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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

急患診療(No.39)

                   暗きを打ち破る神の栄光



起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝く出で、主の栄光があなたの上に現れる。・・・・目を上げて、見渡すがよい。皆集い、あなたのもとに来る。息子たちは遠くから、娘たちは抱かれて、進んで来る。・・・・
                                                                                                        【イザヤ書60章1~5節】
 
「暗闇」が増す時代の中で
 私たちは今まで、どのように過ごしてきたでしょうか?今回の御言葉は、イスラエルの人々にとって、非常に預言的な神の言葉です。しかし、現実は世界情勢から見ても、中東から新たな火種(シリアの内戦、イスラム国の台頭等)が勃発し継続しています。
 
 そのような不安定化が拡大する世界の中で、日本は如何なる状況にあるのでしょうか?米国及びEU、そしてとロシア・中国を筆頭とするアジア圏という、二大覇権勢力に挟まれる形で、どっちに付いたら利点があるのか、未だ優柔不断な立ち位置にあることは確かです。このように、依然として「暗闇」が増す世界情勢の中で、私たち日本人キリスト者が、改めて今回の御言葉を読み直す時、今後私たちが如何なる行動を為したらよいのか?等が、聖霊様を通して示されます。
 
 ところで、救い主イエス・キリストの来臨が、如何なる時になるのが、未だ定かではないのですが、反キリスト(偽救世主)の台頭は、まもなく始まるのでは?と予感せざるを得ない程、「暗闇」の勢力が益々拡大している中にあって、私たちは意気消沈しがちですが、主なる神は必ず私たちを、イスラエルの民同様に、預言的に召し出されることを信じて下さい!
 
二つの方向性
 では主なる神は、私たちを如何なる方向に召し出して行くのでしょうか?今回の御言葉には、二つの重要なポイント(方向性)が示されています。第一に「暗闇」の勢力が覆う中、私たちの今の霊的立ち位置が、如何なる状態にあるのかを、正しく点検する必要があります。即ち、いつも主なる神に対して、自分の全てがイエス・キリストの似姿、つまり聖く造り変えられてゆくことを、激しく飢え渇き求めているか?という点です。
 
 イザヤの生きた時代も、物凄い悪しき「暗闇」の勢力が、イスラエルの人々の霊を多い、遂には偶像崇拝を恥とも思わない!そんな堕落した(霊的に荒れ果てた)時代の中にあって、イザヤは嘆きながらも尚祈り続けた訳です。そして遂に神が、熱情の愛をもって、イスラエルの只中に輝いている!、ならば(あなた方は)眠りこけているのか?と、イザヤは警告したのです。
 
 具体的に主なる神は、「起きよ、光を放て!」(1節)と、素晴らしい警告(勧告)を発しておられますが、この御言葉は直訳では「エルサレムよ、寝ている状態から起き上がりなさい!そして、太陽の如くに輝き出なさい!」となります。「エルサレム」とは、神の宮を霊的に宿す「あなた」自身のことです。ですから、「あなた」の名を呼ばれる主が、あなたに対して「目覚めよ!」と命じられたのであれば、それはあなたが寝ている状態から、元の状態に立ち返って「エルサレム(神の都)に座す!」ことを意味します。これが第二のポイントです。
 
主イエス・キリストの「輝き」のもとに
 この神の「命令」に従いさえすれば、「あなた」は再び乙女(イスラエル)として、太陽の如くに輝き出るのです。「太陽の如くに」とは、あくまで比喩的表現ですが、ご存知のように「太陽」の輝きは、いつも晴天の時とは限りません。ある時は「小雨」、またある時は「大雪」など、その輝きは雲の存在(量)に左右されます。
 
 しかし覚えて戴きたいことは、いつも晴天とは限らなくとも、雲の上においては輝き続けている!という事実です。ですから私たちの周囲が、仮に「暗闇」だけが覆う世相であっても、古代中国の哲学者である荘子の言葉、「井戸の中の蛙、大海を知らず。されど空の青さを知る。」の如くに、私たちは真の光なる、主イエス・キリストの「輝き」を知っているが故に、常に激しく飢え渇いて、求め続けることが出来るのではないでしょうか!
 
 主イエス・キリストの「輝き」と同様に、実は私たち(キリストの花嫁)も輝くのです!どのように輝くのでしょうか?私たち自らが、何とか努力して輝くのではありません!私たちの内に居ます方が、永遠の光を灯して下さるのであれば、自然と「輝き」が出るのではないでしょうか。「子」を見たら「親」が分かる(逆もしかり)のと同様に、花婿と花嫁は互いに似てくる(造り変られる)のです。何故なら花婿の「輝き」を、花嫁の顔が受け留め、また花嫁の「輝き」を、花婿の御顔が受け留めるからです。
 
 私たちの「霊」の只中に、主イエス・キリストが住んで下さる以上、神が命じられる「立ち上がりて、エルサレムに座す」時に、あることが始まります。「あなた」という存在が、国々を照らす「光(イエス・キリスト)」の対象(模範)となり、王たちはその「輝き」に向かって歩み出します。そして、失われた息子や娘がこぞって集まり、あなたを照らす「光」のもとに、「その時」必ず帰って来ます。
 
 そうです!私たちの中に住まわれる方は、「この世」の如何なる者よりも、更に高い次元の中で働かれる方です。ですから、私たちの「霊」の中から、更に主イエス・キリスト「輝き」を、豊かに放って下さる方、即ち聖霊様を求めて行きましょう。主イエス・キリストの「栄光」が、常にあなたと共にありますように!
 
 あなたの唇から、「主なる神よ、私は常にあなたの輝きを、恵みとして受けていることを感謝します!」と、更に御名を讃えることの出来る、キリストの花嫁でありますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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