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Terminal Sound(No.12)

K・バルナバ

     「贖い」の時報

 

 

 

(午後)三時頃、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「我が神、我が神、何故私をお見捨てになったのですか。」という意味である。
          【マタイ福音書2746節

 

あなたを苦しめた者の子らは、あなたの元に来て、身を屈め、あなたを卑しめた者も皆、あなたの足元にひれ伏し、主の都、イスラエルの聖なる神のシオンとあなたを呼ぶ。かつてあなたは捨てられ、憎まれ、通り過ぎる者も無かったが、今、私はあなたをとこしえに誇り、代々の楽しみとする。あなたは国々の乳に養われ、王たちを養う乳房に養われる。こうして、あなたは知るようになる。主なる私はあなたを救い、あなたを贖う者。ヤコブの力ある者であることを。

          【イザヤ6014~16節

 

「贖い」のサウンド

 私たちは、遂に「終わり(完成)」の時に向けて、信仰をもって日々生きています。それ故に、主イエス・キリストが間もなく帰還する、その神の「時報」を聞くべく、私たちは「霊の耳」を研ぎ澄ます必要があります。今回のテキスト(マタイ福音書)には、神の定めた「時刻(午後三時)」が記されています。

 

その「午後三時」頃に、主イエス・キリストが瀕死の体にも関わらず、最後の力をふり絞って、大声をもって叫ばれました。聖霊様が天の御力を、その時刻にイエス・キリストの、み体全てに注いだ瞬間、イエス・キリストは力の限りを尽くして、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ!」という、最後のサウンドを発したのです。

 

 

このイエス・キリストの、十字架上の「最後のサウンド」は、一般の人であるならば、泣きながら「か細き声」で懇願する、最後の遺言の如きものです。しかしイエス・キリストは、何か「大事なメッセージ」を、誰かの「耳」に残す(伝達する)べく、そんな力が何処に残っていたのか?と思わされる程の、大声で叫ばれたのです。その大声は、誰に向けて叫ばれたのでしょうか?当然のことながら、それは先ず父なる神に対して発せられるものですが、同時にこの大いなる叫びは、全ての人々に対して発せられたものです!

 

午後三時に発せられた、このイエス・キリストの「大声(神の時報)」は、主なる神の大いなる「贖い」のサウンドとして、今も尚鳴り響いています。イエス・キリストが大声を発せられた瞬間、何が起きたのでしょうか?エルサレム神殿の至聖所の垂れ幕が、真っ二つに裂けました。「その時」から神の時報(救いのサウンド)は、今も継続して「時報(時の知らせ)」を告げています。

 

「見捨てる」ことで「贖い」が始まる!

しかし覚えて下さい!ある時点で、この「時報(時の知らせ)」は止まり、天使長ミカエルの大号令(御国の角笛サウンド)に切り替わります。今回のイエス・キリストの「言葉の叫び」にある、「見捨てる(abandon)」という動詞は、やむなく放棄せざるを得ない時に使用する言葉です。ですから御子の表現とは言え、この言葉の中に既に、父なる神の「ご意思」が垣間見えます。別の表現としては、「父よ、あなたは私を遣わしたにも関わらず、何故それ程にまでして(この私を)、やむなく地獄に突き落とすのですか?」となります。

 

しかしこの言葉の「先」には、実際は何も語られていませんが、イエス・キリストは「あなたが私を見捨てなければ、十字架の救い(贖いの扉)が開かれません!ですから今、直ちに屠って下さい!私の命の代償として、あなたの贖いの御業を信じる、全ての人々をお救い下さい!」と、力の限りを尽くして宣言しているのではないでしょうか!つまり「私(ご自分)を地獄に捨てる代わりに、あなたの救いを信じて仰ぎ求める者を、滅びの淵から救出して(見捨てないで拾って)下さい!」という表明です。


実は「見捨てる(abandon)」の対義語は、「贖い出す(resque)」です。私たちの主イエス・キリストは、ご自分の最大の「御子という称号(身分)」を捨ててまで、私たちを贖い出して下さいました。イエス・キリストの十字架から発せられた、この最後の「贖い」のサウンドという視点から、今回の二つ目のテキスト(イザヤ書)を、再度熟読してみますと、私たちに与えられている、将来の「栄光」の姿(身分)が、如何に素晴らしい天上の次元に、実は結び合されているのか、それが前もって描かれているのです。

 

御国の称号

私たちに与えられる将来の「栄光ある称号」は、「しみ」も「汚れ」も一切無き、御子イエス・キリストの「花嫁」、即ち「御国の王家」に連なる者として、イエス・キリストご自身が、十字架上から直々に賜わるものです。「あなたを苦しめた者の子らは、あなたの元に来て、身を屈め、あなたを卑しめた者も皆、あなたの足元にひれ伏し、主の都、イスラエルの聖なる神のシオンとあなたを呼ぶ。」(14節)にある、「苦しめた者」は当然、自分にとって憎むべき「敵」となりますが、イエス・キリストの場合は、全ての者が神の「贖い」を受け取るべく、御許に来る(立ち返る)ことを望んでおられます。

 

イエス・キリストは、ご自分の「贖いの場」、即ち十字架の御許に立ち返る者に対して、「あなたは、父なる神の救いを受けた者、贖われた神の王族として、永遠の御国の称号を授与する!然り!あなたは聖なる、シオンの民である!」と、大声をもって呼ばわるのです。たとえ私たちが、罪を犯し続ける者であったとしても、十字架の「救い(贖い)」を信じて、素直に罪を悔い改める者には、ご自身の聖なる「血潮」をもって、その都度聖めて下さいます!

