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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

生ける聖霊の働き(No.2)

              命のエネルギー「水」の力



神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。・・・・・・・・産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。・・・・」
                                                                                                  【創世記1章20〜22節】


 ご存知のように「水」は、とても単純なサイクルを伴って流動しています。①天から降り注がれた「雨水」は、その全てが低い低地を目指して、集められるようにして流動します。そして②低い土地に集められた「水」は、やがて満ち溢れ(飽和状態に達し)ます。続いて③溢れ出た「水」が、その地より更に低い土地へ流れて行く中で、他の「水」も高い地から流れ集められ、その結果様々な流れが「一つ所」に集められた時、そこから一本の「川」となって流れて行きます。そして最終的に「川」は、最も低い到達地点に流入して行きます。この最終地点を、私たちは「海」と呼んでいます。ですから「海」とは、様々に集められた「水」が集合する場所、つまり「最終集積タンク」のような場所です。そしてこの時、「水」にとって「海」という場は、自分たちの「活動する力」が集結し、一つの巨大なエネルギ―を温存する領域を指します。


 この20節の御言葉から、父なる神は「水」に対して、直接命じていることが分かります。父なる神の「創造の法則」は、非常に単純な方法をもって成立しています。つまり「命の言葉」をもって創造するという、一貫性があります。父なる神が、万物を創造する時のパターンは、次のようなものです。例えば「水」という物質に関しても、これは父なる神が命じられる時点まで、出現を控えた存在として「神の時」を待っています。決して「水」に命は無いのですが、あたかも命在るもののように、「水」に対して直接命じられました。このように、父なる神が為されることは只一つ、言葉をもって命じることです。


 父なる神は「命の言葉」をもって、これから存在するように計画されている物質に対して、「現れ出よ!」と語っただけです。ですから「水」に対しても、同様の命令を下しています。この時私たちは、三次元的概念から判断して、「え!?水は生き物ではありませんが・・・・。」などと思われるかも知れません。確かに物理的に判断すれば、「水」という物質は有機物を含み、化学合成式としてもエネルギーに満ちた液体ですが、他の生物のような「生き物」とは考えにくいものです。しかし、父なる神ご自身から見て「水」は、ご自分の作品の一つである「生き物」なのです!即ち生きた存在であり、「水」の中にも父なる神の「意志」が現されています。その証拠にイエス・キリストは、暴風雨(嵐)の最中に遭っても、「暴風」と「水(荒波)」に対して、「静まれ!」と直接命じられました。つまりイエス・キリストは、父なる神の「命の言葉」をもって、「風」と「水」に対して、「父の御心だ!あなた方は、元の落ち着いた動きに戻りなさい!」という命令を下したのです。


 イエス・キリストと同様に、旧約聖書の中には、父なる神の「命の言葉」を預かった預言者たちが、自然界の一つ一つの「生き物」に対して、例えば「火」「風」「海」「水」などの気象物体に対しても、神の「命令」を下していることが、数多く記述されています。父なる神が、本当に神の御言葉の前にへり下り、神を求める者に対して、自然界の秩序に対しても命じることのできる、新しい「命の言葉」を約束として与えて下さると言われた場合、私たちは求めないでしょうか?それを自分の為にではなく、神の栄光を現す為に与えられるとしたら、どんなに素晴らしい「神の国」の秩序が、この世を潤していくことでしょう!このことを単純に実行した信仰者は、聖書の中ばかりでなく今日にも存在しています。例えば『信仰』の著者デーブ・デュエル師です。彼はある時、自分の牧する「牝牛」のお腹に手を触れ、「信仰」を働かせるよう、聖霊に促されました。そして「産めよ、増えよ、地の上に満ちて地を従わせよ!」という「命の言葉」をもって、信仰の祈りを命じました。すると、今まで全く出産したことのない「牝牛」が、次々とお腹に「子」を宿し、たちまちリバイバルしたのです。


「水」の使命
 このように「水」の中には、神の「意志」が存在しています。そして、父なる神は「水」に対して、具体的に「言葉」をもって命じられることで、「水」の使命をこの時に確立しました。先ず第一の命令は、20に記されているように、「水よ、あなたはこの地に生きる、あらゆる生物の中に渡って、満ちるものとなりなさい!」の言葉の中にあります。これは、今日の進化論学者が論じる、いわゆる「水」が他の生物を産み出す、「命の源」であることを述べているのではなく、「水」が様々な生物の成長を促進し助ける、つまり「水」の存在するところが、生物も生きる存在の場(living field)となるよう、第一に命じられていることです。


