Terminal Hope(No.24)
天上に満ちる神の栄光
(四つの顔を持つ)生き物が進む時には車輪も進み、生き物が止まる時には車輪も止まった。・・・・生き物の霊が、車輪の中にあったからである。生き物の頭上には・・・・水晶のように輝く大空のようなものがあった。
生き物の頭上にある大空の上に、サファイヤのように見える王座の形をしたものがあり、王座のようなものの上には高く人間のように見える姿をしたものがあった。・・・・腰のように見えるところから下は、火のように見え、周囲に光を放っていた。周囲に光を放つ様は、雨の日の雲に現れる虹のように見えた。これが主の栄光姿の有様であった。
【エゼキエル書1章21~22,26~28節】
私たちが向かう「最終ゴール」
今回の記事に見られる、エゼキエルが見た「幻(霊的ビジョン)」は、私たちが今後歩んで行くべき、ある一つのライン、即ち聖霊様が示して下さる、最終ゴールへと向かうべく、その唯一の「道筋」が示されています。その時に、その信仰上のライン(道筋)を、豊かに照らして下さる「真実の光」、即ちイエス・キリストを激しく、かつ激しく飢え渇き求めることが、私たちが正しいゴールへと辿り着く上で、非常に重要となることを覚えて下さい。
その最終ゴールとは、新しい「天」と「地」が永遠に広がる、まさしく御国(パラダイス)の中心部のことです。私たちがこのゴールに辿り着き、遂に御国に帰った「その時」に、果たして何が待ち受けているのでしょうか?また何が用意されているのでしょうか?それは「最初の人(アダムとエバ)」に約束されていた、永遠に尽きることの無い、「永遠の命」に至る神の美を、花婿から直々に戴くことです!
本来創造主なる神は、人が造った「建物(神殿)」や「住居(幕屋)」を、ご自分の住処(すみか)とはされません。では主なる神は、如何なる所を「住処」とされるのでしょうか?つまりご自身の「栄光」を現わされる場所を、何処に設定されるのか、これを私たちは正しく知る必要があります。それはソロモン王が建立した、「第一神殿」ではありません。
四つの顔を持つ「生き物」
エゼキエルが見た「幻」において、主なる神が豊かに示された、神の「栄光」が永遠に留まる、神の「住処(永遠の宮)」のフィールドにおいて、ある生き物の特別な「動き」が、豊かな特徴として見られます。その「生き物」とは、四つの顔を持つ生命体です。実はこの不思議な「生き物」を、エゼキエルばかりでなく、ダニエル及び十二弟子のヨハネが、それぞれの時代において、天上からの「幻(霊的ビジョン)」の中で確認しています。
実はこの「生き物」には、不思議なる特徴として①獅子の顔、②牡牛の顔、③人のように見える顔、④鷲の顔という、四つの顔面性が現れ出ています。この四つの顔には、主なる神が示される、ある重要な「方向性」があるのです。その「方向性」を探るキーワードは、各々に「霊」が存在している!という点です。その「霊」とは、私たちに宿る個別単位の「霊」と違って、四つの顔を統括する「唯一の霊」を現わしています。
即ち御霊なる神、聖霊様が四つの「顔(霊的個性)」を統括し、具体的な命令、例えば先ず「行け!」と命じられれば、即座に四つの顔が反応して、同時に四つの車輪を、同一の方向へと舵を切りながら、スムーズに動き出します。続いて「止まれ!」と命じられれば、即座に、四つの車輪が息を合わせたかの如くに、「ピタ!」と同時に止まるなど、その動きには完全なる「制御(神の法則)」が見られます。
この不思議、かつ完全なる「制御(神の法則)」は、エジプトを脱出したイスラエルの民を、四十年に渡って導いた、偉大なる「雲の柱」と「火の柱」の、完璧なる統括(制御)の流れの中にも見られます。そうです!「四つの顔」を持つ生き物とは、まさしくイスラエル12部族の、カナンに至る進軍(動き)を示しています。その統括者こそが、「唯一の霊」なる聖霊様です。
出エジプトしたイスラエルの民は、四つの部隊(パーツ)に編成され、同一の方向を目指して①進軍(Go!)、及び②駐留(Stop!)しました。具体的には第一の東部隊(ユダ族を先頭とする3部族)、第二の南部隊(エフライム族を先頭とする3部族)、第三の西部隊(ルペン族を先頭とする3部族)、第四の北部隊(ダン族を先頭とする3部族)の四編成です。ちなみにユダ族の旗印(デザイン)は「獅子」、エフライム族の旗印は「牡牛」、ルベン族の旗印は「人」、ダン族の旗印は「鷲」です。(民数記2章参照)