 

然り!イエス・キリストにあって、私たちは「永遠の贖い」という、御国に属する「聖なる身分(称号)」が付与されるのです!悪魔サタンは、このイエス・キリストにある「聖なる身分」を、極端に忌み嫌います。それ故にサタンは、私たちの「霊」に常に囁きかけます。「果たして今のあなたが、聖い乙女と言える状態かな?あなたは所詮、世から離れられない身分だから、いつかは見捨てられるかもね!」などと。

 

しかし聖霊様は、その時も深い呻き(とりなし)をもって、私たちに優しく臨んで下さいます。「今一度、神の真理を思い出しなさい!神の贖いは唯一、イエス・キリストの十字架上の、一度限りの生贄(死)によって、あなたは既に贖われ、永遠の御国に属する、神の家族の一員です!あなたは決して捨てられた者、見放された者、愛されるに相応しくない者ではなく、花婿イエス・キリストによって、永遠に愛される花嫁です!」と。

 

「終わりの時」に用意している、創造主なる神の「贖い」のサウンドは、聖霊様が直接持って来るものです。天使たちの吹き鳴らす角笛と共に。「その時」には、賢い乙女たちは理解します。「あ!遂にあの方は、帰って来られた。」と。それ故に私たち花嫁も、大声をもってサウンドを発するのです。「花婿なる方よ、すぐに帰って来て下さい!」と。

 

「霊の耳」を確実に研ぎ澄ましながら、今一度覚えようではありませんか!「その時」、即ち神の「贖い」の時報は、カウントダウンしながら、着実に近付きつつある!ことを。神の麗しいサウンドに耳を澄まして下さい!サタンの「惑わし」のサウンドは、全て無意味なものととして、完全に無視して下さい。私たちの「霊」の只中に住まわれる、小羊なるイエス・キリストは、ご自分の命の代償とする程に、あなた(私)という「一頭の子羊」を贖うべく、今も尚大声で呼ばわって下さるからです。

 

あなたは国々の乳に養われ、王たちを養う乳房に養われる。」(16節)は、直訳すると「国々や世の王(君主)たちが、必ず私たちの面倒を見ることになり、まるで赤子を育てる母親のように、私たちは養われて行く。」となります。然り!主なる神は、国々(国家)及び君主(国家元首)を用いてでも、私たちの全てを必ず守り導く方です。いずれ私たちキリスト者は、巨大な国家権力による迫害も受けますが、それと同時に小レベルの王(君主)たちが、私たちの事をケアする(面倒を見る)、そんな奇跡も用意されているのです。

 

主なる神は「永遠の愛」をもって、あなた(私)を「滅びの世」から救い出す(贖う)、全能の力に満ちた「贖い主」として、あなた(私)に大声でサウンドするのです!「世から出でて、主イエス・キリストの御許に直ちに来たれ!」と。このイエス・キリストにのみ、私たちは「永遠の希望」を置きましょう!聖霊様は、主イエス・キリストの来られる「その時」を、恋焦がれて待ち続ける、賢い乙女(あなた)に向けて、贖いのサウンド(時報)を、必ず発信して下さいます。それ故に、あなたは「キリストの証人」として、必ず駆り出されて行くことを信じて、その時報に耳を傾けて参りましょう!イエス・キリストの「救い」を待ちわびている、多くの日本人が用意されているからです。

 

祈り

 主よ、あなたは聖なる方です。聖なることを良し!とされる方です。この世は益々悪しき流れにより、「汚れ」が氾濫しています。しかし、あなた様を待ち望む「賢い乙女」が、堅固なる岩イエス・キリストを土台として、そこに聖なる宮を確立するべく、今も尚祈り続けながら、「終わりの時代」に聖霊様の助けを通して、日々私たちを生かして下さることを感謝します。

 

 汚れた世にあっても、私たちは決して罪に染まることの無い、「聖なる衣」を着せられて、神の「聖なる品性」に包まれていることを感謝します。また私たちが、日々「天の糧」をもって養われ、着実に「神の都」へと、一歩ずつ前進していることも感謝します。聖霊様が私たちを、「終わりの時」の生きるエクレシアとして、毎日導いて下さるよう、心からお祈り申し上げます。

 

 どうぞ私たちの行き着く最終目的地が、「新しい天」と「新しい地」でありますように。御国において、花婿なる主イエス・キリストとの、大いなる「祝宴の時」が、聖霊様の采配のもと、確実に用意されていることを、私たちは信仰をもって待ち望んでいます。どうぞ聖霊様を通して、天上からの油注ぎを増し加えて下さいますよう、イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2025330日のメッセ-ジ)


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