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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

クリスマス・メツセージ

      「真実の」が現れ出る


私たちがイエスから既に聞いていて、あなた方に伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全く無いということです。私たちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それは嘘をついているのであり、真理を行ってはいません。しかし、神が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
                                          【Ⅰヨハネ書1章5~7節】


「光」と「闇」の関係
 いよいよ「その時」、即ち「真実の光」の来臨の時が、間近に迫っている今日です。「暗雲」が立ち込め、暗闇だけが覆うかの如き世界情勢ですが、その中にも「光(太陽光)」だけは、毎日光り輝いて地上を照らします。私たちは、太陽光が出て来るだけで、何らかの「希望」を抱きます。そうです!まさしく「希望の光」という言葉にあるように、「光」には良き修飾語が付随します。


 それに対して「暗闇」には、反意語を意味する言葉として、「暗闇のどん底」という表現があります。まさしく「暗闇」が、希望無き「恐怖」の世界であることが、この表現から伺えます。しかし「暗闇」の中に、一本の「ろうそく」が燈される時、何となく「あ、あの小さな光の元に行けば、希望が出てくる!」などと思わせる程、「絶望」や「不安」、そして「恐怖」の源である暗闇が、少しずつ後退して行きます。そうです!この「光」と「暗闇」の関係(法則)を、明確に体験し理解する時が、実は「クリスマス」です。


 今回の書簡の筆者であるヨハネは、イエス・キリストが「実体ある方」、即ち肉眼で見たり、実際に触れたり、また会話も互いに為すなど、親しく交わることが出来る、麗しい方(救い主)として紹介しています。イエス・キリストは、「命の源」なる方として、私たちに先ず「言葉」となって現れ、次に「光」なる方として、暗闇を完全に一掃しました。また私たちを、完全に洗い清めるべく、「光」によって汚れも無き、純水な者へと造り変えて下さいます。


 当時のイスラエルの人々にとって、ローマ帝国という「暗闇」の圧政下にあっては、何の希望も見出せない日々でしたが、彼らは何世紀に渡って、「救世主」を待望していました。今日の世界情勢も同様ですが、様々な世界的リーダーたちが、国民の安寧を優先すること無く、ひたすら自国の覇権を合い争って、詭弁を語る事に熱心です。本来ならば「光」は、全ての生き物に「温かみ」を与え、「希望」を投げかけ、将来的には更に「豊かなもの」を造り上げるべく、良き「見通し(道筋)」を照らし出すものです。


 その「光」が、今日の時代にあっては、本来は良き方向へと導く、「真実の光」としての働き(機能)が、私たちの精神及び肉体から、もはや失われつつあります。特に人間関係を成り立たせる、コミュニケーションにおいて。何故でしょうか?世界的な「仮面文化(習慣)」によって、口元が覆われたからです。然り、「マスク」の着用義務化によって。


 その結果、本来のコミュニケーションの基本である、唇(口元)と目の動きを見て、互いに「言葉」を交わし合うことが、「隔ての壁(マスク)」によって、相手の表情(感情)を認識することが出来なくなりました。言葉の「光(真実性)」を遮断するもの、それが「マスク(暗闇の覆い)」です!それにより、世界中の幼児世代において、コミュニケーションにおける、何らかの障害(発達不全)が生じています。「言葉」によるコミュニケーションは、相手の顔が見える(オープンな)状態にあって初めて、自然な良き「関係性」が育まれるのです。


「真実の光」の働き 
 ところで2021年は、世界中で自然災害が多発しましたが、それと当時に各国で「停電」トラブルに見舞われました。現に中国では、今も進行中です。「電気」は光ではありませんが、電気を通して「光」や「熱」を発するなど、無くてはならないエネルギーの一つです。このように「光」は、天地万物に多大な「恵み」をもたらし、もしかしたら「宇宙」を、様々にコントロールしているかも知れません。


