バルナバ・ブログ村診療所

命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Thanksgiving(No.25)

                          天を造られる主




                                                        英知をもって
                                                   天を造られた方に
                                                          感謝せよ。
                                                慈しみはとこしえに。

                                                                            【詩篇136篇5節】


神の「英知(知恵)」
 今回の表現にある神の「英知(wisdom)」とは、人の持つ「知恵」とは異なります。先ず人の「知恵」は、各自が得て来た「知識」の集大成を基準とします。聖書は、この人の持つ「知恵」のことを、下(三次元)からの「知恵」と呼びます。


 しかし、この下からの「知恵」は、主なる神の霊的次元とは、全く懸け離れた所にありますから、神の「永遠(無限)性」には存在しません。元々は「下」から来たものですから、いずれは「下」に帰って行く、つまり有限的なものです。


 それに対して、主なる神が与えて下さる「知恵」は、私たちが得たくても得られない次元、即ち「永遠」の次元に存在するため、常に「上(天)」から降り注がれ、また「天」へと昇って行くもの、つまり永遠に循環しているものです。


 神の「知恵」は、何よりも優れた「創造」の御業を、次から次へと為して行きます。例えば神の「命の言葉」は、必ず「新しいもの(事)」を創造します。また「罪」ある者は、神の「救い」を受けると同時に、「新しい命」へと造り変えられ、その者は「新しい名」が天に記録されるのです!


新しい「創造」の発火点
 と言うことは、「新しい名」が記された私たちには、何か「重要な事」を為すべきことが、常に問われているのです。それは神の「知恵」を更に使用し、下の「知恵」に縛られている(依存している)、この世の人々を霊的に解き放っていくという、非常に重要な使命です。私たちの語る言葉に、神の「知恵」が触れますと、それは新しい「天地」を創造していく、神の「救い」の発火点となります!


 何故、詩篇の作者は、神の「知恵」によって、神ご自身が創造された「天地」を見て、私たちが感謝を捧げるように、霊的に導いているのでしょうか?神の「天地創造」は、一度限りのものではありません。詩篇の作者は、明確に記述しています。5節に記載されている「天」は、単数形ではなく「Heavens」という複数形です。


 これは、私たちの語る「新しい言葉」によって、神が如何様にも「新しい天(天蓋」を、霊的に創造して(覆って)下さることを物語っています。神の「命の言葉」は、私(あなた)の「命」を創造し、今も尚生かし続けています。それ故に私(あなた)は、神の「臨在」にひれ伏し、神の麗しい「御名」を讃え、神の「救い」を受け続ける限り、私(あなた)の前には「新しい天」が、約束として創造されてゆくのです!


 その「約束」とは、イエス・キリストの臨在の中に包まれることで、「新しい天」が私(あなた)のために用意され、次々と豊かに創造されることです。但し「条件」があります。それは「命の水」を無代価で与えて下さる、イエス・キリストを求める、即ち与えて下さる方(ご自身)を信じ、純粋に付き従って行くことです。


新しい「天地」創造の時
 「最初の天」は、神の祝福の「基い」として、アダム(エバ)に創造されました。しかし彼らが「罪」を犯した結果、「最初の天」の覆いは地上から遮断されます。それ故主なる神は、最終的に御子イエス・キリストを、地上に遣わし、「新しい天」を創造する「救い」の基いを、十字架上で完成されました。


 イエス・キリストと共に、十字架刑で処刑された二人の強盗の内、一人だけが明確に、この「新しい天」を受け取りました。その一番の要因が、「命の水(永遠の愛)」を、無代価(贖いの生贄)で与えて下さる、子羊(イエス・キリスト)を神の「御子」として信じ、自分の「命」を委ねたことに付きます。


 私たちは二人の強盗の内、いずれに当たるでしょうか?「あなただけが神の御子、私の救い主です!どうか、あなたの御名を信じる私の唇が、今告白いたします。今、私の元に来て下さい!そして、あなたの身許へと引き上げて下さい!私の罪を赦して下さい!」と、素直に告白できますように。


 さて、あなたにも「新しい天」が、聖霊様を通して用意されています。その「新しい天」の主役は、私(あなた)ではありません。そうです!イエス・キリストが、唯一の主役(救い主)です。あなたの「人生」の全てに、イエス・キリストが臨在する限り、そこが「新しい天」になるのです!


 また主なる神が、あなたの歩む全ての「道」に渡って、「命の言葉」を灯して下さる限り、その一歩一歩が「天」に至る、聖なる旅路に造り変えられます。如何なる事が起ころうとも、主イエス・キリストが救い主として、私(あなた)を必ず引き上げて下さいます。


私はまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海も無くなった。更に私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。その時、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。「・・・・神が人と共に住み、・・・・彼らの目の涙を、ことごとく拭い取って下さる。もはや死は無く、もはや悲しみも嘆きも苦労も無い。最初のものは過ぎ去ったからである。」すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、私は万物を新しくする」と言い、・・・・「事は成就した。私はアルファでありオメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価無しに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。私はその者の神になり、その者は私の子となる。
                                                                                                  【黙示録21章1~7節】


 「終りの時」に至りて、主なる神はいよいよ、純粋に信じて待つ「真の花嫁たち」の元に、真の花婿イエス・キリストを再臨させる、最大の出来事を起こそうとしておられます。


 と言うことは、私たちキリスト者が生きる、これからの「終りの時」に、実はイエス・キリストと同様に、新しい霊的次元を創造する務めが、私たちの語る唇に託されているのです。私たちが聖霊様を通して、「新しい言葉(霊的言語)」を語るのであれば、素晴らしことが次々と起きるのです!


 まさしく神の「新しい次元」が、信じる私たちキリスト者の、信仰の行動を通して、「終りの時」に創造されて行くのです。真の創造主、父なる神の栄光ある「新しい天地」の出現が、もうそこまで来ている!そんな時代に生かされていることを、私たちは歓喜の声を上げて、感謝しようではありませんか!


 あなたの唇から「賛美」の言葉が、絶えず豊かに溢れ出ますように。そしてあなたの信仰が、神の御名を絶えず麗しく讃える次元へと、まるで婚礼の時を「今か今か!」と待つ花嫁の如くに、更に整えられて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する