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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.4)

                終わり無き「闘い」の始まり




エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして心の中で言った。「・・・・その時が来たら、必ず・・・・殺してやる。」ところが・・・・エサウのこの言葉が母リベカの耳に入った。彼女は・・・・ヤコブを呼び寄せて言った。「・・・・私の子よ、今、私の言うことをよく聞き、急いで・・・・私の兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。・・・・」
                                                                    【創世記27章41~45節】


世からの「憎しみ・妬み」の始まり
 ヤコブは、兄を出し抜いてまで、父の「祝福」の祈りを授かった結果、当然の如くに報いる(追いかけてくる)、様々な「闘い」を覚悟していました。逆に兄エサウの場合は、長子の権威をないがしろにされ、弟ヤコブに出し抜かれた訳ですから、その「怒り」は半端なきものでした。それ故、エサウの激高を予測し、エサウの言葉を確認した母リベカは、息子ヤコブの「命」の危険を察知して、ヤコブに緊急シグナルを発しました。


 今回の記事から示される第一の奥義は、主なる神の「祝福」を、霊的に受ける(奪い取る)ことで必ず起こり得る、その相対する結果(報い)は、一体如何なるものであるのか?この点を私たちは、常に知る(意識する、予測する)必要があります。それは世からの「憎しみ」と「妬み(嫉妬)」です!


 さて、自動車を運転される方にお尋ねしますが、あなたは自動車を運転する際、先ず「何」を考えて(意識して)運転しますか?「そんな事聞かなくても簡単ですよ。安全にル-ルを守って、楽しく(気楽に)運転することです!」と返答される方が殆どでしょう。


 しかし、果たしてそれだけで十分でしょうか?「乗ったら即、あなたの自動車が、人(他の生物も含む)を如何様にも殺傷する、殺人マシ-ンになる!」という意識付けに立ち、危機感をもって運転する方は余りいません。しかし自分が、突然の「殺人者」にならないために、いつ如何なる時にも「自分は事故を起こす(遭遇する)可能性がある!」との前提に立って、常に「危険」を予測(意識)しながら、慎重に(注意深く)運転することが、私たちドライバ-には求められます。


 同様に、神の「祝福」の次元を求めることは、必ず世からの「憎しみ」と「妬み(嫉妬)」を受ける(被る)という、霊的な危険性を予測しておくことが大事です。だからと言って、私たちは決して恐れる必要はありません!次の運転を丁寧に指示して下さる、助け主なる方(聖霊様)が同乗して、正しい方向に案内し、かつ守り導いて下さるからです。


今の「この時」を逃すな!
 母リベカに促されるまま、ヤコブは出立しようとしますが、その際彼は母に対して、「叔父さんて、どんな人?」、「え!いつまで、ハランに滞在しなければならないのですか?」等の質問を、一切為しませんでした。私たちも、度重なる「苦難」や「試練」に対して、殆どの人が「え!いつまで我慢しなければならないのですか?」等の言葉を呟きますが、これらは人間的な肉の「方策(人の道)」です。


 差し迫る、母親の危機的助言を聞いたヤコブは、「今の時(脱出の時)を逃したら、本当に殺されてしまう!」ことを確信しました。ここに母リベカの優れた「機転(危機回避の知恵)」が、明確に示されています。そしてこれが、今回の第二の奥義です。


 彼女の信仰の基本行動は、「闘わずして勝つ!」ことでした。私たちは「世」との闘いには、決して「終わり」が無いことを知っています。「世」との闘いは、「戦争(決闘)」等に見られる、「勝ち」か「負け」かの次元にはありません。その闘いの本質は、世の「君(反キリスト)」からの誘惑です。この敵が私たちに対して、常に投げかけるメッセ-ジは「こちらに来なさい!こちらこそ本物です。溢れるばかりの繁栄と祝福を、あなたのために用意していますから。」と、まるで「救い主」の如くに誘いかけます。


 私たちが「世の声」に聞き従ったら、それこそ「負け」です。聖霊様は私たちに対して、常に霊的シグナルを発します。「真の命の水は、何処から湧きますか?下(世)からではなく、それは常に上(天)から来るものです!値なしに、尽きることの無い命の水を与える方は、唯一の神の御子、イエス・キリストだけです。」と。


 リベカは、長子エサウの弟ヤコブに対する、激しい「憎しみ」を確認した時、それを「マイナス(不利なこと)」とは捉えず、むしろ逆に「世」との闘いを回避すべく、真実の神が起こした霊的な次元と受け留めました。そして、この時を「プラス(神の時)」と捉え、即座に危機回避の行動に移りました。彼女の霊的に優れた信仰行動の特質、それは「今の、神の時を逃すな!」という点です。


 悪しきことに対する予感等の、私たちの思考パターンは、中々「プラス面」を考えることが出来ません。しかしリベカの場合は、「これ(神の時)を逃したら・・・・」というプラス思考で、「神の時」の中に自分の霊的ポジションを、常に探る(確認する)ことが出来ました。神の見えざる「御手」が、全ての事を相働かせて「益(プラス)」として下さる!これがリベカの信仰です。


 神の次なる「試練」が、私たちに与えられた時、「祝福」も受け取るのですが、それと同時に必ず、世からの「憎しみ」と「妬み」を被ることを、私たちは常に覚悟しておくべきです。しかし恐れる必要はありません。たとえそれが、「逃亡者」の如きマイナスの状況であっても、逆に言えば真実なる神の、霊的「取扱い」が継続している、つまり霊的には「益(プラス)」の状況が、完成しつつある!と捉えましょう。


 そうです!「試練」と共に、「脱出(逃れ)の道」が備えられていること、この素晴らしい神の「導き」と「守り」に、私たちの信仰の道標があります。それ故に、私たちは安心して「神の道」に逃れましょう!「この世」と格闘しても、ただの「徒労」に終わります。さっさと逃れた方が「勝ち」を得ます。


 私たちは「この世」との、終わり無き「闘い」の中にありますが、どうかあなたが、聖霊様の豊かな「知恵」のもと、「闘わずして勝つ!」という、霊的「兵法」の原則(奥義)に従って、最終的には「勝利ある栄冠」を、喜び勇みつつ掴み取ることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年1月19日のメッセ-ジ)


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