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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Thanksgiving(No.3)

                    主なる神の第三の感謝



神は言われた。「地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。・・・・神はこれを見て、良しとされた。
                                                                                                          【創世記1章11~12節】


二種類の「植物」の働き
 今回の御言葉から分かる事は、主なる神は「地上」の中に、新たな「命」を産み出していることです。しかもそれは、「植物」を第一(最初)の創造としています。この事実は、進化論が説く理論とは全く異なります。彼ら(進化論を信奉する人々)は、あくまで「海」から生物が発生し、それが次第に進化して、陸地に住む生物が現れたと信じているからです。


 主なる神は、何のために「植物」を創造されたのでしょうか?人の犯した「罪」の呪いにも関わらず、今日も「植物」たちは一生懸命に花を咲かせ、他の動物たちに恩恵をもたらしています。しかもそれは、惜しみなく与え続けるサイクルです。私たちは、彼らがもたらす「恵み(恩恵)」を、じっくりと考えたことがあるでしょうか?彼らは神の「ご計画」によって、「産み出す(実をもたらす)」ことを使命とします。


 「地(Earth)」の中に始まった、第三の創造を通して、主なる神ご自身は今回も、「あること」を見ま(確認しま)した。そして驚くことに、未だ「見ていないもの」に対しても、神は感謝を捧げているのです。「海」が、様々なエネルギーを、くまなく循環させる働きがあるのに対し、「地」は先ず惜しみなく産み出すという働きがあり、最終的に必ず「実り」をもたらすという、二つの重要な働きがあります。


 主なる神は「大地」に対して、次のように命じました。「私が命のエネルギーを送る(注ぐ)から、あらゆる植物を産み出しなさい!」と。すると大地から、緑薫る植物の群生が生え出で、それまでは荒涼としたフィールドだったものが、たちまち生きた大地になったのです。


 主なる神は、この植物の群生の中に、二種類の(働きを為す)グループを設けました。第一のグループは、「種」のみを多く残すのに対し、第二のグループは、「果実」を多く産み出す働きを為します。第一のグループの主流は、今で言うところの「穀類」です。「種」そのものに、エネルギーが多く含まれるので、それを食するものは生存力が増します。


 第二のグループの場合、種そのものは食さないのですが、「果肉」に覆われた部分(甘味に満ちた塊)を食することで、食する側が必ず満足する!という、非情に「穀類」とは違った働きをします。この二種類から分かる、主なる神の「植物」を創造した目的が、他の生物の生存に必要な、何らかのエネルギーを惜しみなく、季節ごとに供給して(産み出して)いることです。


見えざる事実(結実)を感謝する
 主なる神は、ご自分が発せられた言葉によって、二種類の植物が大地に豊かに現れ出たのを見て、「素晴らしい!聖霊様、よくぞやってくれた。ありがとう。」と言って、第三の感謝を捧げました。しかし、ここで見落としてならない事実があります。それは主なる神が、未だ見ていない事実をも、あたかも見ているかの如くに、非常に喜んでいることです。


 つまり全ての植物が、大地から現れ出た時点から、「自分が描いていることが始まった!」と、見えない事実を確認しているのです。この後植物が、どうなるのかを見ていないにも関わらず、「これは始まった以上、必ず完成(結実)に至る!そして最終的には、創造の最終作品(アダム)に、味わって欲しい!」ことを念頭に入れ、非常に嬉しく感じ取りました。そしていずれは、アダムが植物の豊かな産物を食した時、思わず主なる神に対して、感激の言葉をもって「父よ、感謝します!」と、全身全霊をもって喜ぶ様、つまり礼拝を捧げる行為も、既に描いているのです。


 実は、主なる神の為されること全てに、ある法則があります。それは見えない事実を、主なる神が既にデザインしている訳ですから、これを素直に受け留める側は、必ず「感謝」に至る!という法則です。もし今回の創造の中に、「感謝」ではなく、サタンが好む「不満足」「後悔」等の思いが、一つでも見当たるとしたら、神は決して「良し!」とはされません。全ての植物が生きる価値があり、何らかの意味があったのです。それは全てが「惜しみなく与え、互いにエネルギーを使い合うことで、良きものを産み出し、最終的には感謝の収穫をもたらす!」という、驚くべき循環システムを、神は前もって見ていたのです。


・・・・惜しんで僅かしか種を蒔かない者は、刈り入れも僅かで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。・・・・喜んで与える人を神は愛して下さるからです。・・・・種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなた方に種を与えて、それを増やし、あなた方の慈しみが結ぶ実を成長させて下さいます。あなた方は全てのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、私たちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。何故なら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通して益々盛んになるからです。・・・・言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。
                                                                                                 【Ⅱコリント書9章6~15節】


 主なる神が創造された全ての作品の中に、神の素晴らしい「意味付け」があります。それは決して、ご自身の「自己満足」の為にあるのではなく、惜しみなく何らかの「良きもの」を与える為です。そして受けた側は必ず、与えられたことに対する「感謝の念」が生じます。この「感謝」の循環は絶えること無く、新たな「感謝」の収穫となって、大地を満たすことにつながります。


 実は、私たちにも「植物」同様、二つの大きな働きが、神によって与えられています。それは第一に、「種(神の言葉)」を蒔く働きです。そして第二に、神から与えられた「恵み(賜物)」をもって、種々の「実り」をもたらす働きです。この二つの働きに共通することは、惜しみなく与えることです。


 これから世界的に、「物(食糧含む)」が不足する時代に突入しています。その中にあって「神の宮(エクレシア)」には、主なる神の大いなる役目(働き)が与えられます。それは枯れた大地にあって、香り良きシャロンの花、つまりイエス・キリストの麗しい実を結ぶべく、私たちキリストの花嫁も、惜しみなく人に与え続け、神の素晴らしい「恵み」を流すことを通して、素晴らしい「感謝」の大収穫(刈り入れ)にあずかることです!


 このことが問われるのであれば、私たちも大地に植えられた、「一輪の花」として実を結び、豊かな神の「恵み」の数々を、貧しき者・病める者・腹を空かした者に届ける重要な働きがあります。先ず第一に届けるものは、神の愛に満ちた「命のパン」です。


 私たちは長い間、日本国という大地の中で耕し、時が良くても悪くても、ひたすら福音の種を蒔き続け、涙の祈りをもって実りの時を待ちました。しかし「試される期間」は、いよいよ最終段階、つまり大収穫の時に至っています。あとは「大鎌」と「箕」を携え、「神の畑」に出向くだけで良いのです。


 どうか主なる神が、常にご自身の豊かな「憐み」と、代償を求めない「慈しみ」をお示し下さいますように。また私たちも、更に「感謝」の礼拝を献げ奉(たてまつ)り、人に惜しみなく与え続けることの出来る、キリストの農夫でありますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!
 

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