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命と心の健やかなる成長のために!
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あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Hope(No.2)

      「真実の光」が現れ出る時




地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け・・・・
            【創世記1章2~4節】


「真実の光」の出現により・・・・
 創造主なる神が、天地創造を開始するに当たり、「真実の光」は何処に現れ出たのでしょうか?聖書は明確に記しています。「暗闇」の中に、「真実の光」が出現した!と。「暗闇」の世界は、私たちの想像を絶する程の、恐ろしい「虚無」のフィールドであり、何も産み出すことの無い、只の「暗黒」と「死」が支配する世界です。


 しかし創造主なる神は、この「暗闇」の中に向けて、「光よ、出て来なさい(登場しなさい)!」と命じました。その瞬間から、「真実の光」が暗闇に出現したのです。この光は、単なる太陽光の如きものではありません。この「真実の光」の出現は、想像を絶する程の、偉大なる神の栄光の訪れであり、この光の出現と同時に、「暗闇」は退散した(追い払われた)のです。


 ここに、偉大なる神の「創造」の法則(原則)があります。そしてこの原則は、イエス・キリストを信じる、私たちの「信仰」の原点(基礎)となります。それ故私たちが、この神の「創造」の法則(原則)を、信仰をもって働かせる(用いる)時に、たとえ私たちが、暗闇の領域にあったとしても、決して恐れる必要が無く、むしろ私たちは「神の子」として愛され、「真実の光」を帯びる者として、全ての「暗闇」に対して、打ち勝つことが出来るのです。


 そういう意味で私たちキリスト者は、神が特別に選び召し出した者として、「暗闇」の世界に遣わされている!と言えます。「暗闇」の中にあっても、万軍の主の「真実の光」は、私たちを見守り続け、私たちを救い出して下さいます。たとえ「偽りの光」に満ちた世にあっても、彼ら(闇の勢力)を完全に打ち負かすことの出来る、松明の如き「光」を、私たちは信仰の手で掴んでいるのです。聖霊様は励まして下さいます。「たとえ万物が揺れ動いたとしても、真実の光は私たちに対して、永遠に輝き続けて下さり、私たちの一歩先を照らし続けて下さる!」と。


「暗闇」に「真実の光」を置かれる方
 今回の聖書箇所から学ぶべき、第一の重要ポイントは、神の「創造」の法則(原則)に関する、第一の原則(神は先ず光を、暗闇の上に置いたこと)です。今回の御言葉を詳訳すると、「無形で荒れ果てた地のフィールド上を、大水のフィールドが覆っていた訳ですが、その大水の中に神の霊(聖霊)が、創造主を通して遣わされ、聖霊が地の全てを支配していました。そこで主なる神は、聖霊様を通じて命じました。『光なるイエス・キリストよ、直ちに暗闇の中に現れ出よ!』と。すると光の出現により、暗闇の力が退散し始め、その結果、創造主なる神は天地創造の御業を、着実に開始されたのです。


 覚えて戴きたいことは、「暗闇」はサタンが造り上げた領域ではありません!「神である方、天を創造し、地を形造り、造り上げて、固く据えられた方。混沌として創造されたのではなく、人の住む所として形造られた方。」(イザヤ書45章18節)そうです!形無き「混沌」としたフィールドの中に、神は「暗闇」の領域を置き、そこに「真実の光」が出現する(置く、セットする)ことを通して、ようやく人の住むことの出来る、天地創造の御業がスタートしたのです。


 ですから「真実の光」が、「暗闇」の中に出現した目的は、主なる神の「創造」の御業を完成すべく、①全ての被造物を守り、②主なる神のご計画通りに(被造物を)指導し、③完成された聖なる天地へと(被造物を)誘導することです。この時「真実の光」は、次の真理を知っています。ご自分が出現すると同時に、「暗闇」は決して(光)に勝利できない!ことを。それ故に、聖霊様は私たちに対して、必ず正しい助言を与えます。「光ある所に、暗闇は近付くことが出来ません!光と共に歩むことを通して、あたなは常に勝利できるのです。」と。


