「呻き」から「叫び」へ
私たちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものを誰が望むでしょうか。私たちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。同様に、御霊も弱い私たちを助けて下さいます。私たちはどう祈るべきか知りませんが、御霊自らが、言葉に表せない呻きをもって執り成して下さるからです。
【ローマ書8章22~26節】
「呻き」という肉の叫び
私たちが肉体的に呻く(苦しみ叫ぶ)次元から、聖霊様によって導かれる、聖なる「呻き(信仰の叫び)」という、霊の次元に入るには、如何なる聖霊様の取扱いが、必要となるのでしょうか?ローマ書8章には、私たちの「肉の次元」における、霊的「弱点(弱さ)」が示されています。即ち「現実」に接して(見たり、聞いたり、触れたりする等)、すぐに反応(パニック、心配、恐れ等)する「弱さ」のことです。しかし覚えて下さい!見えざる「神の事実」にこそ、神の偉大なる「働き(救いの御業)」が用意されているのです。
現実に対する「呻き(gloan)」とは、自分が耐えられないような、「ストレス」や「重荷」を抱えた時に発する、言葉に表せない肉体的「叫び」のことです。私たち被造物は、アダム(エバ)が犯した罪の故に、物理的及び精神的「苦痛」に、耐えられない「弱い」生き物です。「現実(善悪の木)」を見て、それ(その実)を食べた(選択した)結果、彼らは霊的な次元に用意されている、「神の事実」を霊の眼で見る、その素晴らしい「天の力」を失いました。
被造物の全てが、「呻き」を伴うサウンドを必ず発します。聖霊様は、私たちが「呻き」を発する時に、決してせかしたり、強力なサウンド(叱咤等)を発することはありません。むしろ忍耐して、そっとその者の傍らにて、共にある「呻き」をもって、私たちの「弱さ」に働かれます。この聖霊様の「呻き」は、私たちが発する「呻き」の次元ではなく、聖なる「サウンド」をもって執り成す際の聖い「呻き」です。
二人の盲人の信仰の「叫び」
聖霊様が、肉の次元に戦い続け、何も成し得ない程にまで砕かれた、「弱い」私たちに臨まれる時、果たして何が起きるのでしょうか?マタイ福音書20章29~34節には、名も無き二人の盲人が登場します。彼らの信仰の「叫び」が、イエス・キリストの「御心」を突き動かし、父なる神の「憐れみ(癒し)」を引き出したことで、彼らの視力が回復したことが、三次元的事実として読み取れます。
しかしこの記事には、見えざる「神の事実」として、聖霊様の「呻き」を伴う働きが、実は見え隠れしています。覚えて戴きたいことは、この二人の盲人は、想像を絶する程の「暗闇」の世界に、長きに渡って視力が奪われるなど、彼らの人生の全てが、「虜(とりこ)」にされていたことです。彼らは、常に「救い(盲目の病いからの解放)の時」を待ち望んでいましたが、時々失望感に陥りながら、「我々は、もう駄目かも知れん!ヨハネとか言う預言者は、ヘロデによって殺されたらしい。我々の生きる時代には、メシヤは来られないかも。」と一人が呟くものの、あと一人が「いやいや、噂によると、新しいレビが現れたそうだ。その方は、昔居たモーセやエリシャのように、素晴らしい奇跡を数々されるそうだ。もしかしたら、その方がメシヤかも知れないぞ。」と、希望を込めて語ります。
そして遂に「ある時(神の時が来た時)」、群衆の立てる喧騒サウンドの中に、いつもに無い「麗しい響き(声のサウンド)」が、彼ら二人の研ぎ澄まされた耳に、力強く飛び込んできました。 三次元的事実としては、彼らの存在を打ち消す程の、群衆サウンドが覆っていました。その喧騒の中で彼らの「叫び」は、メシヤとおぼしきイエス・キリストの耳に、果たして届くのでしょうか?常識(健常者の意識レベル)で考えれば、それは「不可能(有り得ない)!」と捉えます。
しかし二人は、常軌を逸する信仰行動に移りました。今まで出した事の無い、大いなる「叫び」を何度も発したのです。「ダビデ王家の子孫である主なる方よ、我々にあなたの憐れみを下さい!」と。すると、彼ら二人の近くに居た群衆は、「おい、黙らないか!うるさくしたら、向こうに行ってもらうからな。」と、二人に対して脅します。それに対して二人は、更に大きな声をもって「叫んだ」(31節)のです。
この驚愕すべき二人の「叫び」が、イエス・キリストの耳に届きます。イエス・キリストは全ての行動を、聖霊様の「指示(導き)」の中で為されています。然り!聖霊様が「その時」、イエス・キリストの「霊の耳」を、二人の信仰に結び合わせたのです。二人の信仰が、三次元的な「呻き」から、霊的次元に至る「叫び」に変化したことを、聖霊様は聞き逃しませんでした。即ち、彼らの発する信仰の「求め(願い)」が、単なる「奇跡(癒し)」ではなく、全能なる主の「憐れみ(恵みに満ちた御心)」を乞い願っていることを。
「何」をして欲しいのか?
