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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Thanksgiving(No.39)

                    感謝という名の財布




・・・・私は、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らす術も、豊かに暮らす術も知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していも、いつ如何なる場合にも対処する秘訣を授かっています。私を強めて下さる方のお陰で、私には全てが可能です。
                                                                            【ピリピ書4章10~13節】


神が与える「賜物」の真意
 人が「財布」というものを、いつ頃から使用し始めたのか定かではありませんが、元々は「貨幣(小銭)」を入れる袋のようなものが、「紙幣(お札)」を使うようになった頃から、現在のような形状に変化したものと思われます。


 例えば、この「財布」の文化に関して言えば、実に不思議な効果があります。その財布の中に「札束」が多くある間は、使用する(物を買う)ことを余り気にかけないのですが、それが少なくなった時には、出来るだけ出費を抑えようと、節約志向に気が変わることです。


 イエス・キリストの「喩え話(ルカ福音書19章)」にあるように、人は多くの金銭を与えられた時に、様々に「思い」を巡らし行動します。A氏は「これを元手にして商いすれば、必ず利益が出るから儲けよう!」と、商売を始めて見事に十倍の利益を出しました。


 続いてB氏も「A氏ほど積極的ではないが、手堅い商売でもすれば、ある程度の利益が上がるから損はしないだろう!」ということで、堅実な商売を始めたら、五倍の利益を出しました。


 最後のC氏は「この私に多額の金銭が与えられても、とてもじゃないが使うことが怖い!ましてや盗人が来て、私が殺されるとしたら、何の意味もないではないか。畳をめくって土の中に隠しておこう!」と思うや否や、秘密裏に「金銭」を封印しました。


 この三人の者(下僕)に投資した「主人」は、暫くして彼らを呼び出し、その収支報告(使い途)を聞きました。その結果A氏とB氏は、共に称賛され多くの賜物を授かりました。しかしC氏だけは、逆に咎められることになります。「あなたは、多くの金銭を任せた私の心が、結局のところ分かっていなかった。今後あなたには、何も与えるものは無い!」と。


 この「喩え話」から示される奥義は、主なる神が私たちに対して、ある「賜物(ギフト)」を与えたからと言って、それに見合う「代物(利益)」を要求している訳ではない!という点です。では何が大切なのか?と言えば、私たちの側に、無償で与えられる様々な、神の「恵み」や「賜物」に関して、主なる神への「気持ち」を、如何なる「感謝」や「喜び」として表すのか?という点です。


 そうです!私たちが為すべきことは、目に見える利益の「収支(損得)」を計算することではなく、目に見えざる「賜物(祝福)」や「恵み」など、神の「事実(真実)」を覚えて(数えて)、素直に「感謝」や「喜び」を捧げることが肝心です。


二つの「財布」
 さて私たちには、二つの「財布」が用意されています。一つは、殆どの者が使っている、目に見える「財布(金銭を入れる、貯めるもの)」のことです。二つ目が、これは目に見えない霊的なもので、使徒ペテロが足の不自由な者に対して、明確に語った「金銀を蓄えない(要らない)」もの、つまり「感謝」や「信仰」が入った「財布(或いは小切手)」です。


 この「財布」は、目に見える「金銭」を入れるものではなく、主人の厚意(御心)に対して、目に見えない紙幣を、次から次へと使う(出費する)ことで、更に「神の事実」を確認するためのものです。この財布の場合は使えば使う程、主なる神が再び満たして下さる!という、不思議な信仰が芽生えて来ます。


 ですから、この不思議な霊的次元に入る体験を、パウロは次のように説明しています。「貧しい状態の中にあっても富んでいる!また空腹の中にあっても、糧乞うことは一つも無い!物が不足していても、日々天からの恵みを得ているので、私はいつも満ち足りている!」(12節)と。


 仮に私たちが、「信仰」の小切手を持っているのであれば、足の不自由な者に命じたペテロの如くに、主なる神の無尽蔵の財布から、奇跡を起こす程の「天の力」を、いつでも引き出すことが出来るのです!パウロの持っていた財布は、三次元的には「空(一銭も無い状態)」でしたが、見えざる財布の中には、満ち満ちた「感謝」の札が、束ねられていたことでしょう。


 それは又、イエス・キリストが与えて下さる御力によって、如何なる場合においても対処できる、その力強い生き方を(私は)与えられている!それがパウロの確信でした。あなたは、目に見える「財布」に頼って、日々生きていませんか?しかし、目に見えざる「感謝」の印が付いた、信仰の小切手を使う時に初めて、日々与えられる「天の恵み(糧)」を通して、あなたは力強く生きることが出来るのです。


 あなたが世の人々の如くに、「先」を心配する余りに、焦って先走ることがありませんように!むしろ、毎日「感謝」の祈りに導かれながら、日々の糧を喜んで食し、一歩一歩と着実に歩むことが出来ますように!あなたが、主なる神の豊かな霊の次元の中で、「感謝」の印が付いた信仰の小切手を、惜しみなく(無制限に)使うことが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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