 私たちの思考意識(マインド)の中に、悪魔サタンは必ず「偽りの光」をチラつかせます。しかし覚えて下さい!彼ら(暗闇の勢力)が暴れれば暴れる程、「真実の光」なる方、イエス・キリストの来臨の時が近い!のです。イエス・キリストは必ず、純粋に信じ続ける「あなた(私)」を贖い、常に守り導く、唯一の「真理の道」、唯一の「救い」に至る、真実の光です。ですから「神の民」が真剣に祈り、天上の礼拝を捧げる時に、聖霊様が用意しておられる、大リバイバル(後の収穫)の時に備える、それが2024年からスタートします。


「暗闇」とのバトルに必ず勝利する!
 続いて第二の重要ポイントですが、「真実の光」に属する(信じて従う)者と、「偽りの光」に属する(闇の力を恐れて騙される)者との、明確な「違い」は何であるか?という点です。結論から言いますと、「真実の光」に属する者は、霊的な戦いにおいて、悪魔サタンの働きを、ことごとく撃ち滅ぼして行きます。それに対して「偽りの光」に属する者は、益々「恐れ」の霊に呑み込まれて行きます。


 かつて混沌とした状態にあった大地は、ありとあらゆる「闇」が、そこに満ちていた為に、大地の「全て」が闇に呑み込まれていました。その結果、そこには形と言えるものが存在せず、みすぼらしい荒れたフィールドしかありませんでした。それ程に「闇」の力が強かった訳です。しかし覚えて戴きたいことは、「闇」の実質的な支配(管理)者は、大地の上を覆い尽くす聖霊様でした。


 「あなたの神、主があなたに渡される諸国の民をことごとく滅ぼし、彼らに憐れみをかけてはならない。彼らの神に仕えてはならない。それはあなたを捕らえる罠となる。・・・・主がファラオ及びエジプトの全土に為さったことを思い起こしなさい。・・・・あなたの神、主は今あなたが恐れている全ての民にも同じことを行われる。・・・・あなたの神、主はあなたの只中におられ、大いなる畏るべき神だからである。」(申命記7章16~21節)この御言葉の中に、「暗闇」と「真実の光」の対決姿勢が、明確に示されています。


 私たちの信仰の戦いには、必ず上記の如きバトル(格闘)が出てきます。敵は必ず、私たちの進む先に「魂的な声」をもって、様々な罠を仕掛けてきます。あなたの魂に、情的な「不安」「畏れ」「疑い」を助長するもの、それが暗闇がもたらす「罠」です。しかし聖霊様は叱咤します。「偉大なる神は、エジプトの圧政に苦しんでいたイスラエルの民に対して、何を為されたのか?それを思い起こしなさい!主なる神は、想像を絶する程の御力をもって、敵の力を完全に粉砕し、エジプト軍の全てを水に呑み込まれた!それ故に、あなたが真実に畏れるべき方は、唯一の真実なる光、主イエス・キリストだけである。このイエス・キリストと共に、あなたは常に歩み続けなさい!」と。


 そうです!私たちが信仰をもって、イエス・キリストと共に一歩進むごとに、「暗闇」は「真実の光」を恐れて後退して行きます。私たちの「霊」は、以前は「暗闇」に支配されていました。形も定まらない、みすぼらしい状態でした。しかし、イエス・キリストが「栄光」の訪れ、即ち「救い主」として来られた時から、私たちの人生には、偉大なる神の働きにより、勝利のゴールが約束されているのです。


 いよいよ主イエス・キリストが、「真実の光」として、あなたを召し出す時が来ています。「その時」に向けて祈り備え、いつも聖霊様に満たされて参りましょう。聖霊様こそが、あなたを聖い状態へと、形あるものとして造り変え、被造物が帰るべきポジションへと、常に導いて下さいます。


