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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Thanksgiving(No.5)

                    主なる神の第五の感謝




神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」神は水に群がるもの、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。
                                                                                                          【創世記1章20~22節】


「水」と「空」という二つのフィールド
 今回の御言葉から学ぶべき第一のポイント、それは「水」の中に造られた生き物と、「空」の中に造られた生き物が、具体的に如何なる御言葉によって創造されたのか?という点です。主なる神は各フィールドに対して、「生き物が・・・・群がれ」(20節)という言葉をもって、実は命じられた訳です。


 即ち「水のフィールド」に対しては、「あらゆる生物が満ち溢れる環境となれ!」と、そして「空のフィールド」に対しては、「鳥たちが羽ばたき、自由に飛び回って群がるところとなれ!」と、主なる神が命じられました。その結果、「水」の中には多くの生き物が、「空」には多くの鳥が群がり始め、主なる神はその様を見て、真実の「感謝」を捧げられました。


 ここで重要なことは、主なる神は二つのフィールドに対して、「あなた方の各持ち場において、私が今から創造する被造物があるから、彼らがあなた方の中にあって、豊かに増え広がること、そして喜びをもって生存し合うことが出来る、そのような環境になりなさい!」と、まるで直近の部下たちに直接、命令を下しているかのように語っている点です。


 ところが如何せん、ご存知のように今日の「水域」と「空域」の各環境は、人の犯した「罪」が故に、物理的にも霊的にも、うめき苦しんでいます(ロ-マ書8章)。人が造り出したエゴイズムにより、彼らの環境が破壊されつつあります。しかし、本来神が用意する全てのフィールドには、神ご自身が意図される、聖なる「ご計画」が付随します。そこに被造物が棲息し始めますと、実はあることが起き(開始し)ます。


神の創造の基本的「方向性」
 人が「罪」を犯しさえしなければ、地球という天体(惑星)は、神のご意思の中で永遠に循環するなど、素晴らしいエネルギー・システムがありました。「水」の中においても、「陸」上においても、「大気」の中においても、そこに暮らす生き物たちは、神の秩序の中で必ず、「満ち溢れる」ように創造されています。


 と言うことは、今の日本国において最大の懸案事項、つまり聖書が明言する、「幻(神が示す明確な指針)」無き民(民族)は、いずれ滅亡するという、非常に危機迫る問題は、本来は無かったはずです。神が意図される創造に関する「幻」は、基本的に「産めよ、増えよ、地に満ちよ!」です。しかし、今の日本の現実は晩婚化が進み、若者たちが結婚を望まない中で、高齢化社会が加速する事態にあっても、神に立ち返ろうとしません!


 このように神の「恵み」を、余すこと無く産み出すことの出来るフィールドが、第一に「海」や「川」であり、そして「大空」という二大環境でした。それ故に、私たち被造物が創造された目的は、先ず「産む」ことです。次に「増え広がり」、そして最終的に「地を満たす」ことです。つまり神の豊かな祝福(恵み)を現す器として、地を満たす(祝福の基となる)のです。


 私たち被造物が創造された目的(意味)を、もう一度明確に知る時に、私たちは神の法則の中で、実は「生かされている!」ことに気付きます。私たちはは、とかく「自分の息」で生きている!と錯覚しがちですが、聖霊様は語りかけます。「否!あなたは常に、神の恵みの中で生かされているのです。あなたが無から造り出すことの出来るものは、何一つありません。あなたが生きる理由、それは神の豊かな祝福を現す器として、地を満たすためです。」


 だからと言って、私たちが主なる神から、「産めよ、増えよ、地に満ちよ!」と急に命じられても、私たちは「え!もっと子供を育てよ!と言われても・・・・」、「何を拡大したらよいのですか?」などと躊躇します。かつて(数十年前頃)日本人キリスト者は、外国の有名なカリスマ牧師たちから、「日本は必ずリバイバルします!」と宣言(預言?)されてきました。


 では「現状(今の有様)」は、どのようになっているでしょうか?多くの日本人キリスト者(牧師を含む)が、自分たちが「描いた幻」通りに、事が進んでいないため、何らかのジレンマ(焦燥感も含む)を感じていることでしょう。しかしそのような「幻(期待感)」は、あくまで人間的な業の一つです。


 ところが主なる神は、あくまで自分の業(ご計画)を進めておられます!神の「ご計画」は、イエス・キリストを通してしか為されません!そしてそれは、人間的な業(権勢、能力)によらず、ただ神の霊(聖霊様)による!のです。イエス・キリストにおいて、私たちは「一つ」となり、父なる神の「御心」が豊かに満ち溢れるのです。これが霊的な「産めよ、増えよ、地に満ちよ!」です。


 そうです!私たちがイエス・キリストに倣う者、イエス・キリストに似る者として、神の「ご意志」を明確に現し、神の豊かな「天の産物」を地に満たし、霊と真による礼拝を捧げる時に、天から降る圧倒的な「炎」が、絶えること無く降り注ぎ、「後の雨」の恵みが、素晴らしい神の祝福の御業として、私たちが思い描かなかった(予想しなかった)時に、まさに現れ出てくるのです。こうして神の御名の栄光が、「イエス・キリスト」を通して崇められるのです。


「イエス・キリスト」が満ち溢れる教会


神は、私たちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たして下さいました。天地創造の前に、神は私たちを愛して、・・・・キリストにおいてお選びになりました。・・・・神がその愛する御子によって与えて下さった輝かしい恵みを、私たちが讃えるためです。・・・・神はこの恵みを私たちの上に溢れさせ、全ての知恵と理解とを与えて、秘められた計画を私たちに知らせて下さいました。・・・・こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。・・・・聖霊は、私たちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、私たちは贖われて神のものとなり、神の栄光を讃えることになるのです。・・・・神はまた、・・・・キリストを全てのものの上にある頭として教会をお与えになりました。教会はキリストの体であり、全てにおいて全てを満たしている方の満ちておられる場です。
                                                                                                        【エペソ書1章3~22節】


 この御言葉の中にある「満ちて」、「満ち溢れる」などのキーワードから分かることは、教会(エクレシア)の造られた(産み出された)目的が、霊的には「産めよ、増えよ、地に満ちよ!」通りに、必ず実現(成就)していくことです。つまり一つ一つのエクレシアが、同一の目的をもって創造されているのです。ですから、ある教会だけが十万人、一万人の信者を擁するなどの、いわゆる「メガチャーチ」と呼ばれる、そんな巨大組織を建て上げることを、この御言葉が示している訳ではありません!


 神の創造の拡大(方向性)は、あくまで自然的なものであって、人間的に「数」や「量(規模)」を拡大することではありません!神の「エクレシア」は、自然的な発露として必ず「満ち溢れ」、少しずつ成長して行きます。すると見えない次元の中において、霊的なネットワークが形成され、今まで教派色が強かった部分が打ち消され、一つのカラー「イエス・キリスト」の栄光色のもとに、一つの神の御体が形成されることになります。


 ですから私たちが、今考えている「次元」や、人間的な「方法」を超える形で、聖霊様が「養育係」として、神の御体を寄り(呼び)集め、そして増え広げて下さることを、是非信じて下さい!私たちが為すべきこと、それはイエス・キリストのみを讃え、神が「一つところに集まれ!」と命じられた、エクレシアの中において、真実の礼拝を捧げることです。


 私たちは、この命令を怠ることなく、互いに仕え合いながら、神の御言葉を分かち合い、神の偉大なる最終拡大(後の雨の大収穫)が起きた時にも、瞬時に馳せ参じることの出来る、神の兵士(農夫)として整えられることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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