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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Thanksgiving(No.6)

                   主なる神の第六の感謝




神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。・・・・神はこれを見て、良しとされた。
                                                                                                          【創世記1章24~25節】


「地(大地)」に生きるものとして
 今回のストーリーに記述されている、父なる神の創造に関する「ご命令」の対象、それは「地のフィールド」です。そして命じられた言葉の中で、非常に興味深い動詞が「produce」です。この言葉は、主なる神がデザインされる、創造の「形状」を直(じか)に生産することを意味します。


 具体的に主なる神は、「地のフィールド」に対して、次のように命じられたのです。例えば地の獣に関しては、「大地よ、今から私はライオンを、お前の上に創造するから、お前は彼らが生きることの出来る、豊かな環境としてproduceしなさい!」と。


 神が命じる「produce」とは、新しい「命」と、新しい神の「御業」を生み出すことです。ですから、主なる神は新しい「命」が、地上に産み出された様を見て、「あ-遂に始まった!何と有り難いことか。」と、感謝を捧げられたのです。今回のスト-リ-における第一の奥義は、「大地」を用意(創造)した目的が、全ての生物が豊かに次々と、新しい「命」を産み出すことの出来る、エネルギ-に満ちたものとなることです。


 さて私たちキリスト者は、新約に生きる神の民として、この「地」に遣わされた者です。ですから決して自分の意志で、例えば「私は名門の●●氏を選んで、生まれて来た者である!」と言える者ではありません。つまり誰もが、自分の「出生」の秘密(目的)を分からないまま、この「地」に産み出された訳ですが、「ある時」創造主に出会い、イエス・キリストを「救い主」として受け入れた時から、その真の意味が見出されます。


 しかし「その時」に、「罪人として生きた、それまでの人生は何だったのか!」とか、「私の過去の歩みには、果たして意味があるのだろうか?」、また或いは「私は両親を祝福(尊敬)できる程、良い家柄に恵まれたのだろうか?」などと、様々に思い悩むことも事実です。


 ところが、私たちは信仰の歩みを重ねて参りますと、主なる神が「私」を、この「地」に産み出される以前から、既に母の胎の中に、新しい「命」として宿して下さった!と捉えることが出来るようになります。そして、たとえ「過去」の歩みがどうであれ、神を知らなかった罪人であったとしても、神は自分のことをご存知であり、神が賜わる「命」を宿す者として、常に見守って下さっている!このように告白(賛美)し始めます。


 すると「その時」から、何か(変化)が起こり始めます。それまでは、自分の人生を振り返って見ては、「つまらない!」と思っていたものが、主なる神が自分のことを、世界に一つしかない「宝石」として、人生の全てに渡って、念入りに磨き続けて下さることを知り、またその目的が神の栄光を現すという、偉大なる「ご計画」の中に、直々に招いて愛して下さるためである!ことを知った時、次のように告白します。


 「主なる神よ、私の過去がどうであれ、今このように御前に出られることを感謝します。今の現実がどうであれ、あなたは必ず完成に至らしめて下さること、また御子イエス・キリストが、十字架上で完了した!と宣言されたことが、まさしく自分に始まっていることを感謝します!」と。これが真実の信仰です。ですから「自分もこの地に遣わされて良かった!必ず実りあるものを、主なる神が結実して下さる、そんな神に依り頼む人生を過ごそう!」と、喜んで「感謝」を捧げるように成りたい!と、あなたも思いませんか。


天の「祝福(産物)」を産み出す人生


イエスは喩(たとえ)で・・・・言われた。「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、・・・・石だらけで土の少ない所に落ち、・・・・茨の中に落ちた。・・・・他の種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、・・・・六十倍、・・・・百倍にもなった。」
                                                                                                   【マルコ福音書4章2~8節】


 ご存知のように私たちの人生は、アダム(エバ)が犯した「罪」が故に、砂漠の如き荒涼とした中を歩んで(種蒔かれて)います。その結果、この世に生きる人々は、世の流れに一喜一憂しながら、まるで揉まれるかの如き、そんな人生を強いられています。しかし私たちキリスト者の場合は、自分が「罪」深き身であるにも関わらず、主なる神が暗き世に真の光、即ちイエス・キリストを、私たちの人生の歩みの前に、ある時から灯して(照らし示して)下さり、私たちは神の「救い」を戴きました。