 「真実の光」の場合は、永遠に無限の「恵み」をもたらすのに対し、「偽り(人工)の光」の場合は、遮断装置(スイッチ)や抵抗装置の開閉、或いはボリューム調節如何によって、「光」の発光状況に変化を与えるなど、人為的かつ限定的エネルギーです。まさに「今の時」は、「光」は照らされ続けているのですが、心の中に「不安」を抱えて生活するなど、何となく薄暗さだけが感じられ、これから「暗い夜(闇)」が来て、どうなって行くのか分からない時代です。即ち「暗闇」だけが、世界を次第に覆いつつあります。


 しかし「真実の光」なる、神の御子イエス・キリストが、「救い主」として誕生した、このクリスマスの時は、全ての人々に「希望」を与え、将来に「不安」や「恐れ」ではなく、永遠に「喜び」と「祝福」に満ちたものを、必ず約束として保証して下さいます。そうです!創造主なる神は、私たちを決して「孤児(みなしご)」とすること無く、永遠に希望を与え続ける「真実の光」として、私たちに「救い」を燈して下さいました。


 ヨハネは今回の書簡の中で、この「真実の光」に関して断言しています。「神は光であり、神には闇が全く無い」と。つまり「暗闇」が、全く存在できない程の存在、それが「光」です。そして神(創造主)は「光」として、ご自身を現わして下さったのです。この「真実の光」が来られる時には、当然の如くに、一瞬にして「暗闇」が消えます。私たちは日中(昼間)、自由に歩き周ったり、誰とでも会話したりするなど、安心して生活できる理由は、対象物が光によって「見える」からです。


 ところが電気の光が全く無いと仮定して、太陽が沈んで夜間になりますと、途端に行動が不自由になります。つまり暗闇のせいで、対象物が「見えなくなる」からです。このように「光」は、対象物の「実体」を現わします。そして「光」が無くなった時に、その実体は「暗闇」の中に、ぽつんと置かれた「孤独」の存在となります。ですから私たちは、神が照らし続ける「真実の光」を受け留め、私たちの中に「光」が留まることで初めて、私たちは「本来の人」として、一歩一歩着実に前進することが出来るのです。


 しかし「今の時」は、サタンに連なる「暗闇」の勢力が、世界中の人々に「絶望」を与え、「恐れ」と「不安」で心を縛っています。ご存じのように、世界的感染病のせいで、若年層の自殺者が増加しています。何故でしょうか?先行きが見えなくなり、今の「現実」が怖いからです。心の中に「光」が無くなり、他者とのコミュニケーションも無くなるなど、どう生きて行ったらよいのか、先行きが見えないからです。自分の歩む、一歩先に「真実の光」があり、「真実の光」を受け入れさえすれば、如何に自由に生きることができ、明確に物事を理解する(正しく見る)者として、希望をもって前進できるなどの、グッド・ニュース(福音)を知っていたら、彼らも自殺することはありませんでした。


 しかし覚えて下さい!このような大変な時代にあっても、私たちが生きることが出来るのは、「光」があるからです。同様に私たちの「霊」は、暗闇を完全に一掃する、偽り無き「真実の光」を常に求めています。その「真実の光」は、既に来られました。然り!クリスマスという、イエス・キリストの誕生を通して。では「今の時」は、「暗闇」だけが地上の全てを覆い尽くし、サタンの勢力によって、多くの人々が「罪」の奴隷として、このまま生きるのでしょうか?彼ら暗闇の勢力は、ある事(神の事実)を知っています。「真実の光」なる方、救い主イエス・キリストが、間もなく再臨されることを。


真実の「交わり」を与える光
 私たちが「今の時」の中にあっても、神の「真実の光」を純水に受け留め、受け留めるだけではなく、自分の「霊」の只中に住んで下さることで、私たちはイエス・キリスト、即ち「真実の光」の中に、完全に覆われた存在として、主なる神と親しく交わることができ、豊かな方向に導かれて行くのです。前述した如くに「今の時」は、コミュニケーションという、「言葉」と「言葉」による交わりが無いから、多くの人々が「不安」を抱えて生きています。


