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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

信仰の完成(No.34)

                       生活の資を得る権利




また私は、レビ人に与えられるはずのものが与えられず、務めに就いたレビ人と詠唱者が、それぞれ自分の耕地に逃げ帰っているのを知った。私は役人を責め・・・・レビ人と詠唱者を集め、務めに就かせた。こうしてユダの人々が皆、十分の一の穀物と新しいぶどう酒と油を貯蔵室に持って来た。私は、祭司シュレムヤ、書記官ツァドク、レビ人ペダヤに貯蔵室の管理を命じ、・・・・ハナンを彼らの助手とした。彼らは忠実な人物とされており、仲間に分配する任務が彼らに委ねられた。私の神よ、・・・・神殿とその務めのために示した、私の真心を消し去らないで下さい。
                                                                                   【ネヘミヤ記13章10~14節】


ネヘミヤの第三の「改革」
 ネヘミヤが第三に取り組んだ改革は、神殿奉仕者であるレビ人、及び聖歌隊(詠唱者たち)などが、経済的になおざりにされていた実態を知り、本来の「公平分配」制度を、全面的に再開することでした。


 本来であるならば、ダビデの「幕屋」から続く、神の居ます「宮(聖殿)」においては、神の働き人の全てが、神殿に奉納される「穀物」等を、各役職の家族単位に応じて、公平に分配されるべきでした。そうすることで、神の宮の聖なる「奉仕(働き)」が、麗しい神の「御体」の栄光を現すものとして、豊かに為されていたからです。


 しかし「事実」としては、彼らは「ネグレクト(なおざりにすること)」の状況下に置かれていたのです。ですからネヘミヤは、それを知った時に、物凄い「憤り」を表したのです。その結果ネヘミヤは、彼らの「生活の資」を確保すべく、具体的に如何なる「改革」を実行したのでしょうか?


 ネヘミヤは、先ず「什一の穀物」の献げ物の、総量を正確に計算し、「生活の資」を得る権利を有する奉仕者全員に、必ず公平分配することを宣言しました。私たちキリスト者も、「この世」の生活に追われながら、経済的に悪戦苦闘している毎日です。霊的には神の「働き人」である、私たちが何故、「この世」の中で苦労を強いられるのか?等と、つい愚痴(不平)を漏らす時もあります。


 しかし覚えて下さい!聖霊様は、私たちの霊的な「弱さ」ばかりでなく、経済的困難(困窮)な状態をも、全てご存知の方であり、実は私たちのために執り成し、神の国の「祝福」を公平分配すべく、一生懸命に働いて(改革して)おられるのです!


 続いてネヘミヤは、この第三の「改革」に実行するに当たり、奉仕者全員の「員数」、それは仕方なく神殿から去った人々も含む、その総数を調査しました。それが終わったら、直ちに「号令」を発したのです。「彼らのために、穀物蔵の全てを開放せよ!まだ(敵との)戦いは終了している訳ではない!それ故、彼らの生活の為にも、あなた方は更に献げなさい!この改革が、道半ばで終わる訳には行かないから・・・・」と。


四人の忠実な管理者
 公平分配する任に当たる者として、ネヘミヤは四名の忠実な者(シュレムヤ、ツァドク、ペダヤ、ハナン)を選びました。彼らの際立った人格的資質は、先ず①分配することに関して、全く「私心」が無いことでした。人は何かを分ける際には、必ず人間的計算(見返り)をもって為そうとします。しかし彼らは、単純に「家族構成数」に応じた算出をもって、公平分配のスピードアップを図りました。


 彼らの第二の資質は、②「公平性」に関して、優れた分配方式を確立し、それを誰も非難できない程、忠実に実行したことです。このような彼らの天賦の才(タラント)は、エジプトにおいて名宰相として、飢饉を乗り切った、ヨセフの農業政策の「知恵」と、同等の信仰が垣間見えます。つまり各年度の「収穫量」の如何に関わらず、神の働き人への「分配量」を、平均的に支給した訳です。


 このような、ネヘミヤの第三の改革を通して、聖霊様は私たちキリスト者にも、大いなる信仰的励ましを与えています。真の経済システムは、主なる神の「祝福」を源流として、豊かに満ち溢れ流れ行く時に、「この世」の中で循環し始めるのです!また神の「恵み」が、日々降り注ぐことを信じ始める時に、新しい「群れ(信仰者たち)」が必ず興ります。


 そこ(エクレシア)には必ず神の「潤い」があり、多くの人が群がることで、更に自発的に献げる人も増加します。そうです!使徒行伝時代に始まった、リバイバルの再来の時が、今でも興り得るのです!


ネヘミヤの切なる「祈り」
 その後、ネヘミヤは次のような祈りを、こっそりと(人知れず)捧げました。「私の神よ。どうか私の心に留め、私が為してきた業、私の行っている改革、私の礼拝する思いを、どうか思い起して、決して忘れ去らないで下さい(永久に覚えておいて下さい)!」(14節)と。


 ご存知のように、ネヘミヤは「最高権威」の身分、つまり幾らでも「報酬」を受け取ることの出来る、つまり生活の資を得る、第一(一番)の資格者でした。しかし彼は、それを得る以上の「渇望」、即ち神の御前にあっては、ひたすら民の霊的復興を執り成す、一礼拝者(祭司)として、この祈りを捧げたのです。


・・・・私とバルナバだけには、生活の資を得る・・・・権利がないのですか。・・・・私がこう言うのは人間の思いからでしょうか。・・・・私たちがあなた方に霊的なものを蒔いたのなら、あなた方から肉のものを刈り取るのは、行き過ぎでしょうか。・・・・しかし、私たちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、全てを耐え忍んでいます。・・・・主は、福音を宣べ伝える人たちには、福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。・・・・私は、誰に対しても自由な者ですが、全ての人々の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。
                                                                                【Ⅰコリント書9章4~19節】


 パウロのこの書簡、そして今回のネヘミヤの「祈り」には、共通の霊的方向性が示されています。神の宮の「奉仕者」の為す業(務め)は、一見何の価値(成果)も産まないように見えます。しかし、神の大いなる霊的次元においては、神の「救い」の事業に携わる(下支えする)、とても重要な働きです。


 それ故、彼ら(神殿奉仕者)の「働き」を執り成し、彼らに神の「祝福」が注がれることを、私たちも祈るのであれば、それは必ず私たちの「祝福」につながります!このようなエクレシアが、今後必要とされる神の「御体」像(イメ-ジ)です。


 私たちは、主なる神から賜った数々の「恵み」を、エクレシアの中で忠実に分配することが求められています。神の為であるなら、自分の「命」をも献げる覚悟で、忠実に「全て」を捧げ分配する、そのような神の「働き人」が、この日本に興されるよう祈り求めて下さい!


 主イエス・キリストの豊かな「恵み」が、あなたの忠実な「働き」を通して、これから救われる多くの魂に、満ち溢れる程分配されて行くことを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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