 その時から私たちは、主なる神が私たちの人生の歩み、その一歩一歩を、「命の言葉」をもって、確実に照らして下さることを、私たちは知っている(学ばされる)、また(命の灯火を)使用しているが故に、私たちは安心して前進できるのです。ですから私たちの信仰の歩み、或いは人生の歩みの全てが、たとえ「荒野(砂漠)」を進んでいたとしても、私たちは神の「命の言葉(種)」を、信仰を通して戴いている以上、それを「蒔き続ける!」という、強力な信仰行動が備わっていると言えます。


 そうです!たとえ「呪われた人生!」と思われる中にも、神の「命の言葉」を信じ、主なる神が万物を創造された時と同様に、信仰をもって大切に扱うのであれば、ある時は躓き倒れ、またある時は干からびる、そんな人生だっとしても、「神の御心のみを信じます。私は今から、命の言葉を信仰の種として、私のこれからの人生に蒔きます!私の霊のフィールドに、あなたの御心を妨げるものがありましたら、どうぞ取り除いて下さい。全てを、あなたの御業に委ねます。何故なら、あなたの御心は必ず、私の人生の全てを、新しい命をはぐくむ神のフィールドとして、豊かに祝福して下さるからです。イエス・キリストのみが讃えられる、そのような人生へと造りかえて下さることを信じます。」と宣言するのです。


 すると信仰に、必ず何かの「変化」が起きます。最初は余り(それに)気付きません。しかし暫く歩み始めますと、聖霊様が「ストップ!」と指示されます。「ここに、信仰の歩みを妨げる大きな岩がある。これを私が取り除くから、それまで待っていなさい!」と。そのような障害物の一つ一つを、聖霊様は丁寧に除去しながら、私たちに「命の言葉」を、尚も蒔き続けるよう、また不要な雑草等も取り除くよう、具体的に取り扱って行く中で、私たちは遂に霊的生贄(真の喜び)を、御前に捧げることが出来るようになります。


 「主よ、あなたが私の人生の道備えを、一つ一つ確立して下さったことを、心から感謝します!一気には行きませんが、必ず完成して下さることを信じます!」と告白することで、私たちは再び立ち上がるのです。私たちが、目の前の「現実」を見て行動するのであれば、それは信仰とは言えません。しかし、例えば土の中にある目に見えない「事実」、それは豊かなエネルギーに満ちたフィールドですが、その隠された神の「事実」に、霊の眼をもって見続け、たとえ「現実」がどうであれ、信仰の歩みを継続していくのであれば、それこそ神の豊かな「産物(天の祝福)」を、受け継ぐ(相続する)神の農夫になるのです。


 そうです!私たちは「この地」に遣わされた以上、最終的には最初のアダムの如くに、呪われた地を信仰で開墾し直すことで、神の栄光を現す豊かなフィールド、つまり30倍、60倍、100倍の収穫物を携える、神の農夫として仕立てられて行くのです。


 ご存知のように詩篇126編には、有名な「命の言葉」が、信仰の法則として示されています。「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束の種を背負い、喜びの歌を歌いながら帰って来る。」(5~6節)


 主なる神は、第六の創造の御業を見た時に、最終的な「栄光の姿」も同時に描いていました。それは、たとえ罪を犯したアダムではあっても、その子孫から御子イエス・キリストの「現れ」により、この地が神のフィールドへと再創造され、いずれは「喜びの大収穫」を束ねる、神の子たちの帰還(リバイバル)につながる!という、壮大な「贖い」のプロジェクトです。ですから私たちも、喜んで「感謝」を捧げ続けましょう!「命の言葉」を蒔き続けましょう!30倍、60倍、100倍の収穫物を携え、喜び踊る神の農夫として、信仰をもって前進しましょう!


 あなたが神の「御心」を通して、他の聖徒たちと同様、更に呼び集められ、共に励まし支え合い、神の名の下に「栄光」を勝ち取り、喜びの束を抱える神の農夫として、聖霊様を通して熟練されますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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