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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Thanksgiving(No.36)

                  天に居ます神に感謝せよ!




                                              天に居ます神に感謝せよ。
                                              慈しみはとこしえに。

                                                                       【詩篇136篇26節】


「感謝」の出所を知る
 日本語には「ありがとう!」、「おおきに!」、「どうも!」などの、感謝の表現が数多くありますが、「感謝します!」という表現は、日常会話の中に中々出て来ません。


 この「感謝」の表現は、何か「贈り物」を戴いた時や、思いもしない良きことが起きた時に、自然と出て来るものと、私たちは思っていますが、実はもっと奥深い概念が、この言葉の中には秘められています。


 以前紹介しましたが、古代ヘブル語の中にある、「アリガトゥ-」という言葉が、「感謝」の深い意味を表しています。この言葉は「私にとって今の様(現状、現実、出来事等)の全てが、とても幸せなものと感じています!」という意味です。


 イスラエル民族にとって、この言葉は「毎朝起きられること」、「自分の命が日々健やかであること」、これから始まる一日において「神の守りがあること」等、あらゆることに対する、神への「感謝」を表明することで、互いの会話の中に「感謝」を確認しているのです。


 今回の御言葉にある、「天に居ます神に感謝せよ」とは、全ての「恵み」や「収穫」の出所(源泉)が、「天」の主権者、即ち父なる神である!と結論づけています。さて私たちキリスト者は、イスラエルの民と同様に、全ての事に「感謝」の表明を、ストレ-トに為し得るでしょうか?この「天に居ます」という言葉の持つ、奥深い霊的意味を理解しなけば、実は「感謝」の言葉すら出て来ません。


 そこで、私たちが知るべき第一の奥義は、私たちは本来、何処から生まれ出ているのか?という点です。先ず私たちは、「この世」から生まれ出た者ではありません!肉体(物理)的には、確かに母親の胎から出生しましたが、私たちの「霊」は、父なる神の居ます「天」から出て、神との「永遠の愛」により産み出された者です!


 そうです!あなた(私)の「霊」は本来、父なる神の居ます「天」にあり、神の貴い「器」として創造された、麗しい「人(神の作品)」の形に生み出されているのです。この奥義が、私たちの生きる「意味(使命)」でもあります。


天の「故郷」に帰る
 次に、この「天」に居ます父なる神が、私たちのことを、どのように待っておられるのか?これが私たちが知るべき第二の奥義です。確かに私たちは、地上の住処という、朽ちる衣を着ている存在です。しかし、私たちの「霊」は、この地上のものを一切脱ぎ捨てて、朽ちざる「天の衣」を着たい!と、切望しながら生きています。


 例えば自分の「生まれ故郷(ふるさと)」は、それが遠かろうが近かろうが、その地に帰って父母・兄弟と親しく交わることで、今までの「苦労」や「辛い体験」等が、ふと忘れられる、癒される、慰められる、そんな良き場所です。


 同様に私たちは、絶えず「天」に居ます父なる神の御元へと、早く帰りたい!と望んでいます。「信仰の父」アブラハムの如くに、父なる神の懐に抱かれ、父が居ます豊かな御住まいの中で、家長であるイエス様に相まみえ、共に親しく交わること、これが私たちの「霊」の渇きです。また父なる神も、私たちの「帰り」を切望しながら、待ち続けておられるのです。


 この「天」こそが、私たちの霊的目標でなければ、私たちは真のキリスト者とは言えません。私たちは、いずれ「天」に帰還する神の民です。だから感謝するのです!今は、私たちは「世」にありし身ということで、未だ帰還することが出来ませんが、いずれ「その時」に帰還することを目標として、日々の恵みに対して「感謝」するのであれば、その先にあるのは、主なる神ご自身との再会です!


この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、遥かにそれを見て喜びの声を上げ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。・・・・もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかも知れません。ところが実際は、彼らは更に優った故郷、即ち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。
                                                                         【ヘブル書11章13~16節】


 アブラハムとサラに与えられた、神の「祝福」の中で一番に優れたもの、それは「神と共に生きる」べく、神の居ます「フィ-ルド」を求めた結果、遂にはそれを得たということです。彼らは神に願い出れば、地上のもの(地の富・財)を豊かに得ることで、少しばかりの「自分の地(フィ-ルド)」を求めて、故郷に帰還することも出来たのですが、それを欲しませんでした。


 愛する妻(サラ)に先立たれ、アブラハムも遂には、臨終の時を迎えるに当たり、最後の言葉(感謝の表明)を、公に言い表したことでしょう。「父よ、遂にあなたの身許に帰る時が来ました。私は今、この世の衣を脱ぎ捨てます。只今!と呼ばわる私に、どうか御声を発して下さい。お帰り!と。」と告白した瞬間、息を引き取りました。


 これからの時代、私たちは如何に生きて行ったらよいのか、明確に分からない、そんな目まぐるしい情勢の中に、私たちは日々生きています。悪魔サタンは、更に日本人に対して畳み掛けながら、如何にも「地の富・財」等が、最高の麗しさと見せかけます。またマモン(物質主義)という名の、霊的偶像を公に造り出すことで、私たちにも再び「世(エジプト)」に帰るよう、誘惑の手を差し伸べています。


 しかし私たちは、この地を彷徨いながらも、霊的なイスラエル人として、多くの失われた民を救い出し、神の民として共に「天」に帰還する、その大役が任じられているのです。ですから、私たちが悪魔サタンに対して、「否!」と対抗する信仰表明は只一つです。「天に居ます父なる神に対して、私は毎朝起きた時から、夜眠る時に至るまで、神の恵みの全てに感謝します!」と。


 あなたが天に居ます神に対して、真実の「感謝」の祈りを、絶えず捧げることが出来ますように!そうすることで、主なる神が常にあたなと共に居まし、あなたを更に高い霊的次元へと、聖霊様の導きにより引き上げて下さいます。そして最終的には、花婿なるイエス・キリストの居ます、天の故郷が常にあなたの信仰の歩みの、一歩「先」に必ず用意されることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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