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Terminal Hope(No.13)

K・バルナバ

「終わりの時代」のヒヤリ・ハット報告書




私を信じる者が、誰も暗闇の中に留まることが無いように、私は光として世に来た。
【ヨハネ福音書12章46節】


「真実の光」として来られたイエス・キリスト
 今回の題目にある「ヒヤリ・ハット報告書」とは、一つの業界用語ですが、自分の仕事業務や行動面において、「ヒヤリ!」また「ハッ!」とさせられたことを、時と場所と状況等を、セットとして思い返す時に、何故そのような「危険(危機)」や「未遂事故」に至ったのか?その原因を探り、そして次なる業務と行動に生かす対策(危険回避)を講じるべく、複数の人間で検討し合う、その為の資料が「ヒヤリ・ハット報告書」です。


 さて、「終末の時代」と言われる今の時に、実は聖霊様が激しい思いをもって、私たちに対して「如何なる時にも警戒しなさい!」と、シグナルを発しておられます。その理由は只一つ、「時が近い!」からです。花婿なる方(イエス・キリスト)は、準備万端の上で、いよいよ「その時」に向けて、花嫁を迎えに行かんと決意する、それが「今の時」です。しかし聖霊様は、イエス・キリストに対して、「ちょっと待って下さい!時が迫っている中で、真実の乙女たちが、未だ(人数的にも)整っていません。最後の仕上げを、私は為さなければならないから・・・・」と押し留めます。


 今回学ぶべき最重要ポイントは、「光」として来られた、イエス・キリストの目的(理由)が、二つあるという点です。先ず一度目に遣わされた理由、それは全ての人々に対して、罪の「救い(贖い)の光」を照らし出す為です。しかし二度目となる「再臨」の目的は、ご自身の「真実の光」を、純粋に慕い求める人々、つまりキリストの花嫁に対して向け、彼女たちを御国に連れ帰る為です。


 ところが如何せん、イエス・キリストの「真実の光」が、豊かに放たれているにも関わらず、それを拒んだり、「光」の輝きに気付きもしない、愚かな乙女たち(世的なキリスト者)が増加しています。そこには、悪魔サタンによる「まやかし(偽りの光)」があるからです。


 今後の「終わりの時」には、恐らく聖書の御言葉が曲解されたり、「聖霊」という名を強調するだけで、同胞(他のキリスト者たち)から迫害される、そんな時代に入って来ます。花嫁が誰一人として、暗闇の世界に取り残されない為に、どうしたらよいのでしょうか?何故なら殆どの花嫁が、必ず「油断」して、大切なことを忘れて(ないがしろにして)しまうからです。


日々、何を準備しておくのか?
 「その時」に備えて、花嫁が為すべきことは、如何なることであるのかを、聖霊様が日々示して下さる、「ヒヤリ・ハット報告書」から教えて戴きましょう。


そこで、天の国は次のように譬えられる。十人の乙女がそれぞれ灯火をもって、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな乙女たちは、灯火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢い乙女たちは、それぞれの灯火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に「花婿だ。迎えに出なさい。」という叫ぶ声がした。そこで、乙女たちは皆起きて、それぞれの灯火を整えた。愚かな乙女たちは、賢い乙女たちに言った。「油を分けて下さい。私たちの灯火は消えそうです。」賢い乙女たちは答えた。「分けてあげる程はありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。」愚かな乙女たちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意の出来ている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、他の乙女たちも来て、「ご主人様、ご主人様、開けて下さい。」と言った。しかし主人は、「はっきり言っておく。私はお前たちを知らない。」と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなた方は、その日、その時を知らないのだから。
              【マタイ福音書25章1~13節】


 このイエス・キリストの「喩え話」は、非常にイメージし易いストーリーであり、この中に聖霊様が示す「ヒヤリ・ハット報告書」が記されています。覚えて戴きたいことは、最初から二つのグループ(賢い乙女たち五人、愚かな乙女たち五人)に、分かれていた訳ではありません。皆が同じスタート地点に立ち、準備して主人の帰りを待っていました。


 彼女たち十人に共通する「準備」は、全員が灯火を持っていたことです。私たちキリスト者は、イエス・キリストの「福音」、イエス・キリストを信じる時の「信仰」、「聖霊のバプテスマ」も等しく、共通に与えられています。また賜物として、聖霊によって祈る際の「灯火(油注ぎ)」も与えられています。


