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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Thanksgiving(No.2)

                   主なる神の第二の感謝



神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
                                                                                                            【創世記1章9~10節】


主なる神の「創造」の法則
 主なる神の「創造」のプロセスには、全てに渡ってある法則(四つの手順)があります。先ず①ご自身が発せられる「命の言葉」をもって、具体的な創造の御業を命じます。今回の場合であるなら、「空の下にある水(水蒸気を多く含む大気圏)よ、・・・・しなさい!」と。第二に②命じられた言葉通りに、何かが必ず現われ出ます。第三に③その現われ出たものに対して、具体的な名称を名付けます。まるでそれは、私たち各々の人格を区別する如くに、神は創造物全てに命名しているのです。そして最後に④ご自分の為された創造のプロセス(流れ)を見て、満足(感謝の意を表すこと)されるのです。


 実はこの神の創造の法則通りに、私たちの信仰の法則においても、主なる神と同様の行動をしなければ、真実の感謝が出てきません。しかし、私たち人は主なる神と違って、神の視点で物事を瞬時に、そして明確に捉えることが出来ない霊的弱さがあります。ではどうすれば、最終的に神と同レベルの「感謝」を捧げ得るのでしょうか?つまり今回の創造において、具体的に主なる神は①何を命じ、②どのように現れ出て、③どう名付けられ、最終的に④その全ての中にある、何(中身)を御覧になられて、第二の感謝を捧げられたのか?を、私たちは霊的に学ぶ必要があります。


一つ所に集まれ!
 先ず主なる神は、具体的に「何」を命じたのでしょうか?それは宇宙の中に漂う、只の塊に過ぎない「地球」の、とりわけ地球を覆う大気圏の中にある、一つの水(水蒸気)のフィールド層に向けて、「水よ、一つ所に集まれ!」と命じられました。主なる神にとって「今の状態(有様)」は、完成に向けての「もっと更に!」という思い(御心)から、全てをご覧になられています。それはご自身が前もって計画されている、「永遠性」の中で創造するべく、今回も「水」を司る聖霊様に直接命じた訳です。


 ところでこの時、「一つ所に集まれ!」と命じられた側、つまり水(水蒸気)のフィールド層は、如何なる「思い」を抱いたのでしょうか?例えば「え!その集まる場所とは何処ですか?」などと。私たちも「一つ所」と命じられても、その「場所」が理解できません。しかし「水」は分かったのです。何故なら聖霊様が働かれる時には、主なる神が定めたポジションを、聖霊自らが明確に教え示して下さるからです。つまり「ここ(あそこでは無い)!」と定める場所が必ずあるのです。


 その結果「ここ!」と示される場所へと、「水」が一気に集合しました。その様は推測ですが、大量の溶岩が溢れ流れ出る吹き溜まりに向けて、「水」がナイアガラ瀑布の如くに、絶え間なく降り注ぐシーンです。すると固まり始めた溶岩のフィールド上を、更に熱き溶岩流が拡散しながら、その固まった地が流動的に「水(降り注がれた熱水)」を押し分け、遂に「あるフィールド(固まった物質)」が誕生しました。


 その一部始終を御覧になられて、主なる神は二つに分かれたフィールドが、明確に現われ出たことを確認します。しかし二つのフィールドは、この時点では未だ命名されていません。その後主なる神は、水のフィールド(降り注がれた熱水)を「海」、そして固まった溶岩のフィールドを「陸」と呼びました。


 この二つの明確なフィールドを、ご自分の意図した創造のプロセス通りに、始まった(創始した)ことを一つ一つ確認して、神は「何か」を感じ取ったのです。私たちの三次元的判断では、確認できない神の創造の「法則」が、未だ宇宙(地球も含む)には無尽蔵にあります。例えば地球の気候変動において、「台風」や「竜巻」が発生するメカニズムは、断片(表面)的なものしか捉えていません。


「神の秩序」を喜ぶ
 しかし神ご自身は、それら「全て」をご存知です。つまり主なる神の創造の「法則」では、今回の「陸」と「海」に対して、「光」を投入することで、神の「秩序」が色々な様相で出現しました。ではその「秩序」とは、如何なるものでしょうか?「光」によって温まれた陸と海は、それぞれが分岐した気流(暖気と冷気)を生み出し、その対流現象がバランスよく世界を覆う(流れる)という、人知を超えた神の支配です。


 ですから主なる神が、今回の創造の中で感じ取った、一番の「喜び(感謝)」は、ご自身が発せられて二つに分かれたフィールド、つまり「陸」と「海」の中に、明確な神の「秩序」が存在し、その「秩序」故に驚くべき気流(見えざるフィールド)が動いて(生きて)いる!ことでした。例えば、私たちが神の麗しい「秩序」の中に入りますと、渇いたところ(私たちの霊)に必ず「命の水」が注がれ、そして天に向かってその「命の水」が、今度は真実の礼拝となって昇るという、聖霊様による霊的循環が始まります。


 ところが渇いても干からびる場合、これは私たちの「罪」故に起きる、まさしく「神の秩序」に反する状態です。私たちが霊的に飢え渇いて、主なる神の「御心」を求めているのであれば、今日の世界の霊的状況が、如何なる方向に、つまり悪しきサタンの秩序(支配)の中に、益々奴隷化していることに気付き、私たちは危機感をもって、この状態を霊的に執り成し、祈り戦い続けなければなりません!


