることを、主イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン!


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