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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Thanksgiving(No.29)

                         アバ父の偉大さ




                                        イスラエルをそこ(エジプト)から
                                        導き出した方に感謝せよ。
                                        慈しみはとこしえに。
                                       力強い手と腕を伸ばして
                                       導き出した方に感謝せよ。
                                       慈しみはとこしえに。

                                                                        【詩篇136篇11~12節】


「アバ父よ!」と呼べる関係
 父なる神は「アバ」とも呼ばれますが、この言い回しは「親しみ」を込めた表現で、関西弁では「父ちゃん!」に相当します。この表現は、いつでも自由に父の元に近づき、自分の「訴え(願い)」等を言い易い、そんな近い関係から来るものです。ですから、今回の詩篇の表現を要約するならば、「私の父ちゃんは、とてもすごい人だよ!」となります。


 今の「子」世代は、親のことをどう見ているのでしょうか?何となく親子の「距離間」が、昭和時代の大家族と違って、単なる「(ゲ-ム上の)駒」の如き存在(関係)ではないでしょうか。しかし新約聖書は明確に、パウロの言葉を借りるならば、「アバ父よ!」と呼べる程の親しい関係、つまり「いつでも文句を言える!」、「いつでも自分を守ってくれる!」程、その存在感が大きい方です。


 例えば、あなたに対して誰かが、「あなたのお父さんは、何がすごい方だと思っていらっしゃいますか?」等と問われた場合に、あなたは如何なる返答をするでしょうか?私たちが未だ、幼子(小学生も含む)の如き年代でしたら、様々に即答できるでしょう。しかし大人世代の私たちは、「う-ん!こういう所は好きで誇れるんだけど、やはり嫌な部分も多いから、あまり言いたくないね!」等と、返答に苦慮する方が殆どではないでしょうか。


「世(エジプト)」からの解放
 さて、私たちの信じる父なる神に対しても、私たちは神の「偉大さ」に関して、各自が抱く信仰の次元(霊的イメ-ジ)が、実は様々にあります。ある者にとって、それは自分の「苦しみ」、「悲しみ」、「病」などを癒して下さったこと。また全ての「貧困」と「呪い」からも解放して下さったこと等、父なる神の「導き」と「取扱い」に関することです。


 またある者にとって、それは目に見える次元の出来事ではなく、神の「救い」の恩寵にあずかったこと、その偉大なる「恵み」を讃えることかも知れません。しかし、何よりも私たちが捉えるべき、父なる神の「偉大さ」は、「永遠に褒め称えるべき存在」であることです。何故、永遠に褒め称えるのでしょうか?その「答え」となるキ-ワ-ドは、「奴隷」からの解放です。


 私たち日本人は、ある一時期「GHQ」の支配下にありましたが、その歴史の殆どが「奴隷」の如くに、他国(他民族も含む)によって占領(支配)された経験がありません。ですから「罪の奴隷」という概念も、中々理解しにくい訳ですが、奴隷とは「手かせ」「足かせ」という、重い鎖に両手・両足が縛られた状態で、過酷な労働を無報酬で強いられる、そんな身分の人々です。ですから「罪の奴隷」とは、「罪」故に逃れる(解放される)ことの無き、永遠の「拘束(縛り)」に苦しむ人々です。


 ですから、イスラエルの民が主なる神に対して、「永遠に褒め称えるべき存在」とする理由が、「罪(霊的エジプト)」という、永遠の縛りからの解放、即ち神の「救い」に他なりません。「奴隷」の状態から完全に解放して下さり、永遠に「縛り」無き状態(次元)へと、導き(連れ)上らして下さったこと、そして今も尚導いて下さっている、全き信仰に立ちながら、彼らは褒め称えているのです。


 では、私たちキリスト者はどうでしょうか?「私を、日々この世から贖い出し、今も尚、この世の次元の誘惑から切り離し、天の次元へと導いて下さる、また常に神の偉大さを更に知るべく、力強い御腕をもって守り支えて下さっているから、私は永遠に父なる神を褒め称えます!」という、賛美に満たされた生活が、四六時中為されているのであれば、それこそ「アバ父よ!」という関係に、あなたはあるのです。


父なる神の「偉大さ」
 結論になりますが、父なる神の「何」が、一番にすごい(偉大な)のでしょうか?聖書は端的に(目に見える喩えで)指し示しています。それは「御腕(arm)」と「御手(hand)」です。つまり、「力」の強さが一番(真っ先)に現れる二大器官です。


 詩篇の作者は、エジプトから連れ上った神の「御力」を、決して離すことの無い「力強い御手(strong hand)」と表現し、また私たちのことを、一旦力強く抱きしめた時から、絶対「敵」に奪われることが無い、力強い「御腕(powerful arm)」と表現しました。父なる神の、この二つの大きな働きを、私たちが常に感謝し続け、褒め称えることが大事です。


 そうです!私たちの「アバ父」は、常に手離すことの無い「御手」、しっかりと抱きかかえた以上、決して弱めること無い「御腕」をもって、今も尚私たちを、カナンへと導いて下さっています。この永遠に変わらない、「父」と「子」の関係を、私たちは賛美するのです。


 私たちは、今でも自分のことを「強い!」と言えない、「弱い」自分かも知れません。何故なら、完全なる「贖い」が成就するのは、天の御国に帰った時であることを、私たちは知っているからです。私たちが、「この世(霊的エジプト)」にあっても、安心して暮らして行ける理由は、私たちはエジプトの「奴隷」ではなく、主なる神を「アバ父よ!」と呼べる程の、神の子だからです!


 このことを、私たちが決して忘れずに、常に褒め称えるのであれば、「神の国」は常に、私たちの目の前に訪れます!「父よ、私は永遠にあなたを賛美します。あなたは偉大なる方、褒め称えるべき方です。私を常に守り導き、力強い御手と御腕をもって、私を支え愛して下さるからです。」と、私たちが賛美し続ける限り、カナンから流れ出る「命の水」が、私たちの「霊」の只中から、豊かに溢れ流れ出るのです。


 父なる神にのみ、私たちの真の「希望」があります!偉大なる神の「導き」により、私たちの「信仰」が高められ、常に神の御名を褒め讃えることが出来ますように!また聖霊様の日々の取扱いに対して、私たちが謙虚に従うことが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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