 「水」というフィールドは、父なる神の第一の命令が下される以前は、生物が全く存在しない領域でした。只地球を覆う物質として、存在するだけのものでした。しかし、この第一の命令が天から発せられるや否や、「水」の中に「神の命」が吹き込まれ、巨大なエネルギー流動体として、他の様々な生物を呼び集める(群がる)ことのできる、重要なフィールドになりました。これは全ての「水」の形状に対して、第一に命じられた神の「意志」です。つまり、天から降り注ぐ雨粒、天空に存在する水蒸気、集積し溜まり水となった池・湖、常に流動している河川、最終合流地点の内湖・海、これら全ての形状に対して、あらゆる生物が満ちる、「存在の場」になるよう命じられました。このように父なる神は、「水」に対しても神の「意志(ご計画)」を現そうと創造しています。私たちがこの「水」の働きから、神の奥義を霊的に学ばされる時に、実は私たちに対する、驚くべき神の「ご計画」を発見することでしょう!


 「水」に対する神の命令の中に、「水」の使命が具体的に記述されています。先ず第一に「あなたは、あらゆる生物を集める(が生きる)場になりなさい!」。第二に「命の水を常に供給し、彼ら(生物)を生かす力を与えなさい!」、第三に「あらゆる生物が、更に子孫を繁栄させることのできる(出産する)フィールドになりなさい!」。この第三の使命は、私たち「人間」の出産プロセスの中に、分かり易く現されています。それは母体の「胎」の中に、「命の種」が宿った時に現れ出る、「子宮」としての働きです。「子宮」とは、赤子を宿すフィールドであり、このフィールドに神の「命の種」が蒔かれた時に、実は「胎水(羊水)」という「水」が、この子宮全体に満ち溢れます。この有様は、まさしく「命」を産み出すフィールドとして、「水」が重要な働きを担っている一例です。そして私たちは、アメーバーなどの単細胞生物から、私たち「人間」を構成する複雑な生体組織に至るまで、その細胞壁の中の九割以上占めている物質が、「水」であることも知っています。


 このように、全ての生き物の「命」を存続させ、力(エネルギー)を満たすフィールド、しかも子孫を繁栄させ、次々と産み出すフィールドが「水」なのです。この「水」の中に在る三つの使命を、私たちは常に覚えておくべきです。実は、この「水」の三つの使命は、霊的には父なる神が、新約の歴史を再開するに当たって、聖霊を通して「五旬節革命」の時に、産み出した「命のフィールド」が何であったのか?これを知る手がかりになります。百二十人の弟子たちは、聖霊を通して「火(炎)」を授かりました。そして、聖霊によって集められた彼ら(一致した集合体)は、「エクレシア」というキリストの新生児として産声を上げたのです。


「水」としての聖霊の働き
 「水」における三つの働き(使命)を探る時、「五旬節革命」の時に産み出された、「エクレシア」を司る聖霊の働きも、「水」同様の役割を担って、「エクレシア」に働きかけていることが分かります。聖霊様は、何故「エクレシア」に対して、命のエネルギーを注ぐのでしょうか?まさしく、それは「水」の働きと同様のものです。聖霊様の「エクレシア」に対する第一の働きは、あらゆる人々(全ての造られた者)を集める場(フィールド)になるよう、天から「エクレシア」に「命の水」を注ぎます。「エクレシア」とは、特別に偉い人(エリート)や白色人種などの、特権階級の人々が集められる場ではありません!第二の働きは、「命の水」を常に「エクレシア」に供給し、彼らを生かす「力の源」になることです。


 何故、聖霊の「油注ぎ」が用意されるのでしょうか?油注がれた者を、カリスマ的なスーパースターにするためですか?否!父なる神の豊かな「愛」を流す為に、その人を神の「御心」通りに造り変え、更にその人の「霊」の只中から、「命の水」を溢れ流れ出すべく、「油注ぎ」が用意されるのです。第三の働きは、全ての人々が更に新しい霊的子孫を産み出し、繁栄させるフィールドにすることです。もし「エクレシア」が、この霊的出産を停止させるとしたら、つまり自分の私利私欲のために、肥え太る(教勢的に成長する)ことのみを求めるとしたら、それは日本の童謡の中にある、お腹を膨らませ続けた愚かな蛙と同じで、最終的にはお腹を破裂させ、霊的には死んだ教会(世的に繁栄した教会)になるだけです。「真のエクレシア」とは、更に自分の「命」を振り絞って、人々に与え続ける命のフィールドです!又、新しい聖霊の「命の力」を、次々と人々に流し続けて行くべきです。そうすることによって、「新しい命」が産みだされ、人々が救われて行く「出産フィールド」になって行きます。


