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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

信仰の完成(No.18)

                  各自で門扉を守りなさい!




城壁が築かれたので、私は扉を取り付けさせた。そして門衛と詠唱者とレビ人を任務に就けた。・・・・私は彼らに言った。「・・・・彼らが任務に就いている間に、扉を固く閉ざしなさい。エルサレムの住民に守備態勢を取らせ、各自が自分の持ち場と、各自が自分の家を守るようにせよ。」
                                                                                                   【ネヘミヤ記7章1節~3節】


迫り来る敵に、どう臨むのか?
 今回の記事には、私たちの今の信仰姿勢、また置かれた霊的状況等に対して、私たちが油断している部分、疎かにしている点、敵(悪しき霊)の侵入に無頓着な性分等を、あえて聖霊様が警告していることを述べていると言えます。つまり私たちが本来、どのようにあるべきか?今の私たちに足らない部分は何なのか?という点です。


 そういう意味で、今回の記事から聖霊様が警告している、様々な問いかけに対して、謙虚に「霊の耳」で聞くのであれば、私たちは本来の正しいポジションに、立ち返ることが出来るのではないでしょうか!今後来る最後の戦いは、私たちが想像できない規模で突入する、そんな時代が迫っています。現実の世界でも、様々な「惑わし」が蔓延する中、霊的な世界においても、私たちキリスト者を攪乱しようとする、悪しき霊が暴れ始めているからです。


 それに対して私たちは、どう立ち向かう(臨む)べきでしょうか?敵が獅子の如くに、外側から唸り声を上げて迫って来るのであれば、私たちは身構えることが可能です。しかし敵は巧妙な方法で、しかも知恵に長けた次元の中で、大人しい羊の如くにやって来ますので、私たちは遂々油断してしまいます。


ネヘミヤの対処策
 さてネヘミヤは、そのような敵の密かな攻撃に、如何なる知恵をもって対処したのでしょうか?覚えて戴きたい事実、それは城壁及び各門は確かに完成した!ことです。しかしネヘミヤは、別の見えざる事実、即ち敵が外側ばかりでなく、城内(ユダヤ人の一部)にも潜んでいる!ことを、聖霊様から知らされていました。


 この時ネヘミヤは、主なる神に祈り求めました。「門兵と見張人だけでは、十分に対処できない!どうしたら、この非常事態に勝利できるのだろうか?主よ、あなたの知恵を授けて下さい!」と。すると聖霊様が、深い呻きをもって祈る彼に対して、同様に執り成して下さり、ある知恵(方向性)を示して下さいました。


 その知恵とは、「契約」を神殿に奉納した、かつての偉大な指導者たちが為した、様々な戦い(改革)のイメ-ジでした。それは第一に「神の宮」を取り戻し、第二に敵から「神の宮」を守る!という霊的改革でした。私たちは「え!神の宮は神ご自身が住まわれるのだから、神が自分で戦われるのでは?」と疑問に思います。しかし「神の宮」は、あくまで人が造った「仮庵」に過ぎません。ですから敵の侵入を許し、この「仮庵」に偶像を据えることは、いとも簡単なことです。改革者(聖なる指導者)たちは、それらの偶像を全て破壊し、「神の宮」に仕えるレビ人を聖別し、そして礼拝のための聖歌隊を訓練しました。その後に、各部族から兵役要員を招集しました。


 つまりネヘミヤの改革は、何よりも①「神の宮」を守る門衛、第二に②「神の宮」で賛美する聖歌隊、そして最後に③「神の宮」に仕える祭司たち、この三役を準備したことです。実は、この三つの働きが、私たちにも与えられていますが、果たして私たちは、この役割(務め)を忠実に実践しているでしょうか?私たちの信仰生活に、実践すべきことを後回しにしますと、私たちの霊性は必ず綻(ほころ)びが生じるのです!


 ネヘミヤは、敵がもたらす様々な「混乱」が、城壁の内側から起こり始めると、今までの「一致」が少しずつ瓦解し、互いに嫉み合う関係に貶められることを予測していました。それ故、民たちからの様々な「苦情」が、彼のもとに集中した訳です。しかし聖霊様は、この時も助け船を与え、彼の兄弟(ハナニ)と、忠実な役人(ハナニヤ)の二人に、行政処理を代行させることにしました。


各自で門扉を守る
 今回の奥義の最大の中心点、それは「門扉の管理は、各自に委ねられている!」ということです。「門扉」の管理とは、文字通り「鍵」の鎖錠と解錠を担う、「鍵」の取扱いのことです。この時ネヘミヤは、民に対して次のように念を押しました。「敵の侵入に対して、門衛ばかりに頼るのではなく、各自で自宅周辺をパトロ-ルしなさい!」と。すると民たちが、各自の住居地域(村単位)で、昼夜に渡る警備態勢を、厳重に強化し始めたのです。


 「安全とは与えられるものではなく、自ら率先して確立して行くものである!」、このことを常に覚えて行動して下さい!そうです!私たちはネヘミヤに従った民の如くに、①自ら安全を考え、②それを造り上げ、そのために③実践していくことが求められます。そうして始めて、全ての安全が確保されるのではないでしょうか!


 敵の侵入を、ことごとく防止するためには、これは喩えになりますが、あたかも雑草(敵)を生えさせないよう、除草剤を予め散布するようなものです。しかも一人で除草剤を散布するのではなく、各自が各地域を霊的に除草するのであれば、敵は侵入することはありません!そうです!私たちが各自の門扉を守るべく、「イエス・キリスト」という名の鍵をもって、しっかりと鎖錠の管理をしましょう。


 主なる神の大いなる次元の中において、私たちは日々何を為すべきでしょうか?先ず①神の時を無視してはなりません!私たちは事に臨む時、それを「人の時」の次元の中で解決しようとする故、霊的に苛立ったり、焦ったりするのです。必要な信仰姿勢は、「神の時」を謙虚に待ち望むことです。第二に②門扉の開閉は、神の御心に委ねることです。私たちの唇(霊の門扉)が、霊の次元を語っている限り、それは神の御心を語ります。しかし肉の次元を語る時、それは不信仰の言葉によって、敵の侵入を許すことにつながります。


 そして最後に③各自が警備隊として、パトロ-ルの役割を忠実に果たすことです。互いに霊的に見張り(守り)合い、互いに不信仰に陥らないよう、各自で執り成し祈り合う、キリストの家族(共同体)を造り上げましょう!


 主イエス・キリストの豊かな「命の言葉」が、あなたを確実に守り導き、与えられた聖なる務めを、忠実に実践していく原動力になりますように!そしてあたなの霊の門扉が、聖霊様によって益々管理されて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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