バルナバ・ブログ村診療所

命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

正しい生き方(No.35)

          生きる真(まこと)の理由




主は命を絶ち、また命を与え、陰府(よみ)に下し、また引き上げて下さる。
                                               【Ⅰサムエル記2章6節】


正しい生き方となる「霊的方向性」
 今回のハンナの「祈り」は、私たちキリスト者に対して、正しい生き方を示す、その霊的方向性を教えています。とかく私たちは、様々な「災い」や「トラブル」等が、連鎖的に続いて起きますと、誤った世的な方向性に、自分の生き方が傾倒して行く危険性があります。


 私たちは、悪魔サタンに騙されてはなりません!私たちが為すべき「祈り」の方向性は、その「災い」や「トラブル」等が、直ちに解決されることを求める、それも大事なポイントですが、本来為すべき「祈り」の焦点は、真実なる神の「御心」であり、具体的には聖書から示される、①「命の言葉」と②神の「預言」の言葉です!


 しかし多くのキリスト者たちが、悪魔サタンに騙されて、世的な「情報」ばかりに、自分の関心を向けさせて、正しい霊的「的(神の御心)」から逸らしています。私たちが本来見るべき方向性は、聖書の中に多く記されている、神の「真実(命の言葉)」だけです。


 さて、この神の「真実」は「今の時」に、果たして何処に向っているのでしょうか?悪魔サタンは、様々に世的な「演出」を繰り広げることで、多くの人々を「恐怖」の世界に向けさせています。しかし再度繰り返しますが、私たちが見るべき方向性は、今回のハンナの「祈り」の告白にありますように、「生きる」にしても「死ぬ」にしても、私たちの「生死」を握っておられる方、神ご自身だけです。そうです!主なる神のみが、人を「死」の世界(陰府)に導いたり、人に「新しい命」を与えて下さるのです。


 と言うことは、神の「ご計画」や、その偉大なる「御業」は、私たちが見ている三次元(物理)的な次元には無く、麗しい神の霊的次元の中へと、私たちを常に引き上げる為にあります。このように捉えて参りますと、私たち人類は太古の時代から、今の時代に至るまで、世的な次元の中で「愚かな事」ばかり、「罪」故に繰り返していると言えます。その根源は、悪魔サタンの「計画(謀略)」を受け入れて、愚かな偶像礼拝に明け暮れることにあります。


 神の「御心」を、正しく知ろうと思うのであれば、それは「聖書」が常に示す、単純な神の「契約」の教え(内容)にあります。主なる神の「御心(ご命令)」に従いさえすれば、神はいくらでも良き「御業」を、ご自身を求める者に対して、惜しみなく与え続けて下さいます。ところが、この「アブラハム契約」の祝福を、何度も何度も真実の神は、教え示してさっているにも関わらず、殆どの人がそれを拒み、この世の次元へと傾倒している、つまり悪しき「生き方」に切り換えている訳です。ここに人類の、愚かな歴史が繰り返されています。


「不動の信仰」で生きる
 今回のハンナの「祈り」から、私たちが正しく捉えるべき重要ポイントは、「命の尊厳」が何となく、希薄化している時代の中にあって、私たちキリスト者は、如何なる「生き方」を為すべきか?という点です。ここで言う「生き方」とは、たとえ死んだとしても、神の麗しい次元にあって初めて、自分が生かされている者として、悪魔サタンの餌食になる事は決して無い!という、「不動の信仰」をベースとする生き方です。


 ハンナは「不動の信仰」を得ました。初子サムエルを自分の「胎」の中に宿し、出産して育て上げた数年の後(三歳頃)に、幼子を「神の宮」に献上した時からです。神に「献げる(捧げる)」ことは、霊的な「死」を意味します。ハンナは母親である前に、一人の礼拝者として「初子は神のものである!」ことを熟知していました。覚えて戴きたいことは、私たちの「命」にしても、一本一本の髪の毛の全てが、神が与えて下さるもの、つまり本来は「神のもの」です。それ故に、私たちの「霊」が帰るべき場所は、神の住まう「御国」です。


 ハンナは明確に告白しています。神の次元に生きる者と、世の次元に生きる者は、相反する対照的な生き方をする!と。世の次元に生きる者は、やはり「この世」で起きる、様々な「現実」しか捉えられない為、恐れ続ける生き方を選択します。そして様々な「恐れ」を克服すべく、肉なる「業(努力)」を一生懸命に駆り立てながら、自分なりの幸福を追求します。


 しかし主なる神に従う者、つまり神の次元に頼って生きる者は、生きようが死のうが、神の「ご計画」の中にあって必ず意味がある!と信じ続けます。ハンナは「死」というものも、必ず「生(正しい命)」へと回復して下さる方、即ち「真実の神」の次元へと、自分の「生き方」を霊的に切り替えました。