 どうぞあなたが、暗闇に潜む「敵」を恐れるのではなく、「真実の光」を常に、あなたの進む先に輝かして下さる、創造主なる神を、霊と真をもって畏れる、賢いキリストの花嫁でありますよう、主イエス・キリストの聖名で、祝福してお祈りします。アーメン!(2024年1月7日のメッセ-ジ)


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Terminal Faith(No.27)

      小羊の「刻印」をリレーする




・・・・神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクを・・・・イサクはヤコブを・・・・ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれに割礼を施したのです。この族長たちはヨセフを妬んで、エジプトに売ってしまいました。しかし、神はヨセフを離れず、あらゆる苦難から助け出して・・・・恵みと知恵をお授けになりました。・・・・ヨセフは・・・・父ヤコブと七十五人の親族一同を(エジプトに)呼び寄せました。・・・・神がアブラハムに為さった約束の実現する時が近付くにつれて民は増え、エジプト中に広がりました。
                     【使徒行伝7章8~18節】


信仰の「継承(リレー)」の歴史
 創造主なる神は、どのようにイスラエル民族を、全ての人類に対する、神の「救い」の雛型として、選び召し出したのでしょうか?神が彼らを霊的にシフトする、即ちA地点からB地点へと、彼らを移動させる(移植する)時には、神の偉大なる「ご計画」が必ず、その中に「贖い(救い)」の目的として示されています。


 この神の偉大なる「目的」を、今回の記事から示して戴くことで、今に生きる私たちの信仰の「歩み」において、「過去」の自分から、「今(現在)」に生きる自分、そして「将来」に用意される、新しい自分という、偉大なる神の「リレー」の流れが、豊かに現れ出ることになります。その麗しい「リレー」は、今も尚継続しています。


 今回の記事に登場する信仰のリレーは、先ず①アブラハム→②イサク→③ヤコブ→④ヤコブの腰から12本(ヤコブの12人の子)へと、直接的なリレー(継承)として、神の「祝福」が受け継がれました。しかし主なる神は、続いて12本のなかから一本(ヨセフ)を引き抜いて、エジプトの地に霊的シフト(移植)することで、二つの部族(マナセ族及びエフライム族)という、新しいリレーの拡大を計りました。


 私たちは、この偉大なる神のリレーの歴史を、単なる旧約の御業として捉えないで下さい!実は今に生きる「あなた(私)」にも、アブラハムから始まった信仰のリレーが継続しており、神の偉大なる「祝福」の契約が、イエス・キリストを信じる「あなた(私)」に、豊かに継承され、かつ更に拡大しているのです。ですから「あなた(私)」も、ヨセフと同じ耐え難き「試練」の道を歩まされ、神の偉大なる「啓示」が示されるなど、「終わりの時代」において、重要な先見的「油注ぎ」が、聖霊様を通して用意されているのです。


「新しい割礼」にシフトする
 今回語られる、ステパノのスピーチから学ぶべき、第一の重要ポイントは「古い割礼(刻印)」から「新しい割礼(小羊の刻印)」へと、私たち(キリストの民)は霊的にシフトする!という点です。この「割礼」という儀式には、実は神との関係を表す、重要な奥義が秘められています。即ち創造主なる神と、被造物である私たちと結ぶ際の「契約」のサイン、それが割礼です。この時に誰かと「契約」を交わす訳ですが、重要となる行動が、実は互いに「信用」し合うことです。つまり互いを「信じる」ことです。


 信仰も同様に、「あなた(私)」と「創造主」との間に、如何なる祝福の「約束」を交わし合うのか、それが神を単純に「信じる」ことです。即ち創造主(父)なる神は、「あなた(私)」のことを、我が子(実子)同然に思い(愛し)続け、そして祝福の世継ぎとして、全ての約束を果たされることを、素直に(当然の如くに)信じることです。そうです!主なる神は、「あなた(私)」のことを、①力強い御手をもって守り、②永遠の愛をもって助け導き、③真実の愛をもって「確かなもの」を残す(用意する)、これが神の契約に基づく「祝福」です。


