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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神の時(No.38)

                        鬨(とき)の声を叫べ
 


 
ヨシュアがエリコのそばに居た時・・・・彼が目を上げて、見ると、前方に抜き身の剣を手にした一人の男が、こちらに向かって立っていた。ヨシュアが・・・・「あなたは味方ですか、それとも敵か」と問いかけると、彼は答えた。「いや。私は主の軍の将軍である。・・・・」ヨシュアは地にひれ伏して拝し、彼に、「我が主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と言うと、・・・・将軍は・・・・「あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」・・・・主はヨシュアに言われた。「・・・・あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。・・・・」・・・・ヨシュアは、その他の民に対しては、「私が鬨の声をあげよと命じる日までは、叫んではならない。・・・・」彼はこうして、主の箱を担いで町を巡らせ、一周させた。
                                                                                             【ヨシュア記5章13~6章11節】
 
如何なる「声」を発するべきか?
 「鬨(とき)の声」とは、戦争における実際の「戦い」が、①開始される時、②突撃の時、③勝利した時に上げる(発する)、兵士たちの一斉の「叫び声」のことです。特に勝利した時の「叫び声」は、誰しも自然に発する感情、つまり興奮の余りに発する表現です。
 
 ところが今回の場面は、未だ「勝利」に至っている訳ではありません。ましてや主なる神の「ご命令」に関しては、「果してこのことに何の意味があるのか?」などと、必ず三次元的に疑ってしまう類のものです。しかし覚えて下さい!主なる神は、私たちの「弱さ」をご存知の上で、如何なる「鬨の声」を叫ぶべきかを、必ず教え示して下さいます。
 
 今の時代は霊的に見ても、非常に種々の「戦い(紛争含む)」が、間近に迫っていると言えます。その中で私たちは、いよいよ「鬨の声」を発する、そんな時代に突入しています。ところが現実の私たちは、「この世」の荒波の中で、人間的な声を発していないでしょうか?覚えて戴きたいことは、今の時代は「霊の眼」で見るならば、最後の七周目である!という点です。遂に花婿なる「神の御子」、即ちイエス・キリストが、キリストの花嫁を迎えんがために、目前にまで来ている!時なのです。
 
 その時に私たちが、「あーもう疲れました。先がどうなるか分からない時代ですから、早いこと助けて下さい。もう歩けないのですよ。鬨の声を上げるなんて、とてもじゃありませんが出来ません!」などと、人間的な声を発しているとしたら、聖霊様が(カツオを叱る波平さんの如くに)「ばか者ー!」と叱咤することでしょう。
 
主の将軍を見続けたヨシュア
 今回のストーリーから学ぶべき「神の事実」は、偉大な指導者ヨシュアと言えども、私たちと何ら変わり無き、弱い者であるという点です。彼は確かに、神の「奇跡(ヨルダン川を渡り切ること)」を体験しました。しかし前面には、「敵」が待ち構えているのです。それ故に「あー、この先(私たちは)どうしたら良いのだろう!」などと悩みながらも、ひたすら祈り続けました。
 
 すると彼の目に、遥か彼方でしたが、一人の男が堂々と立っているのが見えました。しかもその者は、一本の「剣」を手にしているのです。ヨシュアはその時、「まさか敵の将軍が、偵察にでも来たついでに、私と一騎打ちすべく、その時を待っているのだろうか?」と一瞬怯みました。
 
 そこで彼は、出来る限りの大声をもって、その者に問い質します。「あなたは敵ですか。それとも味方ですか?」と。するとその者は、ヨシュアの目を貫く程の聖い、澄んだ瞳をもって「私は父なる神から遣わされた、万軍の主の将軍である!」と返答しました。彼は一瞬、怯えこそしましたが、自分の目が盲目にならず、ずっとその者を見続けることが出来たので、すかさず「主よ、あなたは主の下僕であるこの私に、一体何を語って(命じて)下さるのですか?私は、そのお言葉を聞きます!」と、謙って答えました。
 
 さて、あなたは万軍の主が使わされた「将軍」を、霊的に見ることが出来ますか?また「霊の眼」をもって、常に見続けようとしていますか?すると、私たちは「時々!」、或いは「困った時だけ!」と、何となく見えている等の曖昧な返答をすることでしょう。しかし覚えて下さい!ヨシュアは明確に見続けたのです。彼の直ぐなる信仰姿勢に対して、主の将軍は「しもべヨシュアよ、恐れ多くも、ここは主の聖なる場所である。直ちに履物を脱いで、主の前にひれ伏しなさい!」と命じました。
 
