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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Thanksgiving(No.26)

           深淵の水上に始まった創造の御業




                                                  大地を水の上に
                                             広げた方に感謝せよ。
                                             慈しみはとこしえに。

                                                                        【詩篇136篇6節】


天地創造の「原点(出発点) 」
 今回の御言葉を直訳すると、「主なる神は測ることの出来ない淵、その水の上に大地(地球)を建て上げた。神の永遠に続く慈しみ故に感謝を捧げよう。」となります。物理的に考えてみても、深い淵の水面上に、ビニールシ-トを広げることは出来ますが、何かの物体を建て上げることは、とても無理なことです。


 しかし創造主なる方にとっては、それは確実に為し得るものである!と、今回の御言葉は明言しています。勿論「詩篇136篇」の作者が、今回の御言葉を朗々と詠唱した時に、それは比喩形として告白(賛美)したものですが、聖霊様は明確に「命の言葉」の中に、「神の事実」を創造すべく働いておられます。


 聖霊様は、私たちが賛美を捧げる時に、天上から神の深い「御思い」、即ち私たちに対する、神の「永遠の愛」を示されます。その時に私たちは、物凄い霊的感動をもって、測り知ることの出来ない「神の愛」が、全ての大地を創造する際の、原点(出発点)になっていることに気付き、それ故に私たちは「感謝」の喜びを捧げるのです。


 天地(万物)を創造された主なる神が、私たちが「住まい(生活の場)」とする、この大地(地球)を造られるに当たり、その創造の方法(手順)が、創世記1章に明確に示されています。そして今回の創造の真髄、それは物理的な面よりも、霊的次元に関して言えば、主なる神の偽らざる「永遠の愛」が、天地創造の際にも現れ出ている!そのことに感謝せざるを得ないことを、聖霊様は示しているのです。


 何故ならば、「深い淵」が測り知れないフィ-ルドであるように、主なる神の「永遠の愛」は、私たちには推し量ることの出来ない、霊的次元に存在するからです。その神の「永遠の愛」が、私たち被造物全体を創造しているのです!


神の「設計図 」
 ある建物(構造物)を建築する際には、基本的な「設計図書」が必要となります。その構成は、主に①エリア(敷地の所在、面積)、②建築工法(建て方)、③予算の三つです。主なる神の「大地創造」の設計図書には、①深い淵をエリアとして定め、しかも②水上(安定感の無いフィ-ルド上)工法によることが記されています。そして③アルファ(創始者)でありオメガ(完成者)なる方は、必ず「無」から「有」を産み出すべく、その設計書と共に契約書上に、永遠の保証人(イエス・キリスト)の印を押しています。つまり予算は、尽きることが無い訳です。


 では何故、主なる神は「深淵の水」上というエリアに、大地を建て上げることを決断したのでしょうか?その理由は、そこが主なる神以外には、測ることの出来ないエリアだからです。さて私たちキリスト者は、そこ(深淵)において何を測り知るのでしょうか?


 それは主なる神の「愛」が、如何に測り知れない次元、即ち「深淵」の如きものであり、私たちが先ずそのことに気付き、少しずつであっても「知る」、いや聖霊様の働きを通して、着実に知らされることで、更に(もっと知りたい!と)奥深さの「度合」が増すのではないでしょうか!


 この主なる神の「愛」を示すフィ-ルド(エリア)が、まさしく「深淵の水」という表現(比喩)であり、それはイエス・キリストご自身を指しています。そうです!イエス・キリストの「永遠の愛」の上に、天地創造が建て上げられ(成り立って)ているのです。


 例えば私たちが、「この世」の限定的な次元のことを考えますと、そこには「浅いレベル(否定的観念)」しか生じません。しかし主なる神の、特にイエス・キリストの「永遠(無限)性」に思いを馳せますと、「マグダラやのマリヤ」や「殉教者ペテロ」の如くに、最後にはイエス・キリストの「愛」によって、人生が再創造されたことに、自分も更にイエス・キリストを知りたい!命を懸けて仕えたい!と、信仰的に(深いレベルで)益々掻き立てられるのではないでしょうか!


深淵の如きキリストの「愛」
・・・・御父から、天と地にある全ての家族が、その名を与えられています。どうか、御父が・・・・信仰によってあなた方の心の内にキリストを住まわせ、あなた方の愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者として下さるように。また・・・・キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれ程であるかを理解し、人の知識を遥かに超えるこの愛を知るようになり、そして遂には、神の満ち溢れる豊かさの全てにあずかり、それによって満たされるように。
                                                                                         【エペソ書3章14~19節】


 パウロは明確に、イエス・キリストの偉大なる「愛」に関して、「信仰によって・・・・愛にしっかりと立つ者として下さるように。また・・・・キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれ程であるかを理解し、人の知識を遥かに超えるこの愛を知るようになり、そして遂には、神の満ち溢れる豊かさの全てにあずかり、それによって満たされるように。」(17~19節)と説いています。


 パウロの言う、「愛にしっかりと立つ」の表現には、まさしく建築用語で使用する、「基礎」という語句が用いられています。と言うことは、イエス・キリストご自身が、設計図に書かれた基本エリア(敷地)であり、このイエス・キリストの「愛」という土台(基礎)の上に、私たちが建築構造材の如くに組み合わされ、建て上げられていくことが肝心です。


 確かに、イエス・キリストの「愛」という図面は、当初は測り知れないものです。しかし設計士なる方(聖霊様)が、実際に現場にて正しく指導(監督)し、各働き手たちに明確に図面をもって説明し始めますと、見えなかったものが立体化されていく中で、私たちもイエス・キリストとの「繋がり(組み合わされ)方」が、少しずつ理解できるようになります。


 ですから、私たちがイエス・キリストの、「永遠の愛」の領域(次元)を求めて行けば行く程、これは終わり無きものですから、もっと更に激しく飢え渇いて行く、そんな「深淵の水」の如き、霊的次元に入って行くことが可能になります。


 主なる神の「天地創造」の御業は、全てが御子イエス・キリストの、「永遠の愛」の上に形造られ、それは私たちに対する父なる神の、終わり無き「慈しみ(恵み)」を示すためにあるのです。そして私たちが、その「慈しみ(恵み)」を知れば知る程、イエス・キリストの御丈にまで造り変えられ、神の豊かな人格者へと仕立てられるのです。それ故に、私たちは「感謝」の生贄を、素直に捧げることができるのです!


 あなたが更に、イエス・キリストの「愛」を求め、「深淵の水」の如き「命の水」を、多くの人に流すことの出来る者でありますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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