 アブラハム、イサク、ヤコブに示された、主なる神の「契約」のしるしは、「私の命の言葉に、あなた方は忠実に聞き従いなさい。そうすれば必ず、あなた方を通して、私の祝福が増え広がります!その事の為に、私は偉大なる計画を用意しているから。」という、明確な言葉による確約(約束の成就)でした。


 確かに、彼らはカナンの地にて、神の「祝福」が豊かに拡大しました。しかし「ある時」、飢饉が世界中に蔓延し、彼らはエジプトに下ることになります。ところが主なる神は、それ以前にヨセフを先に、エジプトに遣わしていたのです。これが神のシフト(霊的移植)という、偉大なるリレーの拡大です。


シフトされる三つの目的
 続いて第二の重要ポイントが、私たちが霊的にシフトされる時、そこには神の「ご計画」に関する、素晴らしい目的が三つ用意されているという点です。第一の目的は、①私たちを「この世」から分離する為です。それは神が用意される、新しいフィールドに移植する為に他なりません。第二の目的は、②「この世」は罪と汚れに満ちているが故に、私たちを聖い「プラント(植物)」、即ち生きた「聖なる者」として、大切に取扱う(養育する)為です。第三の目的は、③今までの「古い割礼」ではなく「新しい割礼」、つまり聖霊様による霊的処置(取扱い)を、私たちが授かることにより、アブラハムから脈々と受け継がれていた、主なる神の偉大なる遺産を、信仰のリレーとして、私たちも継承(相続)する為です。


 そうです!「あなた(私)」を通して、「あなた(私)の家族」を通して、「あなた(私)の民族」、即ち日本人キリスト者を通して、神の偉大なる「祝福」と、キリストの「福音」の拡大が、世界の隅々に至るまでリレーされるのです。「権勢によらず、能力によらず、我が霊によりて!」と明言される方は、今も尚「あなた(私)」に対して、天上から御力を注いで下さるからです。


為すべき事は只一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリストによって上へ召して、お与えになる賞を得る為に、目標を目指してひたすら走ることです。
            【ピリピ書3章13~14節】


 「今の時代」のヨセフとして、私たちは信仰のトラック(競技場)を走っています。これを常に覚えておいて下さい。サタンは、この点を忘れさせ(霊的に枯らせ)たり、「疑いの種」を植え付けようと試みて来ます。しかし聖霊様は、私たちが如何なる状況下にあっても、霊的に力を与えて伴走して下さり、迫害されたとしても、散らされたとしても、そこにおいて私たちを練り聖め、隠されたマナをもって、更に拡大して下さいます。


 然り!エジプト(この世)において、イスラエルの民は飛躍的に拡大しました。それは後々に用意される、出エジプトの霊的資金を蓄える為でした。「(しかし)あなた方の上に聖霊が降ると、あなた方は力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる。」(使徒行伝1章8節)この御言葉には、偉大なる神の「新しい契約」の方向性として、二つの約束が記されています。先ず第一に①イエス・キリストは、信じる私たちに対して、聖霊様を遣わされること。


 第二に②聖霊様が「新しい契約」の保証人として来られる時、私たちはイエス・キリストの「証人」として、天上の力が着せられるのです。そしてその後、「地の果て」に至るまで、神の福音を宣べ伝えることになります。その時に、私たちは「信仰」を継承する以上、決して「一人(単独)」で走っている訳では無い!これを是非覚えておいて下さい。


小羊の「刻印」をリレーする
 結論になりますが、小羊なるキリストの「刻印」とは、如何なるものでしょうか?「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。このような原理に従って生きて行く人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。・・・・私は、イエスの焼印を身に受けているのです。」(ガラテヤ書6章15~17節)この御言葉にある「イエスの焼印」、これこそが小羊の「刻印」、即ち私たちは永遠に、イエス・キリストの「もの(属する者)」であり、「最後の審判」の時における、その身分(キリストの花嫁という所属)を表す、重要な証拠(しるし)となります。


