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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Faith(No.29)

          二つの「ラブコール」




四十歳になった時、モーセは・・・・(イスラエルの子ら)の一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し・・・・仇を打ったのです。・・・・しかし、(イスラエルの子から)理解してくれませんでした。・・・・モーセは・・・・逃げ出し、そして、ミディアン地方に身を寄せている間に・・・・四十年経った時、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で・・・・主の声が聞こえました。「私はあなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。・・・・履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。私は、エジプトに居る私の民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救う為に降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。」人々が・・・・拒んだこのモーセを、神は・・・・指導者また解放者としてお遣わしなったのです。
                                               【使徒行伝7章23~35節】


モーセの「失敗」
 今回の記事には、モーセが「プリンス(王族)」という立場から、「逃亡者」という身分に落ち、その後40年という長き年月を経て、如何なる人物になって行くのか?この点について、ステパノは重要なメッセ-ジを、今に生きる私たちにも、聖霊を通して投げかけています。私たちは現実的には「皇族」でも、身分高き「貴族」でもありませんが、主なる神の側から見れば、「神の国」の王族であり、イエス・キリストを長子とする、「神の家族」の重要な一員です!


 しかし悪魔サタンは、真のキリスト者に与えられている、この霊的アイデンティティ(身分)を、私たちが信仰をもって目覚めることを妨害します。実は今回のモーセの生き様(行動)には、私たちが聖霊様を通して、彼同様に取扱われる(訓練される)など、私たちが霊的に学ぶ(見倣う)べき要素が示されています。


 今回の記事から学ぶべき重要ポイントは、私たちの「霊」には、常に呼びかけて来る、二つの「声(ラブコール)」がある!という点です。そして私たちは、その二つの声に対して、魂(感情)的に取り込む可能性があることです。つまり私たちが「肉」の思いから、二つの声を安易に聞き分けてしまう時、私たちはモーセ同様に、霊的に失敗する(ミスを犯す)のです。


 ではモーセは、如何なる失敗を押したのでしょうか?本来であるならば、モーセの立ち位置(身分)は、エジプトの法を遵守する(尊ぶ)、模範的なリーダーであるべきです。しかしある時、彼は自分の法的立場を忘れる程の、堪え難き事件に遭遇した為、彼はエジプト法を逸脱し、不可抗力とは言え、殺人を犯すことになりました。その時から、彼は指名手配犯となり、エジプトから逃亡する身分に落ちました。


二つの「ラブコール」
 さて、「二つの声」とは如何なるものでしょうか?第一の声が、この時のモーセの失敗に見られる、私たちの心の内側から、いつも感情的に聞こえて来る「魂(肉)の声」です。これは霊的には、「この世(エジプト)」から生じる、ラブコールの如きものです。私たちは「この世」に生きている以上、世的な「思い」をもって、また人間的な「憶測」や「詮索」などを、頻繁に繰り返すところが多々あります。決して「この世」と調子を合わせなくても、「この世」との関係を、感情的に忖度する弱さがあることも事実です。


 「その時」に私たちの「魂的なもの」が、次第に敏感になる為に、ある声が下から聞こえて来ます。それが「この世」からのラブコールです。実際にはサタンが、私たちの「魂」に囁くものです。「あなたには素晴らしいものがあります。世において認められる程の、素晴らしい才能に恵まれているから、それをもって、神に栄光を現わしてみたらどうですか?」などと。


 それに対して第二の声が、私たちの「魂」にではなく、「霊」の領域に向かって、か細く投げかけてきます。そして第二の声は、必ず天(上)より聞こえてくるもので、その「真のラブコール」の発信者は聖霊様です。聖霊様は、私たちの「願い」や「思い」、また「望み」や「欲求」などを超える次元の中で、主なる神の「御心」と結び合されることを、いつも霊的に呻きながら働きかける時に、必ず「上」よりのラブコールを届けて下さいます。「いや違う!あなたが立つべきポジションは、神の聖なる領域であり、そこに立って、静かに神の臨在を仰ぎ求め、神があなたに何をしようとしておられるのか?をひたすら待ち、神の声が聞こえたら、その御声に聞き従うことが肝心です!」と。


 ところでサタンは、世に向けて宣教活動を開始される、直前のイエス・キリスト、つまり荒野(砂漠)に導かれ、聖霊様に訓練されているイエス・キリストに対して、如何なるラブコールを発したでしょうか?「神の御子であり、貴いご身分である方よ、お腹すいただろう?」と、先ずは彼をねぎらう声でした。実は、この甘い「囁き」は、「エデンの園」に暮らしていた、エバに投げかけたものと同じです。サタンは続いて「あなたの空腹は、痛いほど分かるよ。どうだろう、あの石ころ見てごらん!パンに見えないかな?あなただったら神の力を使って、一つ命じてごらん。パンになれ!と。」