 妊娠した母親は、自分が望むと望まざるとに関わらず、胎児に「命のエネルギー」を搾り取られます。ある妊婦は、自分の歯がボロボロになるほど、カルシウムが胎児に摂取(吸収)されます。それでもその母親は、それを「苦」とは感じません。何故なら、自分のお腹の赤子が日増しに大きくなり、いずれは時満ちて、産みだされて来る「喜び」に溢れているからです。これが霊的出産の原型です。人々の救いのために、イエス・キリストと同様に、良きサリヤ人として「命の水」を流すことを、喜んで為し得る「力」を与えて下さる方、それが聖霊様です!ですから、聖霊様が望んでおられる三つの使命を、キリストの花嫁「エクレシア」を通して、益々働きかけて下さるよう、私たちは祈り求めようではありませんか!たとえ私たちが、「小さい器」のように思えても、聖霊様にとっては「貴い器(エクレシア)」であり、絶えず「命の水」を注いで下さるのです。その時に初めて、私たちは「真のエクレシア」として、喜びの叫びを上げることができます。


命のエネルギー
 「水」は、命のエネルギーをもたらすものです。しかしそれは、決して「命の源」ではありません。この世の進化論学者は、「全ての生物の源は、海にある(由来する)。」と提唱していますが、父なる神の創造の御業から見ますと、「海」は単なる命のエネルギーの「最終集積場」に過ぎません。「海」に膨大な栄養分、他の様々なエネルギーが集積することはあっても、決して「海」そのものが、「新しい命」を産み出す訳ではありません。「命の源は、イエス・キリストだけである!」このことを覚えて下さい!この方を通して、聖霊の息吹を注がれた結果、「人」は創造されたのです。そうです!私たちは、命の源イエス・キリストから「命」を与えられ、そして再びイエス・キリストの御元(源)に帰って行くのです。


 このように、命のエネルギーとして「水」の第一の働きは、「命の源」に至らせるエネルギーの流れであることです。「水」は常に、「命の源」の方向へと流れて行きます。え!?「川」が行き着く最終ゴールは、「海」ではないのでしょうか?「海」は確かに、この地上で集められる最終フィールドであっても、肉眼に見えない粒子状の世界では、海から「水(水蒸気)」が天上に向かって流れていることを、私たちは「理科」の授業で学びました。ですから「水」の流れは、海でストップする訳ではなく、再び天に向かって流れています。「水」に対して、エネルギーとしての力を与え、「水」に直接命じられた父なる神は、常に「水」を司る(管理する)聖霊様に対しても、被創造物が「天(命の源)」に向かうよう命じておられます。天上に居ます方、それは命の源イエス・キリストご自身のことです。


 命のエネルギーとして第二の働きは、全てを潤し全てを満たす力を伴って、絶えず動いていることです。それ故「水」の存在するフィールドに、全ての「生き物」も同様に集まって(動いて)来ます。私たちの「霊」の只中にも、「全てを満たす方の働き」が為されるのであれば、この「私」という器を通して、人々を様々な面で潤し、人々を病いなどから癒し、弱った者に力を与え、霊的に死んだ者を復活させることのできる命のエネルギーを、聖霊様が必ず流して下さるのです。ですから私たちは、霊的に「水」の働きをされる聖霊様の働き(介入)を、更に期待しようではありませんか!


 聖霊様は常に、第一の働き(命のエネルギー)として「命の源」、つまりイエス・キリストの御元に至らして下さること、そして第二に命の源イエス・キリストの御元に、聖霊を通して私たちが至った時に、必ずイエス・キリストは、私たちを通して更に他の人々を、霊的に潤し満たす力を与えて下さることです。そうです!私たちは、イエス・キリストの貴い器として用いられるのです。「器」というものは、常に「命の水」の源(場)に持って行かなければ、「水」を汲み上げ一杯に満たすことはできません。そしてこの「水」を満たした「器(私)」を、必要な場へと運んで下さる方が、聖霊様なのです!「器」自身は手足を持っていませんので、動き行くことができません!では運ばれた「器(私)」は、何をすればよいのでしょうか?流すだけでよいのです!


 聖霊様に期待して下さい!聖霊様の「水」としての働きが、神の国の貴い「器(あなた)」を通して、更に押し広げられ流されますよう、主イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン!


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