この四部隊が、一糸乱れぬ統一された「動き」をもって、①進軍(Go!)、及び②駐留(Stop!)を繰り返します。そこには、人間的な部隊訓練や制御計算は存在しません。聖霊様が命じられるままに、単純に動き続け、動きを休め(停止し)ただけです。彼ら全部隊の中心には、神の「契約の箱」が共に進軍し、共に休むという、大いなる「神の事実」があり、これは「生き物」の心臓部の如くに、神の「命の言葉」が全部隊の隅々に、豊かに働いていることを示しています。(民数記10章参照)
ここで覚えて戴きたいことは、四つの部隊の先頭には、必ず「雲の柱」と「火の柱」の、完璧なる動き(制御)を、決して見逃さない「眼」が備わっていました。然り!今こそ霊的「見張り人」の持つ、研ぎ澄まされた「霊の眼」が、私たちに必要とされています。いつ聖霊様が命じられても、即座に動くことの出来る、霊的俊敏力(順応性)が備わるように、私たちは祈り求めるべきです。
エゼキエルが見た「幻(霊的ビジョン)」は、私たちが最終的に行き着くゴール、即ち御国(天)の礼拝の雛型を描いています。この「生き物」自体は、不思議な動きを展開し、その「動き」全てを完璧に制御する、聖霊なる神の「命」がありました。また不思議なる色彩を放つ、神の「栄光」の臨在が、「生き物」の全てを豊かにカバーしていたのです。
神の「美」を表すエクレシア
・・・・天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。・・・・玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。・・・・玉座の前には、七つの灯火が燃えていた。これは神の七つの霊である。・・・・この玉座の中央とその周りには四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。・・・・彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
【ヨハネ黙示録4章2~8節】
私たちは「美しいもの」を見た時、私たちの心は単純に興奮します。それを見た時に、いくら見ていても飽きないなど、感動の思いが更に増して来ます。ましてや霊的な「美」が、永遠に満ちた御国の「栄光」は、如何ばかりのものでしょうか!私たちは只、主なる神の御前に座して、「主よ、あなたは何と麗しく、聖なる美に満ちた方でしょうか!私たちは永遠に、あなたの美を称え続けます。私の只中に、あなたが共に住んで下さり、永遠に受け入れて下さることを、心から感謝します。」と、真実の礼拝を捧げるのです。
ここまで来るとお分かりのように、四つの顔を持つ「生き物」とは、霊的に見れば「あなた(私たち)」のこと、即ち「神の民エクレシア」です。聖霊様が「あなた(私たち)」を統括し、御子イエス・キリストが、あなたの霊の只中に住まわれる時、それ自体が神が本来望まれていた、四つの麗しさ(美)を現わす、霊的な「生き物」なのです。私たちに与えられている「言葉」は、何の為に用いられるのでしょうか?創造主なる神の「美」を、永遠に崇め続ける為です!
主なる神は、私たちを「しみ」も「傷」も、如何なる「汚れ(不純物)」が一切無き、最高の「美」に満ちたもの、完全なる「金」の如くに、私たちを聖め造り変えて下さいます。何故なら聖霊様の「熱情」が、御子イエス・キリストの「贖い」を通して、私たちに「純白の衣」を着せて下さるからです。新約聖書には、114箇所に渡って、「エクレシア」という重要な記述が見られます。ここには主なる神が、私たちのことを如何に、「神の宮」として重要視されるだけではなく、主なる神ご自身が住まわれる「聖なる場」として、あなた自身を共に造り上げ、共に建て上げること、それがエクレシア(四つの顔を持つ生き物)の存在意義だからです。
いよいよエクレシアが、ホンモノの花嫁として迎え入れられる、「その時」に向けて、私たちは神の偉大なる栄光に満ち溢れた、天上の礼拝がこの地上においても、あなたの信仰の言葉を通して、必ず実現されることを祈り求めて行きましょう。尽きることの無い「命の水」を、豊かに流して下さる聖霊様の「働き」に、直ぐに順応できるよう、更に聖められ磨かれて参りましょう!
私たちは如何なる「迫害」と「苦難」の中にあっても、花婿なるイエス・キリストの持つ、麗しい永遠の「栄光」を慕い求める、聖く賢い乙女(花嫁)として造り変えて下さる、聖霊様の働き(取扱い)に順応して参りましょう!聖霊様こそが、「あなた(私)」を純金以上に「価値あるもの」として、必ず仕上げて下さることを信じて、あなたが更に前進できますよう、主イエス・キリストの聖名で、祝福してお祈りします。アーメン!(2024年9月15日のメッセ-ジ)
☆バルナバ・ブログ福音薬局
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