Terminal Hope(No.20)
神の栄光を見たにも関わらず
土地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブは、衣を引き裂き、イスラエルの人々・・・・に訴えた。「我々が偵察して来た土地は、とても素晴らしい土地だ・・・・我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ・・・・与えて下さるであろう。ただ、主に背いてはならない。・・・・主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」しかし、共同体全体は、彼らを石で打ち殺せと言った。主の栄光はその時、臨在の幕屋でイスラエルの人々全てに現れた。
しかし、私は生きており、主の栄光は全地に満ちている。私の栄光・・・・を見ながら・・・・私の声に聞き従わなかった者は誰一人として、私が彼らの先祖に誓った土地を見ることはない。・・・・しかし・・・・カレブは、別の思いを持ち、私に従い通したので、私は彼が見た土地に連れて行く。彼の子孫はそれを受け継ぐ。
【民数記14章6~10,21~24節】
二人の正確な「レポート」
今回の記事には、主なる神の激しい「御怒り」が描かれています。しかもその表し(現われ)方が、「栄光」の臨在を伴っていることです。だからと言ってその現象は、激しい雷鳴の如きものではありません。主なる神は実際に、「御怒り」をご自分の「言葉」として、イスラエルの民に直接語られているのです。
ヨシュアとカレブが、偵察の後に報告した正確な「情報」によれば、決して他の十人が恐れて、推論の域として報告した「巨人」の存在はありません。敵の情勢として、軍事的な内容は報告する必要がありませんでした。二人には、世界最大の軍隊である、エジプト騎兵軍団を完全に打ち滅ぼした、「万軍の主が、我らと共に存在している!」こと、この事実だけで十分だったからです。
そうです!二人の「信仰レポート」は、優れた産物(地の実り)を、産み出す力(民族的特性)が、カナン人にあるのではなく、「カナンの地」そのものに、創造主なる神の「祝福」が、アブラハムが住んで以来、継続的に注がれている!と、このように正確に報告したのです。ですから彼らは、「カナンの地は、主なる神がイスラエルの民に対して、前もって取っておかれた!」と確信できた訳です。
神の「栄光」の臨在は、私たちが肉眼で捉えることが出来ない、霊的な次元にあります。しかし私たちは、次の事実を知っています。「主イエス・キリストの貴い、贖いの御業によって私たちが救われ、永遠に至る復活の命が与えられ、現に信仰として得ている!」という、確固たる確信です。これは、下(肉の次元)から来るものではなく、上(天の次元)から来る正しいレポート、即ちイエス・キリストの「信仰」によるものです。
「偽りのレポート」に騙される時代
ところが、私たちは彼ら十人と同様に、つい現実(過去の事実を含む)を見るのです。良い意味で「過去」を見るのではなく、「現実」をベースとして「過去」に戻り、偽りの声(報告)を持って来る、サタンの罠に陥ってしまいますと、私たちは「現実」を巨大化して捉え、「過去」の幻影(エジプト)に囚われるのです。「あーあの時、~しておけばよかった。今は進める状況には無いから・・・・」などと。
さて、否定的なレポートを信じたイスラエルの民は、ヨシュアとカレブによる、肯定的な報告を聞いた時、如何なる反応を示したのでしょうか?主なる神の「栄光」の臨在が現れても尚、彼らは憤慨し続けました。今の「終割の時代」に、主イエス・キリストが「救い主」として、再び地上に現れ出たとしても、恐らく同じ現象が起きるでしょう。何故なら多くの人々が、「偽りの光」に誘導されているからです。
しかし私たちは、如何なる「現実(敵)」が来たとしても、私たちの真実かつ、唯一の「救い主」、イエス・キリストの御名により、次のような信仰の宣言(霊的報告)を、大胆に語って行くべきです!「私の全てに、主イエス・キリストの貴い血潮を注ぎ、その完全なる防御の中に覆って下さい!敵の放つ、全ての矢(攻撃)を封じ込めることの出来る、あなたの栄光の臨在を現わして下さい!」と。
