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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

正しい生き方(No.37)

         信仰による勝利の方程式




主の慈しみに生きる者の足を主は守り、主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。人は力によって勝つのではない。
                                             【Ⅰサムエル記2章9節】


この世の「勝利」の方程式
 ご存じのように「今」の時代は、不穏な「動き」が、世界各地で増加していると言えます。その中において、日本国の立ち位置が、如何なる「動き」をするのか、非常に舵取りが難しい、それが「今の時」です。もしかしたら、否が応でも「争い(戦さ)」に巻き込まれる、そんな危険な時代だからです。


 私たちの「現実」には、小さな「争い(戦さ)」から、大きな「争い(戦さ)」に至るまで、常に競争し合って、自分は負けたくない!つまり必ず勝利するべく、様々に尽力します。しかし賢者は、物事の「勝敗」にこだわらず、さっさと「負け」を演じて、「争い(戦さ)」から避ける(逃げる)ことに、「知恵」を働かせます。


 この世が提供する「勝利」の方程式は、国家レベルにおいては、「覇権」を拡大したり、国家としての「威信」を謀るなど、国家としての「威力」を見せようとします。また経済レベルにおいては、例えばエネルギー資源を巡る様々な交渉、また国家として保有する財力増強など、経済的覇権を拡大しようとします。


 では個人レベルにおいては、如何なる「勝利」の方程式に則るのでしょうか?真っ先に思い浮かぶのは、例えば偏差値などに見られる、頭脳による競争原理、或いは仕事における成果主義(出来具合)など、愚かな「血肉」の戦いに明け暮れます。


 そのような世界の中で、私たちは必ずと言って良いほど、好むと好まざるに関わらず、様々な「争い(戦さ)」に巻き込まれる訳ですが、私たちはサタンの「罠」に、霊的にも物理的にも陥ってはなりません!むしろ、聖霊様の「導き」に従って、世的な「争い(戦さ)」から逃げましょう!つまり、あえて勝つ必要はありません。覚えて戴きたいことは、この世の「勝利」の方程式は、一時的に勝利しても、最終的には「破壊」と「滅び」を招き、そして永遠の「絶望(暗闇)」に至るということです。


ハンナが戴いた「勝利」の方程式
 ハンナも最初の頃、この世の「争い(戦さ)」に巻き込まれ、精神的にも霊的にも、ボロボロの状態に打ち負かされました。しかし夫エルカナの祈りにより、ある時から聖霊様の「導き」を通して、霊的な領域における、信仰による「勝利」の方程式を戴きます。そして「その時」から、ハンナの「祈り」が、神の次元へと引き上げられることで、敵と思っていたペニナに対する、血肉の戦いを放棄し、真の敵であるサタンに対して、霊的な戦いを挑むことで、遂には神の「勝利」を戴いたのです。


 ハンナが最終的に、「祈り」の中で宣言した今回の表明は、結論として「人は己の力によって勝つのではない!」と断言しています。ハンナが明言する「勝つ(triumph)」とは、他の「victory」や「win」などの勝利を意味する言葉と、次元的に意味が異なります。「triumph」は、長い戦いの末に、ようやく手にした(果たした)成功や結実のことです。つまりハンナが手にした「勝利」は、この世の「勝ち負け」には無い、神からのものである!という点です。


 主なる神の「慈しみ」に生きる者は、神の為される様々な取扱いを通して、必ずその「歩み」を守って下さる、つまり主役(神)の側に「勝利」が約束されている!と、ハンナは確信しました。そうです!主なる神に対して、全き信頼をもって歩む者は、神の「勝利」の方程式の中に、自分の全てを委ねることで、たとえ「今の時」が、もう少しで負けるかも知れないなど、最悪の状況下にあっても、神の「勝利」を確信できるのです。


 ところが愚か者の場合は、逆に自分の「肉の力」を頼みとする為に、一生懸命に漕げば漕ぐ程、また走れば走る程、一時的に「勝利」を掴み取ることが出来ますが、最終的には「暗闇」の深みに溺れることになります。ハンナが明言する「暗闇」とは、十分あるにも関わらず、常に「無くなるかも知れない・・・・」などの、先に対する「不安」と「恐れ」の世界です。今日の日本は、何らかの宗教を信じるなど、信仰を持つ人々もいますが、殆どが「拝金教」という、「お金(財力、資産)」さえあれば、何とか自力で生きることが出来る!と、信じる人々が増加しています。しかしこれは、サタンが巧妙に仕掛ける「罠」であって、多くの人々が騙されています。