 そうです!主なる神は、今回ご自分が創造したもの(陸と海)の中に、明確な「神の秩序」が二つあることを確認しました。それは第一に麗しい「調和(ハーモニー)」と、第二に互いに循環し合う(共に生かし合う、共に建て上げる)、聖なる「バランス」のことです。そして「この二つのフィールドの中に、私が思い描いている素晴らしい作品(創造物)を、いよいよ生み出すことが出来る!」と確信し、「感謝(良し!)」の言葉を述べられたのです。


 覚えて戴きたいことは、人が「神の秩序」を無視しているから、「罪」を犯し続けるのです。逆に私たちが、「神の秩序」を常に考えて生きるのであれば、私たちの中にある「罪」を示され、私たちは謙虚に「神の秩序」に服することが出来ます。御言葉の中に、「時が良くても悪くても、神の種を蒔き続けなさい!」という有名な文言がありますが、私たちの頭(三次元的判断)で考える限り、中々この御言葉通りに実行できません。


 即ち、私たちの考える「良き時」・「悪しき時」と、神が示す「良き時」・「悪しき時」とでは、その存在する次元が違います。つまり私たちが「悪しき時」と思っていることが、神にとっては全く別の次元、つまり「良き時」として存在しているです。神にとっては全ての時が、ご自身の麗しい「秩序」が完成されるための、一つのプロセス(通過点)として「良き時」なのです。


 そうです!私たちはパウロの如くに、霊的「棘(悪しきもの)」をも、「あなたの恵みを十分に注いで下さるべく、そしてあなたの奥深い愛を更に知るべく、これらの棘が与えれていることを感謝します!棘が時々痛むことをも感謝します。」と告白することで、この「神の秩序」が見出されるのではないでしょうか。


何事にも時があり、天の下の出来事には全て定められた時がある。・・・・神は全てを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでも尚、神の為さる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。
                                                                                                     【伝道者の書3章1~11節】


 世界一の「知恵者」ソロモンが見出した真理、それが全ての時の中に「神の秩序」があるということです。ご存知のように、「最初の人(アダム)」が犯した罪が故に、私たちは「神の秩序」を無視し、その結果相反する時の次元の中で、霊的に苦しんでいます。ところが、それと同時に私たちの「霊」には、真の神を求めて止まない、また永遠性を慕い求める飢え渇きを、主なる神は与えて下さっているのです。


 聖霊様は、「人の時」の中で様々に苦しむ私たちに対して、次のように導いて下さいます。「人の次元を見るのではなく、先ずは命の言葉を宣言しなさい。あなたが悪しきと写る(思っている)、そのフィールド(事象、時、対象物、人)に対して、イエス・キリストの御名により、ただちに神の秩序よ現われ出よ!と命じなさい。」


 すると「何か」が起き始めます。暫くは「何」も見えてきません。しかし神の「命の言葉」を吐き続ける限り、私たちの肉なる思い(三次元的覆い)が徐々に取り除かれ、神の霊の次元にある麗しいフィールドが、霊の眼によって見えてきます。その瞬間に、私たちは神の御前に跪き、「主よ、私の中にある肉の次元を、イエス・キリストの贖いの御名により、取り除いて下さったことを感謝します!悪しきと思えていたこの次元の中に、あなたの創造した、新しい神の秩序を更に見せて下さい!」と、霊的な言葉をもって神を褒め称えるようになります。


 そうです!あなたの唇には主なる神と同じく、「命の言葉」をもって新しい、そして麗しい神の次元を呼び起こすことの出来る、そしてそれをもって解放することの出来る言葉、即ち捕われ人には赦免を、傷ついた者には癒しを与えることの出来る、神の豊かな御国の力を解き放つ、「命の言葉」が与えられているのです。ですから感謝し続けるのです。是非「命の言葉」を宣言しましょう。


 何故なら私たちの前(行く手)には、多くの捕われ人が存在します。「感謝」という霊的剣をもって、彼らの霊的縄目を断ち切って参りましょう。まさしく彼らには、あなたの語る神の「命の言葉(秩序)」が必要です!先ずは彼らを解き放ち、霊的にケアし、最終的に立ち直らせ、本来の麗しい人格者(神のもの)へとサポートする、その霊的務めが「あなた(私)」に課せられています。


 父なる神の永遠の愛と恵み(慈しみ)、また主イエス・キリストの豊かな「親しい交わり」が、あなたの捧げる礼拝と祈りの中に、聖霊様を通して豊かに現われ出ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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