 「この世」からのラブコールは、確かに砂漠(荒れ野)の如き、悲観的に見える「現実」に対して、先ずは神の「奇跡」を願う、それが魂的なものと分かっていても、「この世」と妥協するのが、私たちの「弱さ」です。しかし聖霊様は、イエス・キリストに対して「否!あなたは大事なことを、今思い出すべきである。聞き従うことこそ、全ての生贄に優るのです。神の声を先ず聞く、神の声を聞くこと無しには、何も為し得ない(始まらない)ことを、いつも覚えるべきです。神が直接あなたに語りかける、一つ一つの命の言葉によって初めて、あなたは生きることが可能です!」と、か細い声で叱咤激励します。


 当然モーセに対しても、この二つの声が聞こえてきました。先ず「私が今立って、自分が持つ力(エジプト的権力)をもって、同胞(イスラエル人)を苦難から救済するのだ!」と、第一の声に従いました。そしてある時、実際に行動に移りました。しかし結果は、同胞から「疫病神」扱いされ、失意のうちに荒野に逃亡することになりました。しかしこの時から、40年間という神の「取扱い」が始まったのです。


聖霊様の「ラブコール」に聞き従う時
 結論になりますが、モーセは40年を経て、ある時「燃える柴」の中から、神の語りかけ(第二のラブコール)を直接聞きました。神はこの時、先ずモーセに対して「あなたの靴を脱ぎなさい!」と命じられ、続いて「あなたの立っている所は、聖なる場所だから。」と、モーセに対して諭しました。


 その瞬間、モーセは急いで靴を脱ぎました。そして「主よ、何でしょうか?どうぞ正しいラブコールを、このしもべに語って下さい。あなたの聖なる場所に座して、私は聞き従います。」と、謙虚に膝を屈めたのです。すると主なる神は「モーセよ、私はいよいよ、あなたをエジプトに遣わす!今度エジプトに行くと時には、あなたは魂的に何もする必要が無い。イスラエルの民に、私が大いなる事を起こす時、私はあなたをイスラエルの救済者、指導者、解放者とする。」と、預言的な言葉(勅令)を授けました。


 聖霊様は、あなた(私)に対しても、神の言葉(真実のラブコール)を発信しています。「あなたの立っている所は何処ですか?」と。私たちが、世からのラブコールを聞いている間は、私たちは「この世」に重心(自分の足)を置いています。しかし聖霊様が、私たちに対して呻きをもって語り、私たちがその御声に耳を傾ける時、私たちは「この世」から離れて、ある方向(立つべき正しい場所)を目指して歩むことになります。


 その場所とは、主なる神が用意される「聖なる場所」です。そこにおいては、自分が履いていた靴(世を渡り歩いてきた人間的なもの)は、もはや必要ありません!神が与えて下さる、麗しい履物(聖なるサンダル)を履いて、私たちは神の御前に座すだけでよいのです。「この世」に頼って生きる人々は、私たちキリスト者のことを、「少数派(弱小集団)」と言って見下します。しかし聖霊様が、私たちを「この世」から選び召し出し、真の「キリストの兵士」として訓練する時、この時のステパノのように、自分の命を懸けてまで、神の御言葉を大胆に伝える、神の「精鋭使徒(最強のキリストの証人)」となるのです!


 覚えて戴きたいことは、聖霊様を通して私たちに与えられる、「神の国」を説き明かす「言葉(唇)」の賜物には、悪魔サタンが震えおののく程の、偉大なる「天の力」が注がれていることです。しかし「その時」、私たちが「魂的な思い」から、神の言葉を語ったとしても、何も起こりません。聖霊様は一言、私たちの「霊」に命じます。イエス・キリストの「ラブコール(真実の声)」を土台として、彼らに直接命じるのです。「イエス・キリストの聖なる御名により、この世から贖われ出なさい!聖なる場所に帰って来なさい!」と。


 聖霊様は今の「終わりの時」、必死になって主なる神の「御思い」を、真実のラブコールとして、必ずあなたに日々届けて下さいます。これが神の偉大なる「召集」です。どうぞあなたが、神の偉大なる「召集」に対して、瞬時に聞き従うことの出来る、神との親しい「交わり」の時が、朝起きた時から、夜眠る時に至るまで、豊かに備えられますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年10月8日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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