 しかし愚かな五人は、たまたま一番大事な備えである、灯火に十分な油を満たしていませんでした。この「たまたま」の時に、大抵の事故(トラブル)が起きるのです。その時に殆どの当事者が、次のような言い訳をします。「いつもは、ちゃんとやっていました!」と。


 それに対して賢い五人は、通常の仕事として「いつご主人様が帰って来ても良いように!」の意識で、灯火の点検から、油壺の量に不足は無いかなど、不断の努力を怠りませんでした。彼女たちにとっては、主人から咎められるから、或いは「時」を逃すから・・・・と言った、人間的な測りで動きませんでした。いつも油を満たすことで、ご主人様(花婿なる方)との、十分な「交わりの時」が確保され、それが絶えざる「飢え渇き」となっていたからこそ、いつもの準備が出来ていたのです。


聖霊様の「油注ぎ」と「満たし」
 これらは全て、聖霊様による働きです。油を注ぎ、油を満たし、空になったら更に油を運んで来ること、これが聖霊様の「満たし(充満)」です。アブラハムがイサクの花嫁候補を、故郷の地から見出すように!と、遣わした「しもべ」は聖霊様の雛型です。彼が故郷の地に到着した時、たまたま井戸に現れた乙女、それがリベカでした。


 しもべは束さず、彼女に対して「一杯の水」を要求しました。彼女は「一杯の水」を、喜んで彼に提供した後、何を思ったのか突然に、しもべが引率して来た、ラクダたちにも与えるべく、井戸から水を汲み上げ、「水飲み場」まで運び始めました。この時、しもべは理解しました。「彼女は最大の敬意をもって、私の渇きばかりか、私の心を豊かに満たしてくれた。これこそ本物である!」と。


 これが真実の「賢さ」です。聖霊様が「終わりの時代」に、最大の思い(願い)をもって求める、真実の「賢さ」というものは、「満たす方に対して、いつも満たされることを求め、その満たされた思いをもって、最善を尽くして準備すること」です。


 ところが愚かな五人の場合は、大事な時に備えていなかった、つまり「その時」を、ないがしろにしたのです。ここで覚えて戴きたいことは、十人全員が「夜中」に眠っていたことです。眠ること自体は問題ありません。しかし一番に重要なことは、突然に起こされた時に、即「(主人の帰りに)お迎え」出来るか否か?という点です。愚かな五人は、起きたけれども、「油」の用意が十分ではありませんでした。


 間もなくしたら、私たちの花婿なる方、主イエス・キリストは帰って来られます。これで「全て」が終了します。次の来訪は無いのです!御国において「婚礼の時」が始まります。「その時」にあなた(私)は、何処に居るのでしょうか。扉が閉められ、(御国の)外で歯ぎしりする、愚かな五人の一員ですか?それとも、愛する花婿との「婚礼の宴」にて、永遠に霊と真をもって礼拝する、賢い五人の一員ですか?


 「真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい。』という叫ぶ声がした。」(6節)の御言葉は、読み手の私たちに対する、聖霊様からの警告(緊急シグナル)です。聖霊様は、常に叫び続けます。「もう時は近い!準備に怠りが無いよう、灯火を点検し、油を満たして、身支度を整えよ!」と。12節に記された主人のセリフは、直訳すると「明らかに、あなた方は相応しくない。もはやあなた方と私は、如何なる関りも無いから。」となります。


 主イエス・キリストが再臨される、「その日」「その時刻」は分かりませんが、聖霊様は日々「その時に備えて、絶えず灯火を整えていなさい!」と、乙女たち(エクレシア)を励ましています。日々私たちは、①何の為に生きているか?即ち「その時」に備えて、イエス・キリストを待ち焦がれること、またその為に②良い意味での「危機意識」をもって備えること、これが求められる時代です。


 どうぞあなたの霊的感性が、聖霊様を通して更に磨かれ、イエス・キリストに対する「熱情の愛」が、豊かに注がれて参りますように。この日本から、花婿を激しく慕い求める、賢い乙女の群れが、聖霊様の「聖い油」を満たして戴くことで、更に力強く召集されて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で、祝福してお祈りします。アーメン!(2024年5月5日のメッセ-ジ)


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