バルナバ・ブログ村診療所

命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Hope(No.4)

       今、「光」は輝いている!




光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。・・・・
                       【創世記1章5節】


主はモーセに言われた。「手を天に向かって差し伸べ、エジプトの地に闇を臨ませ、人がそれを手に感じる程にしなさい。」モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ。人々は、三日間、互いに見ることも、自分の居る場所から立ち上がることも出来なかった。イスラエルの人々が住んでいる所には何処でも光があった。
                      【出エジプト記10章21~23節】


第三の「秩序」
 「真実の光」の源なる方、主なる神の栄光の訪れには、神の創造の第三の「秩序」として、「輝きを投じ、輝きを与える」為に働くこと、この素晴らしい役割(ミッション)があります。然り、輝く為に光は存在します!ところで創造主なる神は、ご自身が大地と定めた(領域区分した)、光が投じられるフィールドのことを「昼」、そして光が投じられないフィールドのことを「夜」と、それぞれに命名した訳ですが、この「夜」の暗闇が去った後に、必ず「昼」の輝きが訪れる時代、それがまさしく「今の時」かも知れません。


 創造主なる神の栄光の「輝き」は、最初のアダム(エバ)の創造を通して、偉大なる神の御業が一旦は開始されました。しかし、彼らが「暗闇の声」を聞いた(受け入れた)が故に、「真実の光」の拡大が終了したように見えましたが、主なる神はそれを「良し!」とはされず、むしろ彼らの「失敗」を通して、神の「救い(贖い)」の次元を、新たに開始する(切り開く)ことになります。


光の「輝き」が臨む時
 では主なる神は、具体的に「真実の光」の輝きを、どのように臨もうとしておられるのか?それが今回の記事から学ぶべき、第一の重要ポイントです。「神の事実(歴史の流れ)」としては、「真実の光」なる御子イエス・キリストが、天の御国に還って行かれた訳ですから、私たちが神の光の「輝き」を「どのように運べばよいのですか?」などと思って、中々進み行くことが出来ないかも知れません。


 しかし、イエス・キリストは昇天される直前に、不信仰に悲嘆する弟子たちに対して、偉大なる預言的勅令(遺言)を宣言されました。「しかし聖霊が、あなた方の上に降られる時、あなた方は天よりの力を必ず受ける!その時から、あなた方はエルサレムに始まり、果ては地の隅々に至るまで、(死から復活し、今も尚生きて働く方)、然りイエス・キリストの証人となる!」と(使徒行伝1章8節参照)。この御言葉には、「輝き」という言葉は用いらていません。しかし私たちは、次の「神の事実」も知っています。即ち、バプテスマのヨハネを通して、イエス・キリストが洗礼を授かった時に、聖霊が降って来て、彼の上に留まった、まさに「その時」、イエス・キリストの御顔に、天上の「輝き」が灯された(臨んだ)!ことを。


 そういう意味で、モーセの時代に起きた神の「栄光」の訪れ(輝き)を、私たちが霊的に学ぶことで、①私たちが最終的に何処に向かって進んでいるのか?②私たちが「輝き」を戴いた以上、誰に対して「輝き」を届けるのか?この二点について、私たちは正しく知る必要があります。


闇が臨むとは?
 神に反抗し続けるエジプトに対して、主なる神は偉大なる創造の御業を、この時のモーセに託しました。「あなたの杖を握る手を天に挙げよ!そして命じなさい。『闇よ、エジプト全土に臨め!』と」。モーセはその瞬間、思わず驚愕しながら問います。「え!その闇って何ですか?」と。すかさず聖霊様は、躊躇するモーセに命じます。「あなた方の考える闇(夜の闇)ではない!それは手に掴むこと出来る闇であるが、あなた方には決して追い払うことの出来ない闇である。その闇が臨む時、恐怖のみが全てを支配し、暗闇の中で身動きが取れない程の、まるで凍り付いた状態に、全てのものが闇に縛られる。だからあなたは信じて、ただ一言、闇に命じなさい!」と。


 モーセの「唇」を通して、全能なる神が遣わした(送った)「闇」が、エジプト全土に放たれた瞬間、国家として成り立たなくなる程の、絶望(国土壊滅)的状況が出現しました。しかも「三日間」だけ。しかしエジプト国民は、この「三日間」を耐え切ることが出来ませんでした。恐らく「闇」が臨み始めて、数時間経っただけで、「もう駄目だ!我々には死あるのみだ。」などの、絶望的な心理状況に追い込まれました。