 神の次元に生きる者は、「死」から「命」へと、再び新しい「命」を与えて下さる、真実の神に「希望」を置きます。ハンナは「生きる」ことに、神の「ご計画」があり、だからと言って「死ぬ」ことには、神の「ご計画」が無いのではなく、「死」を超越した次元の中で、「新しい命」を与えるべく、「死」を正しく取扱われる!と、このように神に信頼する、正しい生き方を選択します。


 確かに「死」は物理的に、力(エネルギー)の「終わり」を意味します。しかし霊的には、「死」は「新しい命」への扉となるものです。かつて日本の江戸時代初期において、多くのキリシタンが殉教しました。彼らは一体、何を望んで死んでいったのでしょうか?彼らは「死」の先にある、神の次元を常に求めていました。そうです!たとえ死んだとしても、「新しい命」が得られることを望みつつ、「死」の扉を大胆に開いたのです。


求めるべき「正しい焦点」
 再度繰り返しますが、「この世」の様々なニュース(情報)よりも、「聖書」の中に記されている、正しい「情報(神の言葉)」を追い求めて下さい!「聖書」の神の言葉が、何に焦点を当てながら、神の歴史を正確に刻んでいるのか?この視点が重要となります。その中心的「焦点」は、イスラエルの「動き」です。そうです!イスラエルの「動き」を正しく捉えることで、主なる神が次に何を準備され、そして最終的に主なる神が全ての民を、如何ように審判されるのか?が分かります。即ち永遠の「死(滅び)」が支配する地獄に落ちるのか、それとも主なる神との「交わり」が、永遠に備えられている「神の国」に入るのか。


 主なる神は、この二つの「永遠の次元」しか用意していません。中間の世界は存在しません。ですから今後、イスラエルに何が起きるのか?非常に注意深く見守る必要があります。特にロシアとイラン、そしてトルコが連動しながら、イスラエルに向けて、何らかの「動き」を画策し始めたら、預言通りに「事」が進んでいることを察知して下さい。


 ですから私たちは、正しい「思い(飢え渇き)」をもって、聖書を毎日読み進めて下さい!だからと言って、今から何が起きるのか?を知る為に、聖書の「預言」を探るのではなく、私たちが今、如何なる時代に生かされ、そして来たるべき時には、神の「栄光」の為に死ぬことを厭わない、つまり殉教の迫害を恐れずに、神の「福音」を伝える務めにあずかる、その為に「聖書」の御言葉から、神の「知恵」を備蓄するのです。そのような「終わり」の時代に、私たちは生きているからです。


 「この世」の次元に生きる、様々な「長(政治指導者、財界有力者)」たちは、今後何を言い出すのでしょうか?恐らく三次元的予測から、「エネルギー不足」や「食料危機」の不安を煽って、国民に対して「忍耐(辛抱)」を要求し、例えば「皆で助け合いながら、今の危機を共に乗り越えてましょう!」という、一時的な見せかけ(政策、計画経済)をもって、「平和」「共存」などのスピーチをするでしょう。


 しかし私たちキリスト者は、そのような「三次元(この世)」に生きる者ではありません。ハンナと同様に、「生きる」にしても「死ぬ」にしても、主なる神のためにあります!「私たちの中には、誰一人自分の為に生きる人は無く、誰一人自分の為に死ぬ人もいません。私たちは生きるとすれば主の為に生き、死ぬとすれば主の為に死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きてる人にも主となられる為です。」(ローマ署14章7~9節)


 これが私たちの生きる、真(まこと)の理由です!多くの人々が「この世」の次元の中で、正しく生きる方向性が定まらないまま、彷徨って生きております。そして「恐れ」の悪霊に縛られ、相も変わらず当てにもならない薬を打ち続け、そして「戦争」や「災害」の恐怖に怯えています。そんな中私たちキリスト者は、今後どのように生き、「死」を覚悟しながら生きて行くべきでしょうか?


 私たちは主なる神の、大いなる「救い」を現す、一粒の「種」として「この世」に種蒔かれた者です。これから来る、「後の雨」の大収穫の時に、私たちが熱心に祈り求めるべき方向性は、ハンナの「祈り」にあります。「生きる」にしても「死ぬ」にしても、神が「あなた(私)」を「有用な器」として、必ず用いて下さいます。そして「あなた(私)」を通して、多くの「魂」が刈り取られて行く!という、素晴らしい神の次元の中において、「聖書」を更に奥深く読み進めて下さい!


 そうすれば主なる神が、日々与えられる「聖書」の言葉から、また日々捧げるイエス・キリストとの、個人的な「交わり」を通して、神の「救い」のデザインを、必ず惜しみなく示して下さいます。これを期待して下さい。


 あなたが更に聖霊様を通して、研ぎ澄まされた霊的感性と、霊的洞察力をもって聖書を読み解き、イエス・キリストの言葉(福音)を、神の「大使」として、大胆に宣べ伝えることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

英語版(エステル処方)は以下から! 


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する