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Terminal Hope(No.35)

K・バルナバ

     「光の子」として生きなさい!

 

 


しかし、兄弟たち、あなた方は暗闇の中に居るのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなた方を襲うことはないのです。あなた方は全て光の子、昼の子だからです。私たちは、夜にも暗闇にも属していません。

          【Ⅰテサロニケ書5章4~5節

 

灯火の明かりも、もはや決してお前の内には輝かない。花婿や花嫁の声も、もはや決してお前の内には聞かれない。何故なら、お前の商人たちが地上の権力者となったからであり、また、お前の魔術によって全ての国の民が惑わされ・・・・

          【黙示録18章23節

 

二つの「警告」

今の時が、信号機が「黄色信号」の点滅から、いよいよ「赤信号」に変わる、そんな「危機の時代」に突入しています。しかしそれは、彼ら(悪しき人々)にとっては、「盗人」が突然に襲撃するかの如き、大変な出来事であっても、私たちにとって待ちに待った、祝宴(フェスティバル)の「喜びの時」となります。

 

ご存知のように、聖霊様は私たちに対して、「脅し」や「惑わし」をもって、けし掛けたりする方ではありません。聖霊様の「働き」は、その全てが「聖さ(麗しさ)」に満ち溢れ、完全なる「聖潔さ」に至る(結実する)ものです。ですから聖霊様の働く次元は、悪しき強盗(盗人)ではなく、完全なる「熱情の愛」に満ちた、忠実な神の「執事(ジェントルマン)」であること、これを先ず覚えて下さい!

 

今回のテキストには、二つの聖霊様からの「警告」が記されています。第一の「警告」は、私たちキリストの花嫁に対するものであり、第二の「警告」は、悪しき者(愚かな乙女)に対するものです。私たちは着実に、五人の「賢い乙女」として、「寝ずの番(務め)」を果たしながら、主人(花婿なるイエス・キリスト)が、いつ帰還(帰宅)しても良いように、全ての事に備えていれば、それこそ待ちに待った、祝宴の「喜びの時」になります。

 

覚えて戴きたいことは、私たちは「光の子」、即ち「真実の光」なる方、主イエス・キリストに属する「神の子」という、御国の身分の称号にあずかる者です。だからこそ、聖霊様は私たちに対して、今の危機の時に「しっかりしなさい!」と、常に叱咤激励して下さいます。ところが私たちは、つい「現実」を見てしまい、「主よ、いつまで(待つの)でしょうか?もう少し早く来て下さい!」などと、肉の思い(不安と焦り)から、事を急ぐ心境に陥ります。ところが聖霊様の場合は、「神の時は満ちている。その時に向けて、あなた方はしっかりと、一つ一つを忠実に果たしなさい!」と、ひたすら霊に燃えて、日々の務めを為す(準備する)よう、私たちを励まして下さいます。

 

聖霊様の望む「賢い乙女」

今回のメッセージの、重要となる第一ポイントは、「終わりの時」に当たり、聖霊様が発して下さる二つの「警告」を、私たちは「霊」の只中に、明確に刻みつける必要がある!という点です。「光の子、昼の子」(5節)とは、如何なる人々を指すのでしょうか?家長たるイエス・キリストに、忠実に仕える(務めを果たす模範的な)人々のことです。では聖霊様は、今の「終わりの時」に、如何なる「賢いグループ」を望んでいるのでしょうか?

 

それは①聖霊様が(その者の)全てを支配し、②聖霊様が言われることに、素直に聞き従うことが出来るなど、霊的に両刃(もろは)の如き、柔軟性と鋭敏(シャープ)性を兼ね備えている人(神のしもべ)です。私たちはとかく、自分の「肉の力(能力、権勢等)」を研ぎ澄ますことに尽力します。しかし聖霊様は「それらのもの全てを放棄しなさい!私が与える霊の剣だけで十分です。」と言われます。

 

今まで経験したことの無い「主の日」、即ち最高の「祝宴の時」が、間もなくしたら訪れます。神の「真実」は、求める者に対して、永遠に与え続けられます。ましてや神の「祝福」は、私たちを完成に至らしめるべく、イエス・キリストという、「真実の光」を豊かに注ぐことを通して、私たちが「夜の暗闇に属する愚か者」ではなく、永遠に灯し続けて下さる、「真実の光に属する賢い乙女」であることを、常に気付かせて下さいます。その結果、私たちは聖霊様にあって、力強く生きることが出来ます。何故なら「ゴール(完成の時)」が、目前に用意されているからです。

 

「その時」が来たら、私たちは迎え入れられることになります。御国の遺産を受け継ぐ、「神の子」の身分として。今の「終わりの時代」だからこそ、私たちに問われている、基本的な信仰の「生き方」、それは私たちが「賢い乙女として、今は生かされ、光の子としての輝きに、更に満ち溢れるようになる!」という、聖なる意識付けをもって生きること、それが何よりも重要となります。

 

「愚かな乙女」の末路 

  今回のメッセージで、第二の重要ポイントである、「賢い乙女」とは対照的に、「愚かな者」が辿る、悪しき「生き方」が、最終的にどうなるのか?、この点についても、私たちは聖霊様からの「警告」として、真摯に受け留める必要があります。「愚かな者」とは、最後のバビロン(反キリスト帝国)に組する(膝を屈める)集団のことです。今回の二つ目のテキスト(黙示録)には、彼らに対する三つのメッセージ(警告)が預言されています。第一に「灯火の明かりも、もはや決してお前の内には輝かない」こと、これは非常に絶望的な預言です。つまり「光」が消えて、いくら「灯火の油」を注いでも、その灯心からは「灯火」が点火しない状態です。例えば今日、世界中で盛んに唱和されているスローガン、「持続可能な・・・・」三次元的レベルが、まさに「いつかは朽ち果てる光」です!