するとイエス・キリストは、彼らの信仰の「叫び」を聞いた瞬間、直ちに彼らのもとに来て「何をして欲しいのか?」と問い質しました。二人は「私たちは、あなたの憐れみを求めて、ただ私たちの視力が回復することを望んでいます!」と即答しました。決して二人は、各々に「私に~して下さい!」とは返答していません。あくまで「私たちに・・・・」です。彼ら二人に共通する「私たちの現実」を、神の御心の聖なる「唯一の次元」へと、「今、正して下さい!」と訴えた言葉が、「私たちは、あなたの憐れみが戴きたいのです!」に繋がっているのです。
敵(サタンと悪霊)は、「現実」という巨大な障壁を、次々とあなたに見せて来るでしょう。現実の日本は今、様々な瀬戸際に立たされています。しかし私たちは、「現実」がどうであれ、目に見えざる「神の事実」の中に、イエス・キリストの「憐れみ」を求めて、激しく叫び続けるべきです。そうです!彼ら二人が、イエス・キリストの優しき「問いかけ」に対して、「あなたの麗しい御顔のみを、明確に見る(知る)ことの出来る、創造主なる神の御業を、私たちに現わして下さい!」と返答したように、私たちも信仰をもって叫ぶのです。
彼ら二人は、イエス・キリストの御言葉を信じた瞬間に、視力が完全に回復し、そしてイエス・キリストに付き従いました。イエス・キリストが、「ホンモノ(真の救い主)」と分かったからです。「私たちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものを誰が望むでしょうか。私たちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(ローマ書8章24~25節)
繰り返しになりますが日本の「現実」、つまり目に見える事実としては、そこに何の希望も見出せません。しかし目に見えざる「神の事実」の中において、日本民族をサタンから奪還すべく、「神の兵士」である花嫁たちが整えられ、聖霊様が「出陣の時」を、今か今かと進めています。あなたも「神の兵士」として、日々霊的訓練(鍛錬)の中にあり、「聖い手」を上げて、祈りの時に導かれていることを、彼ら二人の如くに、忍耐して待ち望んでいますか?
あなたの「霊の唇」は、彼らの信仰告白通りに「私たちは見えるようになりたいのです!」と、霊的な「呻き(サウンド)」をもって、聖霊様と共に祈っているのです。「その時」には、ヨエル書の預言通りに、あなたは「神の啓示」を語り、あなたの「霊の眼」は、目に見えざる「神の事実」を説き明かすのです。そして、イエス・キリストを知らない人々に、「今、あなたが目に見ている現実は、いつか消え去るものです。天を見上げましょう。そこには、無尽蔵に蓄えられた、神の命の糧が用意されています。それを食べれば、あなたは永遠に贖われ続けるのです。」と、大胆に宣告するのです。
聖霊様は日本人キリスト者たちに、大激励をもって臨んでいます。「日本のキリストの花嫁たちよ、信仰を働かせなさい!私の与える武具を身に着け、いよいよ出陣の時に向け、万事を整えなさい!」と。この指令は、私たちに対する、万軍の主の大号令(召集令状)です。これからの日本において、悪魔の軍団が焦る程の「神の事実」が、次々と起こって来ます。「その時」に、私たちは信仰を働かせて、ただ「行く(出陣する)」だけで、イエス・キリストの勝利の「御旗」を、その先に確認することになります。
どうぞあなたの「唇」から、「霊の言葉」が命の水の如くに、尽きること無く溢れ流れ、この日本の全土を潤す程の、「癒し」の流れ、「回復」の流れ、「大いなる実り」をもたらす流れへと、聖霊様が拡大して下さいますよう、主イエス・キリストの聖名で、祝福してお祈りします。アーメン!(2025年6月29日のメッセ-ジ)
次回は・・・・特別メッセージ(1/27掲載)です。
☆バルナバ・ブログ福音薬局
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