 それに対して悪魔サタンは、「この世」の刻印(666)を押すべく、必死に「キリスト者狩り」を実行しています。「イエスの焼印」とは、原語的には「イエス・キリストが打たれた傷跡」です。十字架に至るイエス・キリストの「傷跡」は、信じるキリスト者にとって「贖いの力」、そして「癒しの力」であり、私たちの永遠の希望である「復活の力」のサインです!この世の権力を打ち破り、「死」を恐れることの無く、天上を目指す「信仰」の源となります。


 そうです!「あなた(私)」は、たとえ「世(エジプト)」にあっても、信仰のリレーを継承する、霊的ヨセフ・チーム(ランナー)の一員です。神の偉大なる「宣教リレー」が、純粋に走り続ける「あなた(私)」を通して、更に拡大して行くのです。そういう意味で、あなたの上に「天上の信仰」が、更に豊かに増し加わり、聖霊様の主導のもと、あなたの信仰の「土台」が、イエス・キリストに固く据えられますよう、主イエス・キリストの勝利の聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年9月24日のメッセ-ジ)


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Terminal Hope(No.1)

終わりの時の信仰の「シグナル(HOPE)」




私は言う。「闇の中でも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す。」闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち、闇も、光も、変わるところがない。
                    【詩篇139篇11~12節】


「真実の光」が輝きを増す年
 「闇の力」が猛威を振るえば振う程、実は「真実の光」なる、主イエス・キリストの麗しい、天の力に満ち溢れた「輝き」が、闇のフィールドに更に拡大して行きます。そうです!闇の如き時代の中にあっても、主なる神は常に変わること無く、「永遠の愛」をもって、私たちを見守り、かつ正しく導いて下さり、私たちの歩む一歩先を、全てご存じの上で、「光」を照らし出して下さるのです。


 恐らく2024年の日本は、偶像崇拝を煽る「闇の力」が、今まで以上に猛威を振う、そんな悪しき時代に突入することでしょう。しかし私たちキリスト者は、日本民族が「真理」に目覚め、聖なる民へと造り変えられるように、ある意味「危機感」を覚えながら、真剣に祈り求める必要があります。反キリストにでは無く、真実の神なる創造主の御元に、自分の「命」と引き換えにしてまで、馳せ参じる「キリストの花嫁」、即ち「光の戦士」たちが、次々と興される(召集される)、そんな「終わりの時」に、私たちは生きているのです。


 人の時を支配し、人の歩みの全てを導く「真実の光」が、2024年も更に輝きを放ち、御力が増し加わることでしょう。「闇の力」が、たとえ地上で猛威を振るったとしても、霊の次元においては、更に退散することになります。闇は光に、決して打ち勝ちません。光が来た(現れ出た)時に、闇は退散するしかない存在です。創造主から見れば、「光」も「闇」も変わり無き存在です。私たちの信仰にも、この「闇」に対する恐れから解放され、むしろ「光」を増し加えて下さる、聖霊様の「働き(取扱い)」に期待しましょう。


「神の時」のシグナル
 「終わりの時」に当たり、私たちに対する聖霊様のメッセージは、「神の時」のシグナルを見逃してはならない!ということです。「神の時」には、必ず何らかの「兆し」や、霊的「シグナル」があります。私たちキリスト者は、この世を支配する「暗闇」の勢力に対して、肉の戦いを挑むのではなく、彼らを背後で操るサタンと悪霊達に対する、霊の戦いに臨む「神の兵士」です。しかも、万軍の主イエス・キリストが私たちの先頭に立ち、共に進軍しているのです!