今回の記事の、最大の重要ポイントである、カレブ・レポートの奥義ですが、主なる神は「御怒り」を、イスラエルの民に現わしたにも関わらず、「しかし・・・・カレブは、別の思いを持ち、私に従い通した」(24節)いる!と、彼の信仰宣言を賞賛している点です。この御言葉に記された「別の思い」とは、彼ら十人とは「異なる正しい判断(態度)」をもって、主なる神に相対していることです。ところが彼ら十人の場合は、主なる神の「御思い」から、完全に乖離した「肉の次元」から、現実を否定的に判断して、「偽りのレポート」を意図的に流布しました。
それに対してヨシュアとカレブの場合は、主なる神の「御思い」と、完全に一致した霊の次元から来る判断で、正しい情報を報告しました。それ故に彼ら二人だけが、例外的に死ぬこと無く、祝福の地カナンにいることが出来たのです。今の「終わりの時代」には、様々な「艱難」が必ず来ます。しかし私たちは、信仰の歩みの「ゴール」を、そのような世的な次元に置いていません。主なる神が用意される、新しい「天」と「地」に、私たちも踏み行くことの出来る、「約束(新しい契約)」が保証されているからです。
新しい「天」と「地」を目指して
では誰が、新天地(御国)に辿り着くのでしょうか?それは、イエス・キリストの「信仰」を戴いた者として、イエス・キリストの「正しい判断(御思い)」をもって、全ての物事を信仰的に見る人々です。イエス・キリストの「視点」の中には、否定的な次元は全く存在しません。ありとあらゆる罪人に対して、「私の心だ。清くなれ。」、「癒されよ。」、「床を取り上げ、立ち上がりなさい。」、「私はあなたの所に泊まることにしている。」などと、祝福に至る言葉を投げかけて下さいます。
私たちは「過去」を振り返って、否定的な誤った「報告」を、神に対して述べたいところですが、聖霊様は「その時」、「否!あなたが持つべき信仰は、肉なる次元から来る動機(願い)ではなく、イエス・キリストが与えて下さる、上(天)より与えられる約束の御言葉として、イエスの信仰を受け取りなさい!」と、軌道修正して下さいます。
私たちが、不幸に見える自分の「境遇」や、否定的に見える「現実」だけに焦点を当てて、肉の判断で物事を見る者は、神が用意される新しい「天」と「地」には、決して入る(辿り着く)ことが出来ません。しかし主なる神が、自分に為して下さっている全ての事を、自分が好むと好まざるとに関わらず、「神の時」として捉え、自分に対する「恵みの時」として、信仰を働かせて受け取る者は、新しい「天」と「地」に進み行く事が出来るのです。
主は苦難から常に救い出して下さいます。私の目が敵を支配しますように。
【詩篇54篇9節】
この御言葉は直訳で「あなたは私が被るあらゆる苦難から、完全に贖い出して下さいました。そればかりか、敵が完全に打ち滅ぼされるのを、私はこの目で確認したのです。」となります。この告白は、たとえ「現実」という敵を見ても、「将来」に対して決して不安は無く、むしろ既に勝利を確信している言葉です。
つまり「敵」が来ても、「敵どもよ、来るなら来い!お前たちは、イエス・キリストにより、既に敗北しかない!」などと、むしろ余裕のある言い回しです。然り!私たちが告白すべき報告は、「カナンの地に進み行き、そこにおいて今は敵の産物(地の実)であっても、それらをことごとく私たちの手に、神の祝福として必ず得ることが出来る!」という、上よりの信仰表明です。
どうぞ、あなたの人生サイクルの全てにおいて、下から来る「肉のレポート」ではなく、イエス・キリストの信仰を置いて下さい!イエス・キリストは既に、「この世」に打ち勝っている!この信仰標語(道しるべ)を、あなたの信仰の歩みの「先」に置きましょう!あなたの人生全般に渡って、「勝利」という名の結実が与えられる時に、見えざる神の「勝利の方程式」が、聖霊様を通して必ず見ることになります。
あなたの「霊」の領域に、主イエス・キリストの信仰が豊かに満ち溢れ、如何なる敵が攻め込んで来たとしても、あなたがヨシュアとカレブの如くに、聖霊様からの聖なるレポートのみを、信仰をもって受け取り、日々前進することが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で、祝福してお祈りします。アーメン!(2024年8月18日のメッセ-ジ)
☆バルナバ・ブログ福音薬局
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