輝き続けたイスラエルの民
 しかしイスラエルの民の中(生活環境)には、創造主なる神の「真の光」が、更なる「輝き」を伴って、燦燦と照らし続けたのです。これが第二の重要ポイントです。ですから彼らは、「平安」から「平安」へと導かれ、敵(ファラオ勢力)からの「罵り」と「嘲り」などの迫害は、この「三日間」一切ありませんでした。そうです!この時から彼らの「霊」から、「恐れ」「不安」「悲しみ」などの暗闇の次元が、完全に追い払われました。神の偉大なる「光(栄光)」の次元だけが、彼らの全てを覆うことになったからです。


 私たちの生きる「今の時」にも、この時の神の奇跡の「輝き」が臨んだとしたら、どれ程の素晴らしい、「キリストの証人」としての御業が、全てに満ち溢れることでしょう!私たちは彼ら同様に、神の栄光の訪れを体験し、聖霊様は神の「真実の光」、即ちイエス・キリストの品性を、霊的に帯びる(着せられる)証人、即ち光輝く「神の器」に仕立てられるのです。


 「今の時」は、イエス・キリストの再臨を、激しく飢え渇き求めて準備している、真の花嫁(賢い乙女)の「祈り」を通して、「三日間」どころか、イエス・キリストの来臨の時まで、神の「真の光」が、更なる「輝き」を伴って燦燦と照らし続ける、最終の時代に入っています。


 結論になりますが、神の「真実の光」の輝きが行き着く先、即ち「最終ゴール」は、何処にあるのでしょうか?「もはや、夜は無く、灯の光も太陽の光も要らない。神である主が僕(しもべ)たちを照らし、彼らは代々限り無く統治するからである。」(黙示録22章5節)この御言葉を詳訳すると「もはやそこには、夜と呼ばれているものが一つも無く、彼ら(キリストを信じる者たち)には、灯や昼の光が不要である。何故なら、主なる神が彼らの光となって、彼らは永遠から永遠へと、神の支配の中で生き永らえるからである。」となります。


 この御言葉には明確に、「昼」という状態が必要なく、神が用意される新しい「天」と「地」において、如何なる「最終形」で、「真実の光」が完成される(ゴールを迎える)のか、その方向性(真実の終着点)が描かれています。結論から言えば、私たちは「真実の光」に覆われ、完全に「真実の光」と共に生きる、即ち聖なるキリストとの「一体化」が、聖霊様の最終仕上げのもと、御国の婚礼式典の時に成就(完成)します。そうです!私たちは「真実の光」の輝き、そのものの中に包まれ、真の「輝き」に覆われる存在、即ち新しい体(キリストの花嫁)として、父なる神が用意した、新しい「天」と「地」を受け継ぐのです。


 何故なら私たちには、イエス・キリストを長子とする「神の家族」として、当然の「報い(相続)」を受け取る、素晴らしい特権が付与されているからです。神の「真実の光」の輝きが、ゴール(終着点)に辿り着いた時に、その麗しい「輝き」の称号として、私たちは「キリストの花嫁」と呼ばれることになります。


 「偽りの光」を放つ悪魔サタンは、益々この世の権力者に働きかけて、多くの人々を支配し苦しめます。だからこそ私たちキリスト者は、「肉の戦い」ではなく、「霊的な戦い」へと、更に聖霊様を通して駆り出されるよう、益々祈り求めて行きましょう!真の「輝き」を、永遠に灯して下さる創造主なる神の、新しい天地創造の最終的的な「秩序」の完成が、いよいよ目前に近付いています。


 そうです!私たちは、主イエス・キリストの「来臨の時」に備えて、熱心に倦むこと無く祈り続けましょう。イエス・キリストの偉大なる「輝き」が、全地に満ち溢れて拡大するよう、私たちは更に召し出されて行くのです。暗黒の冬の時代は、間もなく「終わりの時」を告げます。イエス・キリストの近付く「足音」が、更に大きく響き始めた「今の時」に、あなたがイエス・キリストの、「真実の光」の輝きを放つ者として、聖霊様を通して更なる「祈り」に専念できますよう、主イエス・キリストの聖名で、祝福してお祈りします。アーメン!(2024年1月28日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

英語版(エステル処方)は以下から! 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ

にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する