 たとえ私たちが2024年に、「暗闇」の如き状態に置かれたとしても、次の事を覚えておいて下さい。即ち、イエス・キリストが「暗闇」の次元を見る時、それはサタン的な「恐怖」と「呪い」の次元としては見られない!という点です。むしろご自身が「暗黒」のフィールドに、創造主なる神の「ご命令」を通して、「真実の光」が現れ出たその瞬間から、「暗闇」が退散したのです。その時から今に至るまで、決して「闇」が「光」に打ち勝つことは無く、父なる神の創造の「プログラム」が、遂に「完成の時」を迎えようとしています。


 それは「いつ」でしょうか?然り!イエス・キリストの「来臨の時」です。私たちキリスト者は「その時」に向けて、霊的な準備を進めるのです。「真実の光」を帯びる者として、「暗黒」の中で恐れおののく人々に対して、福音の「光」を照らし出すのです。遂に創造主なる神の偉大なる光が、キリスト者の集まる多くの群れ(エクレシア)の中に、「あなた」という一個人の中にも、更に麗しい「現れ」となって、天の輝きを放つ時です。あなたの中にある「暗闇」の歴史(苦しみの道)は、必ず栄光あるイエス・キリストの訪れ(出現)を通して癒され(回復し)、神の偉大なる「歴史(摂理)」の中に、霊的に組み合されて(刻まれて)行くのです!


信仰のシグナル「HOPE」
 結論として、三つの御言葉を紹介します。先ず①「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネ福音書1章5節)この御言葉を直訳すると「光は暗闇の中で、燦燦と輝き続けている。しかも暗黒は、決して(絶対に)光を追い払うことが出来なかった。」となります。即ち「光」の存在が、輝き現れ出る時には、暗闇のフィールドは退散するしかありません。私たちがイエス・キリスト(真実の光)を信じる時、それは私たちに「真実の光」が与えられ、同時に「真実の光」を帯びる者として、私たちは暗黒の力を、ことごとく破壊する(打ち滅ぼす)ことが出来るのです。


 二番目の御言葉は②「死の陰の谷を行く時も、私は災いを恐れない。あなたが私と共に居て下さる。」(詩篇23篇4節)この御言葉にある「死の陰の谷」が、まさしく「暗黒」です。そのような悪しきフィールドに覆われたとしても、私は如何なる「災い」を恐れない!何故なら私は「真実の光」の素晴らしさ、偉大なる輝きを知っているから・・・・。しかもこの真実のお方は、いつも側近くに居て下さり、私を安全な状態へと保ち続け、安心して我が家に連れ戻して下さること、これがこの御言葉の真髄です。


 最後に三番目の御言葉として、③「これらのことを話したのは、あなた方が私によって平和を得る為である。あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。」(ヨハネ福音書16章33節)イエス・キリストは、常々弟子たちに言い聞かせました。「聖霊様が共に居て下さる限り、私は如何なる恐れも克服できる。この方に、全ての弁護と助けを求めなさい!この助け主が来られる時には、あなた方にも必ず天の力が注がれるから。」と。


 またイエス・キリストは、全ての「暗闇」に対抗する、偉大なる信仰の礎(いしずえ)を、要約して宣言されました。「私は既に世に打ち勝っている!」と。この勝利宣言は、「一度限りの真実の光の訪れが、暗闇が決して勝利することの無い、即ち絶対的な不変の勝利を確約した」ことを、信じる者に約束の言葉として、永遠に保証しているものです。


 そうです!この三つの御言葉が、私たちの信仰の「希望(Hope)の源」です。私たちの信仰の「HOPE」とは、「He has Overcome the Power of Enemies.」、つまりイエス・キリストが、全ての敵の「暗黒の力」を、ご自身の十字架の死を通して、完全に打ち滅ぼした!ことにあります。


 私たちが「真実の光」、イエス・キリストを知っているからこそ、「暗闇」が支配する世にあっても、聖霊様の「助け」を通して、益々強められて行くのです。ですから2024年も、恐れる必要はありません!イエス・キリストが、「暗黒」の如き世相にあっても、私たちの先を行かれるからです。私たちは安心して、イエス・キリストに付いて行きましょう!


 あなたの信仰の「歩み」の全てに渡って、イエス・キリストの「真実の光」が、霊的な「起点(キーポイント)」となって、勝利の伏線として豊かに輝き出す、素晴らしい一年でありますよう、主イエス・キリストの勝利の聖名で、祝福してお祈りします。アーメン!(2023年12月31日のメッセ-ジ)


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