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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Thanksgiving(No.19)

                 神の「第二のリフォ-ム」




ヨセフは、兄弟たちに言った。・・・・「私はあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、私をここへ売ったことを悔んだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです。・・・・神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく神です。神が私を、・・・・エジプト全国を治める者として下さったのです。
                                                                                                           【創世記45章3~8節】


全てに優る神の「ご計画」
 今回の記事は、いよいよヨセフが、思いも寄らぬ出来事へと導かれていく、その数奇な人生の霊的プロセス(第二のリフォ-ム)に関することです。その「鍵」となる人物が、最愛の弟ベニヤミンでした。


 今回のスト-リ-において、私たちが第一に学ぶべきことは、人の「計画」に優る、神の「ご計画」に関することです。ヨセフは今回、本心としては「兄たちと再会したい!」とは望んでいませんでした。彼が常々再会したいと望んでいた人物は、父ヤコブと弟ベニヤミンの、二人だけだったからです。


 今回の出来事に関して、ヨセフが思っていた最初の「目論見」は、「自分を傷つけた兄たちを、一つ懲らしめてやろう!」などと願う、言わば「復讐劇」です。ところが聖霊様の「目論見」は、主なる神の「ご計画」通りに、事態を急変させることでした。


 ヨセフが予想していた兄たちの反応は、「この場しのぎ」の如くに、ひたすら「こ勘弁下さい!私どもの願いを、どうかお聞き入れになって下さい!」などと、自分たちの命請いのみを訴える、そんな惨めな姿でした。ところが事実としては、彼らは何と「自分たちの命を差し出しますから、父ヤコブと弟ベニヤミンの命だけは、どうぞお救い下さい!」と必死に懇願するものでした。


 それを聞いた瞬間、ヨセフの目論見の全てが、一気に瓦解したのです。そして主なる神が為された、この思いも寄らぬ展開と、兄たちに対する「恨み」と「復讐」という、過去の「心の傷」の全てが混じり合って、一気に嗚咽となって噴き出た訳です。


神の「第二のリフォ-ム」
 兄たちの中に始まった、神の霊的リフォ-ムを見て、ヨセフは太刀打ち出来ませんでした。即ち、主なる神の「贖い」の御業に対して、私たちは何も為し得なくなり、最終的には降参することになるのです。これが私たちが第二に学ぶべきことです。この神の「第二のリフォ-ム」が始まると、私たちは立ち尽くすことの出来ない、神の霊的次元の中に導かれ、遂には両手を挙げて降参するのです!


 気を取り直した後、ヨセフは彼らの前で頭を垂れ、「兄さん方、私です!そう、あなた方の弟のヨセフです。」と言いながら、遂に正体を明かしました。すると彼らは、一瞬度肝を抜かれましたが、「え-!」と驚愕したながら、まじまじとヨセフの顔を拝見しました。すると長男のユダが、真っ先に「ヨセフよ-!よくぞ生きていてくれた。申し訳なかった。許しておくれ」と言って、涙ながらに熱く抱擁し謝罪しました。


 すると目の前の兄たち全員が、次々と謝罪していくものですから、ヨセフは「いや違うんです、兄さんたち。私は今、はっきりと分かりました。」と、逆に兄たちに対して謝る形になりました。するとユダが「ヨセフよ、一体何が分かったと言うのか?」と問い質します。そこでヨセフは姿勢を正して、涙ながらに真実の自分を告白しました。


 「兄さん方、私は今まで、あなた方を責め続けてきました。奴隷としてエジプトに売った、あなた方を恨んできました。いつか復讐してやろう!と、その時を伺って生きてきました。しかし主なる神は、私自身を先にエジプトに遣わし、まさに今のこの時の為に、つまり皆様方の命を救う為に、私が初穂として導かれ、先に取扱われました。これら全てを為し給う方は、主なる神です!」


 それに対して彼らも「そうだよ、ヨセフ。私たちも罪の呵責に悩まされ、今の今まで苦しんできた。しかし今、あなたと再会して、やっと分かった。主なる神は、全てを相働かせて益として下さった。あなたが先にエジプトに行ったことを、神に感謝する。」と、次々と告白し始めました。


 そして最後にヨセフは、次のように締めくくりました。「あなた方残りの者を全て救うために。また神に従う者が、今後生き長らえることが出来るようにと、私のような傲慢な者を取扱い、この国を治める者として、神が直接私を選び召し出し、この国を正しい方向へと導いて下さっている。ですから兄さん方、共に主なる神に感謝しましょう!」と。


神の「救い」の初穂として・・・・
 そうです!実は私たちキリスト者も、命の「救い(贖い)」のために、主なる神から直々、選び召し出されているのです。私たちの「救い」は、単なる自分の「命」だけのものではありません。あなたが仮に、家族の中で最初のキリスト者(初穂)として救われたのなら、それは最終的に家族の全ての「救い」のために、神が直々選び召し出したことを意味します。


 つまり「私(あなた)」は、「救い」の順番はどうであれ、霊的には常に「初穂」なのです!そして「初穂」として召し出された理由は、残りの者の「救い」のためです。残りの者が「大患難の時」にも生き長らえ、最終的には天国へと凱旋する、その大いなるキリストの「贖い」の御業が、完成(成就)されるために、「私(あなた)」が先に救われたのです。これを決して忘れてはなりません!


 パウロの機転(宣教)によって、自殺を免れた看守長の如くに、「私もイエス・キリストを信じます!」と告白しながら、あなたの言動を見て次々と救われる多くの魂、まさに「その時」が来ています。ヨセフが次々とリフォ-ムされたように、助け主なる聖霊様は、あなたが封印していた「過去」を、掘り起こして取扱われる時があるかも知れません。


 しかし「その時」から、主なる神は「あなた」に対して、霊的な第二のリフォ-ムを開始されます。するとあなたは、思いも寄らなかった次元の中で霊的に解放され、今度はあなたが、霊的に束縛された人々を、次々と解放し、聖霊様の「慰め」をもたらすでしょう。


 そうです!あなたが更に、イエス・キリストの「命の言葉」を、多く配給することの出来る、有用な使徒(聖徒)に仕立てられることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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