 しかし「本来の人」は、「ホンモノ(真実)」を求める存在です。本物なる方(イエス・キリスト)は、私たちに「正しい道筋」を示すと同時に、その先にある永遠性を保証します。ヨハネは「真実の光」の特徴として、三つ書き記しています。先ず第一に①一切の「暗闇(偽りの世界)」が無い!ことです。第二に②光ある所において初めて、相手の実体を見ることが可能になり、それにより自分も相手に対して、自分の実体を示している訳ですから、そこに「交わり(接点、繋がり)」が生まれることです。第三に③自分の「汚れ」を顕わに(見えるように)しますが、決して責め立てることはしません。何故なら「真実の光」は、同時に覆い尽くすことで、全てを聖めるからです。


 イエス・キリストの「十字架」の死は、私たちの「罪咎」を完全に洗い聖め、私たちの霊的負債の、「全て」を帳消しにします。「あなたには、今までの負債を支払う義務がありません!私があなたの全ての負債を完済しましたから。」と。それ故に私たちは、暗闇に灯された「真実の光」を信じて(浴びて)、「真実の光」と共に前進するだけでよいのです。


 「真実の光(イエス・キリスト)」と「暗闇(罪の奴隷の世界)」、そして自分の立ち位置に関して、次のようにイメージして下さい。私たちが「真実の光」を受け留め、そこに行けば行く程「温かみ」も増し、互いの「交わり」も生じます。それによって自分が、如何なる存在であるかを知り、真実の絆(密接な繋がり)が完成します。ところが自分が、「真実の光」から背を向けるとします。すると何が、自分の前に見えるのでしょうか?然り!自分の影(罪)です。光源から離れれば離れる程、その影はおぼろになります。そして最終的に自分の影は、「暗闇」の中に消滅して行きます。


 しかし再び体全体を、180度向きを替えて、元の方向(正しい道)へと、少しずつなりにも歩いて行けば、点の如き「燈火」が見えてきます。もう「その時」には、自分の影のことは意識しません。そうです!私たちが神から離れますと、自分の罪ばかりが見え、それに苛まれて苦しむ訳ですが、一旦「真実の光」に出会い、その「光」の元に近付けば近付く程、自分の存在(本当の姿)が見え、既に「光」によって聖められていることを知るのです。


 主イエス・キリストが「真実の光」として、私たちの元に訪れて下さった以上、私たちは自分の「救い(罪からの解放)」の為に、人間的な努力をする必要がありません。私たちは只、次のように告白するだけでよいのです。「どうか私の救いの光として、私を正しい道へと、常に導いて下さい!私は、あなたの光の中に留まり続けます!」と。


 「真実の光」として、私たちの「救い」の為に来られた日が、「クリスマス」です。このクリスマスに、是非あなたも「光」の元に来て、「真実の光」を受け取って下さい!イエス・キリストは、主なる神の永遠の「救い」を、あなたにもたらすべく、今も尚忍耐をもって「帰って来なさい!私が、あなたの真実の導き主、守り主です。又あなたを、本当の麗しい者として造り変え、最高の希望ある人生を与えるべく、良きもので満たす救い主です!」と、「真実の光」を輝かせて下さいます。


 この「真実の光」なる方、主イエス・キリストに、あなたが益々「信仰」をもって明け渡し、人間的な努力を放棄して、「光」と共に歩んで下さい!そうすれば来たる新しい年が、仮に日本の先行きが不安定になり、不安な要素が多々出て来る中にあっても、私たちは「現実(暗闇の事象)」を見ません。私たちが見るべきものは、「真実の光」を常に灯して下さる、目に見えざる「神の事実」のみです!「真実の光」なる方、主イエス・キリストに、私たちの「歩み」の全てを委ね、自分の人生を必ず「益」として下さることを信じて、日々前進して参りましょう!


 是非あなたが、主なる神の「真実の光」を帯びた者として、日々前進できますように!あなたの「歩み」の全てに、「正しい道筋」が示されますように!また必要なものを「全て」与えて下さる方に、あなたが「賛美」と「感謝」の生贄を、日々捧げることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2021年12月19日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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