 

第二に「花婿や花嫁の声も、もはや決してお前の内には聞かれない」こと、これは花婿なるイエス・キリストと、花嫁なるエクレシアとの、真実の声の関係(正しい唯一の福音の流れ)が、もはや彼らの中に存在しない!ことを意味しています。当然の如くに、彼らの中に蔓延る(流れる)のは、異なる種々の「(人が求める)福音」であり、聖書の教えとは完全に懸け離れた、反キリストの教えのみが、彼らの欲望を満たし、愚かな乙女(バビロン教会)が隆盛するだけです。

 

第三に「お前の商人たちが地上の権力者となったからであり、また、お前の魔術によって全ての国の民が惑わされ」ていること、これは多くの世的なリーダーたちが、あらゆる人々を騙すことで、自分の保身を図るべく走り回っている姿です。彼らの欲望の本丸は、富(マネー)の城であり、それを守る為には、ありとあらゆる「世的な力」を動員します。しかし如何せん、彼らがいくら鉄壁の要塞を、頑丈に造り上げたとしても、最終的な神の「裁き」により、世的な「ほら穴(シェルター)」が、完全に破壊し尽くされることになります。

 

「賢い乙女」が抱く聖なる意識

さて、そのような「終わりの時」に、私たちキリストの花嫁(賢い乙女)は、如何に生きるべきでしょうか?「目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く。」(ダニエル書12章3節)この御言葉を詳訳しますと、「賢い乙女たちは、天空に燦燦と輝く光の中にあって、益々輝きを増し加え、何が正しいかを、多くの人々に教え示すことで、星々のように、とこしえに輝き続けることになる。」となります。

 

私たちが「キリストの花嫁(賢い乙女)」として、最終的に受け継ぐ、「新しい天」と「新しい地」の中心において、真実の光なるイエス・キリストと、共に「輝き」を共有し合うなど、その偉大なる「栄光」の臨在は、私たちの唇では、簡単に表現できるものではありません。「賢い乙女」は、現実に基づく人間的な「肉の判断」ではなく、あくまで主人の「御心(ご意思)」を、最高の「教え(ご命令)」として受け留めます。然り!「主人が、いつ帰って来ても良いように、心して備え待つ!」のです。

 

この時の「いつ」とは、人の時で計る次元ではなく、それが仮に「一秒後」、若しくは「十年後」であっても、即応できる信仰姿勢を、賢い乙女グループは為すなど、主人が「必ず返って来る!」という、「神の事実」の中に生きることが重要です。それに対して「愚かなグループ」は、人間的な秤である「いつ?」という、「人の事実」の中に囚われる為、思考(意識)レベルが次第に低下(世に迎合)します。

 

主なる神が私たちに対して、聖霊様を通して要求される「賢さ」とは、第一に①「聖なる衣」を大事に扱うべく、日々洗い聖めて、美しく整えて着用していること。第二に②主人が必ず帰って来る、その為に「聖なる油」を常に整え、絶えず灯火し続けること、この二点だけです。そうです!賢い乙女にとって、主人が「深夜」遅くに帰って来たとしても、主人の「御顔」を瞬時に捉える、灯火の「輝き」が、十分に放つか否かが、重要になって来るからこそ、決して日々の務めを怠りません。

 

何故なら彼女たちにとって、主人が返って来ること自体が、最良の「喜びの時」となるからです。私たちの主人は「盗人」のように、つまり多くの人々が気付かないように、こっそりと帰って来られること、これに意識を集中させる、霊的な「賢さ(鋭敏さ)」が求められます。それに対して「反キリスト(偽物の主人)」の場合は、いきなり(目立つ形で)世界的にデビューし、堂々と(世界中が見守る中)現れ出て語るのです。「我こそが、世界に平和をもらす救い主である!」と。

 

そうです!私たちは花婿なる、主イエス・キリストが再臨される「その時」に向けて、自分が果たして「どちらを意識して生きているのか?」を、聖霊様に点検して戴きましょう。あなたが「賢い乙女」であるならば、必ず「真実の光」の子として、御国の次元を求める「飢え渇き」が増して来ます。それとも、相も変わらず「暗闇」の中で、びくびくしながら「将来」の事ばかりに、「気(恐れ)」を取られるなど、世の次元を意識して生きていますか?

 

否!私たちは「この世」の流れが、たとえ不安定で、騒乱した時代の中にあっても、「私は真実の光の子として、イエス・キリストの花嫁として、たとえ死を前にしても、真実の主人にのみ膝を屈める、賢い花嫁です!」と、御国の全き信仰を注がれた、三人のダニエルの友人(勇者)です。この聖なる意識を、常に持ち続けて下さい。主イエス・キリストが、私たちの「真の羊飼い」である限り、私たちが必要とするもの「全て」が、私たちの歩む先々において、①既に、②必ず、③無尽蔵に用意されています。それ故に、恐れる「暇(いとま)」もありません!

 

主イエス・キリストの麗しい「臨在」が、あなたの日々の生活の中に、聖霊様の奥深い「啓示」と、折に適った「助け」を通して、着実に輝きを増しながら、現わし出されて行きますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2024128日のメッセ-ジ)

 

☆バルナバ・ブログ福音薬局 


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