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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

急患診療(No.25)

                          第三の創造の時



彼らがそのように言うのは、次のことを認めようとしないからです。即ち、天は大昔から存在し、地は神の言葉によって水を元として、また水によって出来たのですが、当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。
                                                                                                     【Ⅱペテロ書3章5~7節】


私たちの「希望」
 ご存知のように、今日の世界情勢は非常に「混沌」で、「不安定」な状態に入っています。「歴史は繰り返す!」と言われています。本来ならば、「歴史」はHis story、つまり「神のストーリー」であるべきです。父なる神(創造主)が、「全て」の物事を相働かせて進めるのであれば、「混沌」ではなく、「平和」と「安定」の土台上に、「全て」の人々が共に助け合いながら、神の麗しい「産物」を享受することが、神の「御心」のストーリーです。ところが、アダムとエバの犯した「罪」により、例えば彼らの夫婦喧嘩の罪が、今では世界大戦にまで発展するという、「争い」の絶えない「歴史」が繰り返されています。


 主イエス・キリストの「来臨」の時に当たり、私たちは大いなる「希望」をもって、霊的に待ち望まなければならない、聖霊様による「新しい創造」について、今回は学んでまいりましょう。私たちは幸いなるかな、父なる神の一方的な「恩寵」により、麗しの「救い主」イエス・キリストを通して、「この世」から選び召し出されました。


 これは肉の選択ではありません。これは私たちが母親の「胎」に、「命」を授かる依然より、父なる神の「ご計画」通りに、各々の「霊」を産み出し、各々の「誕生の時」に、「この世」に遣わされたのです!そうです!私たちは神によって創造された、「新しい民」なのです。私たちが新しく創造されたその目的は、創造主なる神を永遠に礼拝し、その「御名」に全幅の信頼をもって仕えるためです。


 前述したように、私たちが生きる「この世」は、まさしく「枯れた谷」の如き世界です。「不安定」な状態が収まらず、いつどうなるか分からない、混沌とした状況にあると言えます。今日の「日本丸」は、為替相場が乱高下する経済的嵐の中にあります。しかし私たちキリスト者は、だからこそ大いなる「希望」を持つべきです!即ち私たちは、聖霊様によって「日々新しく創られる民である!」という希望です。


「第一の創造」と「第二の創造」
 今回の御言葉にあるように、この世に生きる人々の霊的次元は「彼らがそのように言うのは、次のことを認めようとしない」(5節)、つまり私たちキリスト者の語る、神の大いなる「希望」を、必死になって無視しようとする次元です。つまり、彼らが注視(無視の反対語)し続ける次元は、三次元的な「世の富(マモン)」や「権勢」に、人間的な望みを抱こうとするなど、常に肉の次元に生きています。


 彼らの主張は次のようなものです。「この世は偶然に生じ、そして偶然に消滅する!それ故生きている今を、自分のために使うのは当然だ!」と。しかし覚えて下さい!私たち「人」は、本来(最初の創造の時)は、「水」と「命の言葉」によって創造されたものです。神の「霊(聖霊)」が、地の面にある「水」の上を覆っていた、「混沌」としたフィールドの中に、「光」が父なる神の「命の言葉」によって出現、即ち「光よ、あれ!」と神が発せられ出現した時から、「地球」の創造がスタートしたのです。これが第一の創造です。


 しかし彼らアダムの子孫は、「罪」に落ちぶれる生活をし続けたが故に、ノアの「大洪水の時」に滅ぼされました。如何なる「罪」でしょうか?それは見える「物質」にのみ、全ての望みを置く生き方のことです。ところがノアだけは、創造主のみに「全て」の信仰を置き、父なる神のみを崇める家族として生きるなど、神に対して直ぐなる生き方を貫きました。それ故神は、ノアの家族を「箱舟」という、「救い(贖い)」のフィールドを与えることで、第二の創造を改めて開始されたのです。


 ここで覚えて戴きたいことは、父なる神が私たち「人」を創造した目的は、決して最終的に滅ぼし尽すためではなく、「愛する」ためと同時に、益々「新しくする」ために、救い(贖い)続けることです!ところが如何せん、「人」は再び物質のみに「望み」を置くなど、ノアの時と同様の罪を犯し始めたので、続いて父なる神は、アブラハムの家族を選び召しました。


 今回の御言葉の奥義につながるキーワード、それは神が選び召し出した「家族」です。本来であるならば、父なる神はアブラハムの家族を救い出す際に、ソドムとゴモラを「火」によって、完全に滅ぼし尽すべきでした。しかし何と驚くことに、父なる神は「罪」に満ち溢れた、一部のフィールド(ソドムとゴモラ)から、ロトの家族をも救い出すべく、アブラハムの「祈り(とりなし)」を通して、完全なる破壊を示すのではなく、私たちキリストの家族も、共に神の「救い」の働きに携わる、一つのモデル(予型)を示されたのです。


 このように第二の創造の時に、今も尚父なる神の「ご計画」の中で、プロセスが進行中ですが、今回の御言葉に記されているように、「現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ」(7節)、即ち完全なる「火」の覆いが、未だ到来していないことを示しています。この大いなる神の「事実」を、私たちは改めて知る必要があります。そうです!今は未だ「恵みの時」です。そして神の「救いの時」が、先に用意されているのです。


「第三の創造」の時
 そして、いよいよ第三の創造の完成の時が、目前に迫っています。もしかしたら、「その時」が近いのかも知れません!何故ならば、救い主「イエス・キリスト」を、地上に遣わした時から、父なる神の最後の「救い」の働きは、「イエス・キリスト」を通して完成されるからです。即ち、「イエス・キリスト」が地上に再臨される時、第三の創造は終止符を打つのです。


 覚えて戴きたいことは、「イエス・キリスト」は聖霊によって、処女マリヤの「胎」の中に創造され、この地上に産み出されました。それと同様に、父なる神は第三の創造の時には、聖霊様を通して私たち「キリストの家族」を、日々新しく創造することが第一の目的です。そして聖霊様によって、ご自身の発せられた「命の言葉」を完成すること、これが第二の目的です。


 イエス・キリストの誕生を経て、ようやく「キリストの家族」も、使徒行伝時代に「エクレシア」という、新しい霊的誕生のプロセスにより、成長段階に移行しています。聖霊様の「火(炎)」の注ぎを受けますと、新しいキリスト者は如何なる「者」にも、如何なる「物質」や「富(財)」にも膝を屈めることの無い、イエス・キリスト直属の、使徒(弟子)たちの群れに創り変えられます。


 この時から始まった、聖霊による「命の再生(新しい創造)」は、今も尚継続しています。そして、更に私たちの生きる時代に、「完成の時」を目指して、激しく燃え拡がっています。それ故、聖霊様は私たちに激しく臨むのです。「第三の創造の御業は、既にイエス・キリストを通して始まっている!私聖霊が、命の言葉と聖なる炎をもって、キリストの家族に激しく臨む時、あなたは必ず新しく創造されるのです!」と。


 「命の言葉」をもって、全地万物を創造された父なる神は、再び私たちキリスト者を、イエス・キリストという、麗しい真の「命の水」で完全に覆い尽くし、聖霊という聖なる「炎」によって、練り聖められた「完成作品(器)」として焼き尽くし、第三の創造の御業を推し進めて下さいます。主なる神が、「あなた」を選び召し出し、イエス・キリストを通して与えられる、一方的な「恵み」と「憐れみ」により、更に「全て」が美しく整えられますように。そして、聖霊様が「完成の時」へと、日々「あなた」を取扱って下さいますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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