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Terminal Hope(No.15)

K・バルナバ

     創造主なる神の「栄光」とは?




モーセとアロンは全てのイスラエルの人々に向かって言った。「夕暮れに、あなた達は、主があなた達をエジプトの国から導き出されたことを知り、朝に、主の栄光を見る。・・・・」・・・・アロンはイスラエルの人々の共同体全体にそのことを命じた。彼らが荒れ野の方を見ると、見よ、主の栄光が雲の中に現れた
          【出エジプト記16章6~7,10節】


神の「栄光」は見ることが出来るのか?
 私たちは、「真実の光」の中に生きるキリスト者です。この時に、私たちはこの「真実の光」の源、即ち創造主なる神の「本質(光源)」を、霊的に正しく知る(感じ取る)必要があります。宇宙万物の中には、決して存在しない「光(栄光)」、それが創造主なる神の持つ、素晴らしい「本質」です。それと同時に覚えて戴きたいことは、罪人の末裔である私たちは、この神の「光」を、肉眼で見ることは出来ません。しかし主なる神は、この素晴らしい、主なる神の「栄光」の覆い(臨在)を、再び彼らの中に回復すべく、大祭司の雛型であるモーセに対して、先ず現われて下さったのです。


 次に主なる神は、アロンの命令に従うことを通して、イスラエルの民に対して、ご自身の「栄光」の臨在を、彼らの「肉眼」の中に、明確な形状で現して下さいました。しかし、直接見ることが出来ませんので、この時は現実のプロセスとして、「雲」の中に「栄光」を現示して下さいました。 


 しかし「今の時」において、この時の神の「栄光」の臨在が、同様に現れ出た!という報告はありません。但し唯一の「証言」が、福音書に記されています。それが御子「イエス・キリスト」を通して、三人の弟子(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)の肉眼の中に、主なる神の「栄光」の臨在が、同様に「雲」の中に出現したことです。(ルカ福音書9章28~34節参照)


 またサウロに対してイエス・キリストは、ご自身の「現われ(臨在)」を直々に示すべく、聖霊様が彼の「肉の眼」を一時的に閉じ(失明状態に置き)、将来の使徒パウロが保有する、彼の幼き「霊の眼」の中に、イエス・キリストの臨在が「真実の光」として、豊かに現れ出て下さいました。(使徒行伝9章3~8節参照)


神の「栄光」の臨在とは?
 さて主なる神の「栄光」の臨在とは、如何なるものでしょうか?先ず前提として覚えて戴きたいことは、神の「栄光」の臨在は、正しき者の為にのみ訪れるのではなく、「不平」「不満」「不信仰」に満ちた、全てのイスラエルの民に対して、公平にもたらされている!という点です。現実の私たちは、決して彼ら程に聖められた唇、即ち否定的な事を語らない、正しき者ではありませんが、聖霊様が私たちの唇に、「新しい言葉」を授けられる時に初めて、天よりの力が着せられ、信仰の言葉を語り、賛美を高らかに歌い出すのです。


主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することが出来た。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることは無かった。
【出エジプト記13章21~22節】


 この御言葉から分かることは、昼は肉眼で捉えることの出来る、明確な形状として「雲の柱」が出現し、 夜は平安(安息)の臨在として「火の柱」が、明々(あかあか)と彼らの宿営地を照らし出しました。ご存知のように夜は、ほんの少し先も見えなくなるなど、暗闇の「恐怖」が全てを覆う時間帯です。だからと言って、この時の「火の柱」の明るさは、彼らの睡眠を妨げるものではなく、尽きることの無い「静寂」と、優しく包み込む「暖かみ」のあるもので、何よりも彼らを常に守り導いている、麗しい臨在としての「光(常夜灯)」でした。


 この「火の柱」は、「エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。真っ黒な雲が立ち込め、光が闇夜を貫いた。両軍は、一晩中、互いに近付くことは無かった。」(出エジプト記14章20節)と記されているように、敵に対しては「完璧な防御」となって出現し、イスラエル人全てを守り通す程の、全能なる主の力ある「臨在」としても、天的エネルギーの威力が現れ出ています。


 敵が襲撃する時というものは、特定の時間帯、即ち「昼」でも「夜」でもありません。覚えて戴きたいことは、敵(悪魔サタン)は、いつ如何なる時にも攻撃して来ます。しかし主なる神は、如何なる時にも(昼も夜も)、ご自身の豊かな臨在を示すべく、昼は「助け主」なる方として、夜は全き「平安(安息)」と「守り」を与える方として、聖霊様が側近くに居て下さいます。


 このように主なる神の「栄光」の臨在は、イスラエル人に対して先ず、①朝になって「雲」の中に、ご自身の臨在を現し、続いて②神の「栄光(眩い光)」が、「雲」というフィルターを通して現れ出ました。それ故に彼らは、ようやく肉眼で捉えることが出来たのです。しかし近付くことは不可能でした。


神が「栄光」を現す目
 結論になりますが、主なる神が「雲」の中に、ご自身の「栄光」の臨在を現す目的(理由)を、私たちは正しく知る必要があります。今回の御言葉にある神の「栄光」とは、英語で「dazzling light」と言い、「目がくらむ程の眩い光」のことです。「眩(まばゆ)い」とは、語源で「目(ま)が映(は)える状態」を言い、具体的には①光が強過ぎて、目を開けられない程の状態、また②余りにもその様が美し過ぎて、まともに目を向けられない臨在(もの)、この二つの意味を指します。


 「不平」と「不満」を吐くイスラエルの民は、朝になって突然に出現した、「雲」の中に輝く神の「栄光」を見て、思わず驚嘆しました。「我々は罪人であるにも関わらず、主なる神は何と今も尚、我々のことを見放すこと無く更に愛し続け、共に居て下さっている!」と。  


 「臨在」とは、英語で「persence」と言い、新約聖書では「インマヌエル」と同義語です。即ち、①片時も見捨てず、②決して見放さず、③永遠に見守り続け、そして④傍らにて助け続け、⑤イエス・キリストの「救い」の覆いをもって、あなた(私)の側近くに居る!こと、これが神の「臨在」です。イエス・キリストは、主なる神の「栄光」の臨在を、私たちが今、明確に見ることが出来るように、「雲の柱」なる聖霊様の働きを通して、ご自身を豊かに輝き示して下さいます。


 そうです!私たちの前には、イエス・キリストの「救い」という、一つの霊的「覆い」があるからこそ、主なる神の「栄光」が現われ出、私たちは真実に神の「臨在」を求めるのです。私たちを創造した主なる神が、「常に(四六時中)、愛するあなたと共に居たい!」からこそ、「真実の光(イエス・キリスト)」は、私たちに対して更に輝き溢れ出るのです。「真の光」は全てを癒し、全てに天の「力」を与え、全ての「守り」と「平安」、そして「慰め」と「希望」を豊かに与えること、この素晴らしい福音を「今の時」に、多くの人々に示すべく、聖霊様が私たちを遣わされるのです!


 どうぞ主イエス・キリストの豊かな「臨在」と、 父なる神の素晴らしい「栄光」の覆いが、今の「終わりの時」に生きる私たちに対して、聖霊様の働きを通して、豊かに臨み溢れ出ますよう、主イエス・キリストの聖名で、祝福してお祈りします。アーメン!(2024年6月16日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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