 ハンナは「愚か者」の行き着くゴールを、最終的に「暗闇」の中で消滅する!と述べています。暗闇の中で光る、ろうそくの「燈心」が無くなった時に、光が暗闇に呑み込まれて行く、それが愚か者が繰り広げる「勝負」の世界です。ハンナも当初、自分の「肉の力」を頼みとして、一生懸命に頑張りました。ところが自分の「肉の力」を頼みとする者は、仮に何人かの子供を授かったとしても、「争い事」が絶えないことに気付き、ある時から霊の次元に、その「戦い」を委ねました。そして神による、永遠の「勝利」の次元に生きることを、信仰で選択したのです。


信仰によって勝利する
 ご存じのように私たちは、神から多くの賜物を戴いています。その中で最大の賜物は、やはり「イエス・キリスト」という「救い主」です。これ程、偉大なる賜物はありません。それと同時に、私たちに与えられている、神からの優れた霊的な賜物は、イエス・キリストによる「信仰」です。私たちは、このイエスの「信仰」をもって、主なる神が備えて下さる「勝利の道」を、一歩一歩進み行くだけで、神は全ての事を相働きて益として下さるばかりか、私たちの足が絶対によろめくことが無きよう、常に守り支えて下さいます。


 今後日本ばかりでなく、世界中が「争乱」の大波に、必ず呑み飲み込まれて行きます。私たちは世界的な「争乱」の中にあって、「将来日本は、どうなって行くのだろう?」、「果たして経済は大丈夫だろうか?」などの「心配」が付きまとうでしょう。しかし私たちは、次の「神の事実」を知っています。枯れ果てたケリテ川のほとりで、一羽の烏を通して生き永らえた、エリヤの奇跡の体験です。当初は、イゼベルからの「暗殺(争い)」を避けて、ひたすら逃亡する生活でしたが、この時の奇跡体験を通して、彼は逆にイゼベルとの霊的「戦い」に臨む程の、強い信仰が神から与えられ、そして彼女に勝利したのです。


 昨日(2022年7月2日)、アメリカの人権弁護士リン・ウッド氏が、次のようなメッセージを、テレグラム上に発信しました。「主なる神は、御子イエス・キリストを信じる、聖霊に満たされた真のキリスト者を、レムナントとして用意しています。私たちは、神が三万人から三百人に減らした、ギデオンの時と同じ状況に導かれています。霊的な領域で戦うために、天の軍勢が加えられた時に必要なのは、僅か三百人だけで良いのです。ですから、私たちの救い主イエス・キリストによって、私たちが勝利するのに十分な存在は、私たちです。それ故にあなたの目、あなたの意識(心の思い)、また魂の全てをもって、イエスに信頼し続けましょう。聖霊は全ての状況において、私たちを導いて下さり、その言葉は真理であり、諸刃の剣よりも鋭いものです。エペソ書6章にあるように、神の武具を身に付け、戦いに臨みましょう。私たちは決して諦めません。神が勝利して下さいます。


 そうです!私たちの「戦い」は、血肉の次元にありません。霊的な「戦い」に召し出されて、その先にあるものは、私たち自身が「勝利」を掴む次元ではなく、イエス・キリストが歩まれるだけで、神の「勝利の道」が敷かれる、霊の次元にある「勝利」です。私たちが歩む、その先に待っているものは、イエス・キリストの真実だけです。


 この世は、様々に「争い」を演出します。様々な「不安」を煽りたてます。しかし私たちは、そんな低次元にあるものを見ません。私たちは真実の「命の言葉」、真の「命の源」なる方、イエス・キリストご自身を、激しい飢え渇きをもって慕い求め続けるのです。世的な「争い」に、仮にあなたが遭遇したとしたら、急いで逃げて下さい!イエスがあなたを、ご自身の元へと導いて下さる、最大のチャンスの時と捉えて下さい!


 本当の「勝利」を掴む者とは、神の「知恵」に満たされ、聖霊様の「御声」に真摯に対応できる、優れた洞察力を戴くべく、激しい飢え渇きをもって祈り続ける、賢い乙女(キリストの花嫁)です。あなたが、ギデオンの三百人として召し出され、聖い器(精鋭部隊)として整えられて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

英語版(エステル処方)は以下から! 


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