 このように、私たちは時の経過の中で、その殆どが「主(将軍)」ではなく、「現実」のみを漠然と見ている、そのような弱き器です。私たちが、三次元的「事実」を見続ける限り、「他人(の視線)」や「この世(現実)」を恐れるのです。その結果、信仰の歩み(前進)が停止することになります。しかし、「主(将軍)」が私たちの先を行かれる限り、そこ(主の歩まれた道筋)は聖なる礼拝のフィールドになります!そうです!万軍の王の王、イエス・キリストが、私たちの前を常に行かれている!という、畏れるべき「神の事実」を、「霊の眼」をもって見る信仰姿勢によって、私たちが前進する限り、そこは聖なるフィールドになるのです。
 
 私たちが「神の事実」を見る限り、「エリコの城壁(この世という障害)」は無駄(無意味)なものに過ぎません。ですから神の視点で見る限り、それは恐れるものではなく、破壊すべき(破壊することが決定している)ものです。それ故に私たちは、「神の事実」のみを、常に見続けることが求められます。「現実」を見ることは、誰しもが(自然に)為していることです。しかし、この「神の事実」のみを、「霊の眼」をもって見続けること。これは非常に忍耐を要する信仰行動です。
 
「鬨の声」を叫べ
 「見よ、私はエリコとその王と勇士たちを、あなたの手に渡す。」(6章2節)主なる神の、この大いなる預言的「言葉」は、ヨシュアの「信仰」に、具体的な「神の事実」を示し、彼は明確に受け取り(確認し)ました。即ち敵の「王」と「将軍たち」が、ことごとく自分たちの手にかかって、打ち滅ぼされることです。これは未だ見えない「事実」です。
 
 最終的に主なる神は、彼らの「信仰」を練り聖めるべく、「現実(エリコの城壁)」を一日一周(六日間)し、最終日の七日目に七周するよう命じました。一見「無駄(無意味)」と思える(見える)行動を経ていく中で、彼らは忍耐を学び、「神の事実」のみを探り求め、遂に七周を巡り終えた「その時」、「鬨の声(信仰の表明)」を叫んだのです。
 
 私たちの「肉の眼」では、神の「御手」を見ることが出来ませんが、「霊の眼」では明確に、見えざる神の「御手」を感じ取っています。そして見えざる真の神が、生きて働いておられることも、十分に知っています。何故でしょうか?私たちは神の「救い」に関しては、三次元的事実として受け取っているからです。自分が救われたことが、自分の「計画」や「選び」からではなく、一方的に主なる神が、母の胎に「私の命」を宿らせ、神の「救い」の時を定めて下さったこと、これらは偽らざる「神の事実」です!
 
 そうです!目に見えざる、この大いなる「神の事実」の中に、日々生かされ、そして救われ、前進させて戴いているという、神の「恵み」を私たちは受け取っているのです。それ故に私たちは、この神の「救い」を思い出す時に、万軍の主なる神が、常に私たちの「先」を行かれている以上、私たちも神の使い(将軍)を、常に見る必要があるのです!
 
 イエス・キリストを見ずして、私たちの「先」は有り得ません。イエス・キリストを見るからこそ、私たちは安心して、如何なる状況の下にあっても、高らかに「信仰の言葉(鬨の声)」を叫ぶことが出来るのです。ですから「安息日」は、素晴らしい「神の時」です!この「安息日」に、私たちも霊的に七周歩いていることを、是非信仰をもって受け取って下さい!そして「安息日」の度に、私たちは霊と真をもって、感謝と賛美の「鬨の声」を高らかに叫びましょう。
 
 ヨシュアに導かれたイスラエルの民は、誰一人として「不平」と「呟き」を漏らすこと無く、全員が七周を巡り終えた、まさに「その時」、一斉に「鬨の声」を発しました。「私たちの主なる神は大いなる方。私たちを常に救い給う方。この大いなる神の事実の中に、私たちは今、感謝と賛美を捧げます!エリコは既に終わった(陥落した)!勝利の鬨の声を今、高らかに叫びます。」と。
 
 確かに今の時は、大変な時代に突入しているように映ります。まるで目に見える事実としては、エリコの巨大な城壁が立ち塞がるかの如きに。しかし覚えて下さい!「霊の眼」で見る限り、先には「エリコの城壁」は何一つ無く、見えるものは「イエス・キリスト」だけです。
 
 忍耐をもって祈り続け、日々前進している「あなた」に、主なる神の豊かな「憐れみ」と、御子イエス・キリストの力強い「励まし」、そして聖霊様による麗しい「臨在」が、益々神の「恵み」として注がれ、あなたがその「神の事実」を、その都度確認していくことを、イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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